兄の時も叔母さんの時も、離れているので私は実際のところ抗がん剤を点滴してる
ところは見た事が無い。
兄の時は今から18年前の事で、お見舞いに行った時は口内炎で食べ物が喉を通ら
ないという時だった。
そんな知識も全くない私がお見舞いに持って行ったのは、横浜のシュウマイとパンプ
キンプリンだった。
なんて酷い見舞客だった事だろう。
こんな身内じゃ兄も情けなかっただろうなと思う。
乳がん患者となっても経口抗がん剤しか経験していない私は、血管痛も知らない。
ホルモン治療での副作用はたくさん経験しているが、抗がん剤の副作用と言えば最初
に処方されたフルツロンで3週間過ぎて出た吐き気だけだった。
これもお薬をUFTに変更する事で全くなくなった。
倦怠感はずっとあったが、何かしらの癌治療中の身ではこんなもんだろうと思って
いた。
倦怠感は同じ18年前子宮筋腫の手術後に飲んでいたお薬で、肝臓値がかなり悪く
なった時も同じように経験していた。
この時はドクターストップが掛かったが、もう少しで治療が終わるから頑張ると言い
最後まで続けた。
痛みに関しては、私は子供の頃から原因不明の関節痛で20年間苦しんできた。
鎮痛剤とはお友達で、風邪薬と鎮痛剤を一緒に飲んだりは普通にしていた。
そんな経験もあり、形成外科医が「痛みに強い人だ」というくらい我慢強いし、普通
より痛がらない方だと思う。
そんな私が緩和ケアと関わりがあったかというと、漢方薬の処方でお世話になってい
る内科医(麻酔科医)との関わりだけかも知れない。
不定愁訴をじっくり聞いてくれる先生だから、心おきなく何でも話した。
精神的なケアもここでしてたようなものだ。ある意味心療内科医でもあったかな。
話は飛んだが、叔母さんは本州の娘の元で手術をした。
少々ボケが入ってきた伯父さん共々一時娘の元にいたのだが、伯父さんも母と一緒
で都会の暮らしに馴染めず1人田舎に戻って来てしまったのだ。
叔母さんは伯父さんを1人残すのが心配で、田舎に戻り抗がん剤治療をするつもり
だった。
手術をした病院でも抗がん剤治療は田舎でも大丈夫という話だったそうだ。
しかし田舎の病院では抗がん剤の扱いに慣れた医師がいなかったため断られ、結局
函館の病院に入院して抗がん剤治療を始めた。
娘は本州で家族も有り、北海道には付いて来れない。
そこで姉が病院に通っているらしい。
姉も私と同様、私以上に癌治療や副作用に詳しくない。
話を聞いても「抗がん剤を点滴でやるんだって」なんて事を言ってる。
身近で看ている人じゃないと、身内でも分からないものかもしれない。
いや、家族でも抗がん剤治療がどのように行われるかなんて、さほど知らないだろう。
TVで癌治療の事やっても、抗がん剤より手術、放射線治療に焦点を合わせている。
私も抗がん剤の名前は聞いた事あっても、どんなタイミングで、どんな副作用が出て
どうチェンジしていくのか知らない。
少し勉強してみようと思った。
市民公開講座より 「緩和ケア」について
講師:北田正博先生 旭川医大 循環・呼吸・腫瘍病態外科
平成20年 呼吸器センター准教授
緩和ケアについては今迄何度か記事にしているので、あまりメモは取っていない。
昔は緩和ケアを始めると患者は 希望→絶望へ 自信→不安 と変わっていたが。。
今は包括的癌治療に変わっている。
緩和ケアを始めるタイミングは辛さ、患者の希望、また抗がん剤治療と同時に始める
というお話だった。
私は癌患者となった時から始めるものだと理解している。
何故なら大多数の患者は、癌告知を受けた時から精神的に病んでいると思うから。
旭川医大では乳腺とまだ上手くかみ合っていないから、これからチームを作って・・・
そうか・・・まだそんな段階なんだ・・・・北海道って。
そう言えば義兄が○大の耳鼻咽喉科で手術をした時、脳にも掛かっていた腫瘍をとる
ために脳神経外科の先生に途中から手術に加わってもらった。
これは耳鼻科の先生だけでは脳の腫瘍は取れないため残す事になりそうだったのを、
脳外の先生に話してもらい診療科の隔たりを無くして手術をしてもらう事はできな
いかと、義兄が掛けあったからだ。
事前に脳外の診察を受け脳外の先生は「これは取れるよ」と言っていたのだから、私
はてっきり初めからそんな話かと思っていたら、意外とそうじゃないんだね。
結果的に両方の先生が一度の手術で取ってくれた。
術後の経過も良く、耳鼻科の先生から学会でこの症例を発表したいのでと、承諾を貰う
お話があったそうだ。
お医者さん同士って、気兼ねがあるんですかね?プライド?
時間を取って自分の手術を助けてもらうのって、言い出しにくい事なのかな?
今回はどちらの医師も患者の為に動いて下さったので、義兄はラッキーだったし義兄
が諦めず先生に頼んだから、この結果が生まれたんだと思う。
チーム医療って、こんなところも大切だと思う。
垣根は作らないで欲しい。
これで次の患者さんも同じように手術してもらえるルートができたかも。
「再発後をどう生きたらいいの?」
講師:大村東生 先生 札医大乳腺・甲状腺チームリーダー
ちょっと哲学的なお話になりましたので、これはそれぞれが考える事という感じかな。
先生が仰ってたのは『意欲を持つ事がフォローになる』 『自分らしく生きる』
自分らしく生きるってどういう事だろう?自分らしいって・・・・・
難しいですね。
私は未だに自分という人間がどんな人間か理解できてない。
日々考えが変わったりするから、自分でもどんな性格か分からなくなる事がある。
我慢強いのに短気って。。。。あり?

