3年前を思い出した。
前回は7月。今回は8月。もうすぐ涼しくなるから自転車で行くのも楽だな。
さて、ここまでの道のり。。。
6月末に派遣会社から派遣切りを伝えられ、7月一杯だが8月分のお給料が出るとの話。
7月に入り、いつ引継ぎをしてもいいように準備しておこうと整理を始めていた。
残りの有給休暇、7月の早い内に取ろうと思っていたがいつまで経っても引き継ぎが
始まらない。
お昼の電話当番、帰りの掃除当番(3日間連続)があるので、その期間を除いて
請求書の暇な時なんて考えていたら、なかなか取れる日がない。
結局派遣切りが決まってから1日も有休を取らずに退職となった。
まあ、8月はお給料が出ると言うのもあったので、あえて取らなくてもいいかとも
思ったし。
7月中旬、本当に誰も何も会社から言って来ない。どうなってるんだこの会社?
そんな中私が担当している宿泊、宴会施設に8月の予約が入った。
当然予約を入れ施設の管理の方へ電話した。
ガ : 8月○日宿泊入りましたので、お願いします。
管 : え、8月予約入れてもいいの?
私達7月一杯で辞める事になってるんだけど。
ここ7月までだって聞いてない?
ガ : え、そうなんですか? 何にも聞いてないですけど。
もう少し詳しい話をしたかったが、なんたって周りで聞き耳たててるだろうから
つっこんだ話は何もできなかった。
そう言えば5月末か6月初めに管理人夫婦が会社に呼ばれ、専務と話合いをしていた。
てっきり管理人さんが辞めるのかと思ったが、その後何事もなく過ぎていたのでまさ
かそんな話になっているとは。。。。。
いまにして思えば6月初旬には施設の外壁改修工事を始めていたし、私に23年の
宴会接待利用金額なんてのも聞いていた。
工事を始めた時点で既に私のクビ切りは決められていたのだろうと思う。
そうこうしている内に課長代理が「課の人で打合せしましょう」と言ってきた。
そこで初めて引継ぎの話となった。皆いつから知ってたんだ?
話合いの中、課長代理が言った。
「最初、総務と経理で2人ずつという話だったみたいです」
そうなんだ、2人ずつって事は派遣社員全員って事だったんだ。
それが取締役会か何かでそれではダメだとなり1人ずつになったようだ。
そして私はと言えば、仕事の半分を担っていた施設の予約、経理業務が全て無くなる
という事で、必要のない人間になっていたんだろう。
この事は派遣切りの対象となった自分自身を、納得させる事ができる理由となった。
引継ぎでは今迄新たに担当となった仕事は、元の人が引き受ける事になった。
しかしそれも完全に誰がどれと決めた訳でもなく、なんとなく雰囲気でという感じ。
私が元々入社した時に定年した前任者から引き継いだ仕事に関しては、誰も手を挙げず
誰に引継ぎするかも話されず、これも「その時になったら手の空いてる人が・・・」的
な課長代理の話で終わった。
課長代理も可哀想なんだけど。
課長は何もやろうとしないし、こんな場面でも前に立って事を進める事もしない。
多分課長代理が全て担うのか? それは厳しいかも。
彼は不動産管理の仕事もしていたが、こちらは外部会社に移行するのかもしれない。
こうして話合いの後で周りはどんな気持ちで私を見ているのか?他の課の人は知って
いるのか?なんて考えながら、伸びも欠伸もできない暇な席で、いつ引継ぎを言われ
てもいいように待ち続ける日々だった。
この日々が一番いやだった。
1日も早く会社へ行かなくていい日がくる事を願って、こんなに暇なら休みたいなんて
考えていたのだった。
引継ぎがあった事で、人事の女の子が初めて退職についての手続きの話をしてきた。
退職から10日程前の事だったと思う。
制服の返還の事だった。
良かった~。
実は私から言い出さなくてはいけないと思い、機会を狙っていたのだ。
冬服と夏服があるのだが、6月中旬に夏服になっていた。
私はいつも衣替えをすると直ぐ制服をクリーニングに出していた。
この冬服、入社した時7号だったが、冬は寒くて厚いタイツをはいたり、2kgぐら
い太っていたのでウエストがきつくなっていた。
それでスカートを9号に変えてもらった時、ベストも厚着してもいいように9号に変
えていた。
そう、私は冬対策で制服もサイズを変更し、今年の春には冬用に靴下に貼る使い捨て
カイロを6箱も買い溜めしていました。笑
(このカイロどうしたらいいんだろう? 部屋でカイロは要らないでしょ!)
そして今年6月の衣替えの後クリーニングから返った時、ベストを再び7号に変えて
もらっていました。
9号に変えてもらってひと冬過ごしたけど、いくら厚着をしてもやっぱりベストとな
るとお腹周りがキッチリしてないと格好悪いですね。大きかった。(@_@。
しかしそれから1週間経つか経たないかで、7月一杯の派遣切りの話が出た。
なんだ、冬用のベストのサイズなんてどうでもよかったんじゃないか!!
彼女は知っていたのだろうか? ついそんな事を思ってしまった。
そして今回、引継ぎが終わってからようやく退職の話ができる環境になったのだろう。
人 : ガーネットさん制服は、どうしますか?
会社からクリーニング出します?それとも・・・・
(いつもながらソフトでゆったりした話し方は人を不機嫌にさせる事がない)
ガ : 冬の制服はもうクリーニング出してるんでロッカーにあるからいつでも渡せ
ますよ。(#^.^#)
ジャケットはこの間出したから今日辺りできて来ると思うんですけど。
今着てる制服はクリーニング代預けるので、○○さんから出していただきた
いんですけど、お願いしていいですか?
人 : はい、わかりました。(*^_^*)
これがかねてから私が計画していた作戦で、退職後にまた会社に出向く事のないよう
に、退職日からクリーニングの日程を逆算して出していた。
以前辞めた派遣さんが退職後にクリーニングした制服を戻しに着ていたのを見て、
私は絶対退職後に会社へ来る用事は作るまいと、派遣切りを聞いた日から少しずつ
私物を持ち帰って、忘れ物はしないようにしていた。
でも、こんなに作戦練ったのに1つだけ忘れ物をした。
それはインスタントコーヒーの瓶。
でも大丈夫、スプーン1~2杯分しか残ってないから。。。クククク・・・