前回の記事で紹介したHP 『緩和ケア医のらくがき帳』 、これから紹介するマニュアル、
これを紹介したくて今回の市民公開講座の記事を更新してきたようなものです。
平方 眞 先生は現在愛和病院副院長(長野市)でいらっしゃいます。
リンクの許可をいただくため、お願いと記事の感想を書いてメールしました。
【ガーネット】
ここから感想です。(^-^)
「がんの症状コントロール」のまとめに書かれていた事、この様な考えで治療して下
さるお医者さんが増える事を心から希望致します。
癌治療の副作用、痛みはもう患者が我慢する時代ではないと言う事を、患者自身に
も知って欲しいです。
その為にも患者も自分の症状を上手に医師に伝える事が大切だと感じます。
とても分かりやすい説明、先生が仰ってた難しい医療専門用語では患者が理解でき
ない、全くその通りです。
臨床の場で先生が経験された患者の様々な症状、治療は、進行がんと闘っている患
者には大変参考になるし、皆さん気に掛かっているし、知りたいと思っている事だと思
いました。
緩和ケアは末期癌患者だからじゃなく、癌患者となった時から始まるものですよね。
私も勉強しながらブログ友にもお知らせしたいと思います。
このHPを知った事を大変嬉しく思いました。
【平方先生より】
特に乳がんを持っている人は、治療成績が向上してきてがんと一緒に生きる時間が長
くなってきている分、治療に伴う「生きる困難さ」も増えてきていますよね。
薬が違えば副作用も違うし、人によっても副作用が違うし、でも副作用の辛さを楽にする
薬も結構見つかってきているので、楽に治療が続けられるような医療は、できるだけ多く
の人が知ってほしいなと思います。
最近は化学療法をする医師や看護師や薬剤師も、そのあたりを熱心に勉強する人が増
えてきた気がします。
化学療法の薬もものすごい勢いで増えてきているので、勉強することがたくさんあり
すぎて大変だろうなと思いますが。
緩和ケアは「がんになったときから始まる」というのは、私が話をするときには必ず
言っていることです。
「治らない状態になった人や、治療の手段がなくなった人におこなわれるのが緩和ケア」
というのは、古い定義に基づくものであって、その狭い定義はなるべく早く世の中から
消し去りたいというのも、しょっちゅう言っています。
≪緩和ケアの基礎≫で書かれていました。
緩和ケアの基礎は、何といっても疼痛コントロールです。
これができないことには、他の緩和ケアの要素も十分に生きてきません。
がんの疼痛コントロールの基本はWHO(世界保健機関)が提示した「3段階ラダー」です。
現在では1987年に提唱された基本にかなりの工夫が加えられ、様々な症状に対応できる
ようになっています。
詳しくは、「がん緩和ケアに関するマニュアル
(がん末期医療に関するケアのマニュアル改訂第2版)」(厚生労働省・日本医師会)
を見てください。
私の働いていた諏訪中央病院では、独自の緩和ケアマニュアルを作って、毎年1回以上
医局の勉強会(若手医師を中心に多くの医師が参加)で勉強しています。
そのマニュアルをここに載せておきます。PDFファイルで別ウインドウで開きます。
使いたい方はご自由に印刷して使ってください。
個人でまとめたものなので、全てが正しいなんて思っていませんが、800人以上の方を
真剣に看取ってきた経験が生かされているとは思います。
もし間違いを見つけたら教えてください。
これを踏まえてがん症状のコントロールについて、もっと知りたい勉強したいと思う
方はご覧下さい。
ご自分の使っている治療薬で、今の自分の状態をある程度客観的に知る事になります。
がんの症状コントロールマニュアル(平成20年11月版)
私がメモることは・・・・
投与の基本原則
最も重要なのは、モルヒネの血中濃度が常にその人の有効域にあるようにすること
である。
そのため、時間を決めて一定時間毎に使用するようにし、頓用を基本にはしない。
癌で痛みがある場合は基本的には常に痛みがあるので、「痛くなったら使う」とい
う方法は不適切である。
投与方法の変更(量は3 ページ左下換算表を参照)
経口投与が困難または不可能の場合、塩酸モルヒネ坐薬(アンペック坐薬)を、
8時間毎に1 日3 回投与する。
アンペック坐薬1個では多い場合、坐薬をパッケージごと横に半分にはさみで切って
投与できる(縦割りにしようとすると粉々に割れる。
残りの半分は必ず薬局に戻す)。
坐薬も不可能な場合には持続注射(皮下注、静注)とする。
血中濃度の安定のためには、1 日数回皮下注などではうまく行かず、ポンプを用いた
持続注射が必須である。
(中略)
末期になっても痛みは消えないので、最期まで投与を持続しないと「痛みに叩き起こ
される状態」になる。
「のめないから中止」は最も不適切な対応である。
そのためには、現在の方法で投与を続けられなくなったらどうするかをあらかじめ考
えておく必要がある。
副作用対策で書かれていた便秘について
基本常識として、モルヒネ等のオピオイドを開始するときに次の2薬は必ず併用する
習慣を身につけたい。
便秘に→ プルゼニド2T 1x眠前
吐き気に→ノバミン 3T 3x(2 週)
(中略)
元々便秘がちの人には、下剤を多めに使う。
モルヒネを使っていて一旦便秘になると、通常の便秘に対する処置では対処できない
ことも多く、一時的にモルヒネの投与を中止しなければならなくなる。
多めに下剤を用いておいて、下痢気味なら減らしていく方が、排便コントロールはしや
すい。
便秘でどうしようもなくなった時には、デュロテップMT パッチに変更すると痛みを我慢
させずに便秘を解消できることがある。
痛み以外の症状への対応で書かれていた事
進行がん以降で比較的多くて見逃されやすいのが、高カルシウム血症であり、ゾメタ
がよく効く。
がんの進行によって体力が低下し、それによって食事量が減少しているのは、自然な
ことである。
たとえば老衰で命が終わりそうな人は、ほとんど何も口にしなくても静かに苦痛なく
過ごすことができる。
それを自然なこととして見ていられないのは、がんの場合は老衰より遙かに早くその
事態が訪れるためである。
家族は「なるべくたくさん食べて、元気になって」と言っても、患者さんの身体がそ
れを受け止められない時には、食べることを勧められるのは苦痛でしかない。
しかし家族に遠慮して、我慢しながら食べている人も多い。
がんが進行してきて食事量が少なくなってきた時の適量は、「食べたいと思うものを
おいしいと思える量だけ食べる」ことで、たくさん食べればそれだけ栄養になるわけ
ではないことを、本人も家族も理解しておく必要がある。
受け止められる以上の栄養分や水分を無理矢理身体に詰め込むと、逆に身体の負担が
増すことは、皆が認識しておいた方がよいと考える。
患者家族にも参考になるマニュアルでした。
私も抗がん剤治療中の叔母さんに何かしら助言できればと思っています。
最後に平方先生、
リンクの許可をしていただいた事、
本当にありがとうございました。