話は戻って・・・・
そこへ丁度クリーニング屋さんがやって来ました。
二人で更衣室へ向かい冬の制服、夏の半袖ブラウス2枚(去年冷房寒くて着なかった)
冬の長袖ブラウス2枚(貸与されたもの)を返したのです。
では、その時私が着ていた長袖ブラウスは?と言うと、これは入社した時2枚じゃ足
りないので自腹で1枚4,500円程だったのを2枚購入したものです。
こうしてみると事務所用に靴下に貼るカイロ、靴、サンダル、ブラウス、タイツ、
通勤の日焼け防止用に帽子、ストール、何かの式用にスーツ2着、色々投資してた。
そんな更衣室でロッカーからベストを出しながら彼女とお話したのです。
ガ : これだったらベスト交換する必要なかったね。

人 : 本当にすいません。。。。

嫌ですよね、こんな会社。。。。
私は単純に素直な気持ちで話したんだけど、人事の彼女にしてみれば事の流れが分か
っているだけに、契約更新後の事であったのでこんな風に思ったのかも。
きっと今迄にもこんな派遣切りを見ているのかもね。
入社、退職の書類作っている彼女だから、この言葉がでたのだろうか。
若干24歳の彼女、入社が決まって制服合わせの時、ロッカーのカギを渡された時、
一番最初にやさしく接してくれたのが彼女でした。
ありがとう! そして、あなたには素直に言えます。
「 お世話になりました~ (^○^) 」



↑ ↑ ↑
皆さんの応援で、また更新しようとがんばれる。ぽちっ

まさかの雇用止め、人生一寸先は闇。がん患者のワタクシ、生きてるだけで丸儲け。笑
派遣社員がどのように派遣切りに遭うのか、その前後の様子、私自身初めての経験でしたし、興味あるテーマでした。
多くの未体験の方へ未知の世界を知って欲しいという思いのUPです。
私なりに深い思いがあるのですよ。(*^_^*)
私のブログは開設当初から過去を振り返ってます。
2007年11月、右乳がんの発症がわかり両側乳がんになった時、両側乳がんの事を書いた体験談があまりなかった事、ながーい経過観察をしていても何年か怠ったらこうなるんだよと、皆さんに知っていただきたいという思いからの開設でした。
また40代後半でのシリコンによる乳房再建は、写真をUPし乳房喪失で精神的にダメージを受けている方に少しでも希望持っていただけるんじゃないか、これから再建を考えている方の情報となるのではないかと思った事も、大きな理由です。
始まりが自分が当時書いていた日記の転記ですから、隠しだてないそのままのその当時の自分の正直な思いを書いたものをUPしています。
それは私にとっても貴重な記録となりました。
医療、家族、仕事、色んな事を書いているうちに自分の備忘録にしようと思いました。
本当ならリアルタイムにその時直ぐにUPできればいいのですが、体調や時間の都合等で延び延びになったり、先にこっちの事UPしたいなんて事もあり、振り返った形でUPする事にもなります。
後ろを振り返らずに前を見てと感じる方もいらっしゃるでしょう。
でも、私全然後ろ向きな思いでこの記事をUPした訳じゃないんですよ。
彼女のこの言葉でやっと色んな思いが癒されたんです。
それを彼女に感謝したかったんです。
こうして「管理人のみ閲覧」にお答えしてると、他の読者の方にはやり取りが見えないですね。
よっぽどの事でない限り、このくらいの話はどうぞ遠慮なくお名前をだして公開して下さって結構ですよ。(*^_^*)
私がよくネットサーフィンで乳がん患者のブログを訪問してた時、記事を読む事もそうですが、読者の方とのコメントのやりとりでその方の考えや思いを知る事ができて、コメント欄を興味深く読んでました。
このブログを訪問して下さる方にも、記事だけじゃなくコメント欄も読んでいただけたら面白かと思います。
時々コメンテーターとのやり取りの方が、記事よりUPしたいと思う事があります。笑
「人工呼吸器死の準備」というカテゴリーで載せてるのがまさに皆さんからのコメントを記事としたものです。
このブログ、趣味のブログでも乳がん患者の闘病体験記のど根性物でもありません。
両側乳がんの患者で、50代シングルの日々あった事、昔あった事、あの時思った事、あの時感じた事、乳がんについて無知だった私がどのように主治医と向き合っていたか、自分の病気を知る事でどんな風に主治医と対話したか、思うままに書いています。
そして世の中にこんな人もいるんだなぁ~と顔も名前も知らない誰かに知ってもらいたいと思い、幸いにも再発もなく順調に治療が進んでいる今闘病記でもないブログをまだ続けている私です。