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収支の管理を私1人でしているこの部門。
半年前は初めての決算で本当に大変だった。
引継ぎ者は定年退職、誰も関知していなかった仕事内容。
結局最後に頼りになったのは、経理の実務担当の女の子だった。
この半年で私も貸借対照表を少しは理解する事ができた。
紙台帳だけではなく自分なりのデータ表を作り毎月入力していた。
以前理解できていなかった事を学習し、何の説明もなかった決算を何とかこなした
半年前。
今回は更に進化させ準備万端でデータから貸借対照表、会計伝票まで自動計算させ
作成するようフォーマットを作った。
さて最後のデータ入力は、残高証明、小口資金、未収金、納入済みの金額etc・・・
リンク先のシートを開いてみる。。。
えっ!?
貸借表が105円合わない。

明らかにこれは振込手数料だな・・・
どこだどこだ・・・・・紙ベース台帳と毎月入力データを比べてみる・・・
間違いない・・・・のに・・・・
電話がなる、お客様が来る、宅急便が届く・・・・
ぐぅうう・・・・数字の羅列を追っている私・・・・もっと集中して仕事したい。。。
明日にしよう・・・・翌日になっても発見できなかった。
しゃあない。
ここはやっぱり彼女の智恵を借りよう!!
紙台帳と、データ入力表、貸借対照表をもって経理へ。
午後からだと手が空くと言う事で一旦席に戻った。
良かった。チェックしてくれそう。これで安心だ。
昼一で見てくれるのかな?
1時・・・・2時・・・・2時半・・・・今日は無理か、別の仕事しながら待つ。
諦めた3時頃に内線が・・・・
再び経理へ出向き説明をする。
経理とは言えさすがに決算資料を一目で把握するのは無理で、資料を預ける事に。
帰る時刻になった。
今日は無理だな・・・と思ったら彼女が笑いながら席に来た。
経 : とりあえずこれはお返ししますね。他はまだ借りてていいですか?
ガ : はい。分かりました?
経 : はい、多分。説明は明日しますね。(^-^)
お~見つけてくれたんだ!
これで安心して眠れるわ。(●^o^●)
会社帰りスーパーへ。
彼女に何かお礼を・・・・何のお菓子が良いかな・・・・
おっ、これはタイムリーなお菓子、可愛いし、いいんじゃない!

ついでに自分用にこちらのバラエティパックも。

翌日、午前中に説明を受けた。
一言で理解できた。
なんたるケアレスミス。でも、盲点だった!
紙台帳ではきちんと2度の振込料を記帳していた。
でもデータ入力表では毎月1回の定時分枠しか取ってなかったのだ。
だから収支の累計も、当然毎月は合ってた。
だが半期の収支は貸借対照表に飛ばして自動計算させていたので、3月に2度振込
をしていたのに決算の振込料を加算していなかったのだ。
初めから彼女は言ってたんだよね。
「振込料が合わないって事は、どこかで振込料が入ってないんじゃないですか?」
その通り! (^_^;)
いや~、紙ベースでは振込2度ちゃんと記帳しているし、毎月の累計もあってる。
なんで、なんでって。。。。
頭硬いっす。ワタシ。。。(>_<)
今度は「決算月も毎月と同じに1回の振込ですると入力漏れがなくていい」と言う
アドバイスを受けそうします。
経理素人の私はきちんと記帳されてた方が証拠になるだろうと、わざわざ2度に分け
たんだけど、案外そこまで気を使っていたのは私だけで、会社も経理もそこまでシビ
アに見てなかったようだ。
会計伝票も詳細な仕訳がなくて、労災保険の確定をしていた私にしてみれば、こんな
にラフな決算伝票でいいの?という感じだった。
詳細に分け過ぎて、逆に頭が混乱していました。
朝青竜じゃないけど、自業自得でした。

3度目はパーフェクトを狙うぞ!!



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お薬を貰う為です。
今日は電話当番だったので1時から2時までがお昼休みだった。
いつもは15分まえにアラームをセットして仮眠するんだけど(アイマスクと首用
のクッションをつけてイスに座ったまま)、今日は20分前にセット。
お弁当を洗う前に、歯磨き前に、化粧直し前に、何としても電話しなきゃと・・・
3時半までに予約しなきゃいけないと思って。
事務所から出て窓際で掛ける。
お話し中です。
3度掛けたがお話し中。
しゃーない。お弁当洗ってからにしよう。
2時には席に戻らないと・・・・あと、5分だ・・・・焦る・・・・ (^_^;)
繋がった。
カード番号、名前を告げお薬3ヶ月分と言うと、「カルテを見ますのでお待ち下さい」
と言われPCで調べてる音がする。。。。。しばし待つ。
それでなくても目立つ制服。
仕事中に席を離れ電話してたなんて勘違いされたら大変だ!!
ようやくカルテが出たらしい。
時計を見ると2分前だった。焦る~ (^_^;) 早く! 早く!
5時頃に行くけど良いかと聞くと、「5時までですので・・・・」 「大丈夫です」
被せ気味に答える。。。。
電話を切ろうとすると、「ちょっと待って下さい、お薬の内容を確かめますので」
あ~1分前・・・・・(>_<) 焦る~ \(◎o◎)/!
「フェマーラに・・・・」 「はい、はい」
「もし5時までに来れない時は・・・・」 「大丈夫、行けます!」
無事2時前に席に戻れた。。。間にあった。。。。。
こんなに時間に追われたのは、久し振りだった。
ホットフラッシュかと思うほど上半身が暑かった。(●^o^●)
4時半に仕事が終わり、着替えて15分前。。。。自転車で爆走する。。。



5時5分前到着。。。。。(*^^)v
処方箋を貰い、ついでに次回診察の予約をする。
しばらく月に1~2回の平日休みだから、お薬が無くなる前に定休日とスケジュール
考えて決めないと。
婦人科の予約が9時だから・・・・スケジュール帳とにらめっこ。。。( 一一)
希望の日時が空いてました。よし、これでOK!
薬局でいつものようにお薬を貰うまで、店内をキョロキョロ。
おー、気になる物発見。。。
カルシウムウエハースとな。。。。
へぇ~1枚で牛乳200cc分のカルシウム(200mg)だって!
手に取ってじっくり読む。
18枚入り・・・300円・・・安っ!
でもちゃんと 病院向業務用って書いてあるよ。
きっとカロリー高いんじゃないの?
裏面も読む・・・・1枚で25kcal・・・いいじゃん!
4種類楽しめる・・・ふむふむ・・・・
カルシウムの他にプラスビタミンC入り、βカロテン入り、DHA入りと4種類。
1日に1~3枚を目安に・・・・・1日1枚でいいや。
6袋ゲットしました。次回診察までの3ヶ月分だ!
牛乳をあまり飲まないので、これで少しでもカルシウムを摂って、骨粗鬆症の予防
している気分を味わいますか。

因みに、ディスプレイしてたウエハースも集めて6袋だった。
プチ買占め、プチ大人買い。笑。
普通においしかったよ!





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北大の鈴木教授がノーベル化学賞を受賞したんだってね~今知ったわ!
北海道と聞いただけで嬉しい。(●^o^●)
いつもピザ食べたいと思いながらパスタにしてしまう。
ここはいつも病院帰りに寄るお店。
以前勤めていた会社から近いので、お昼休みにも1人で行っていた。
同僚と一緒に行く事もあったが、皆で行くと全員集まるまで時間が掛かる。
1時間のお昼休み、待ってる時間の5分はイライラさせる。
いっそ1人の方が自分の時間で自由に行動できるとなる。
ひとりで食べる事に慣れ、お店にも慣れた頃、お昼休みの外食はひとりでするよう
になった。
お買物も基本1人でするのが好き。
どうも趣味の違う友達と一緒の買物は、同行しても時間をもてあます。
きっと男の人が女の人の買物につきあうと、こんな気持ちになるのかも知れない。




まだ暑い日が続いていた9月。
ランチの後、お隣のお店でソフトクリームを食べた。
ふと、思い出した。
以前ブログにもUPしたこのソフトクリーム。
あの時はハローワークの帰りだったと思う。
まだ、仕事決まってなかったんだなぁ。
本気出して職務経歴作り直したりしてた頃かな。。。
そんな事を思いながら食べたソフトクリーム、これも思い出の味と言うのかな。
1年後のソフトは何を思いながら食べているんだろう?
そうそう、再就職してから丸1年経った。
早かったなぁ。
最近は精神的に落ちついた日々です。あははははは(●^o^●)



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最近背中の張りも良い感じなので、撮りためていた写真で記事をUPしてます。
リアルタイムでUPするのがベストなんだけど、ま、いいか!
「余命1ヶ月の花嫁」TVでやってた。
ドキュメンタリー番組で本物見てるから、やっぱり・・・・・・
2人とも元同僚で、一緒に早期希望退職したメンバーだ。
Yちゃんは一番手で希望を出した人で、事務職は自分に向いてないと言ってた。
退職後は韓国に数ヶ月遊学していた。
農業関係の仕事をしたいと言っていて、あまり再就職に積極的ではなかった。
それでも2年も遊んでいて焦りも出ていた。
前の職場では私の異動先の前任者だった事もあり、仕事の引継ぎから仲良くなり
その後頻繁にランチする仲間だ。
眼科に行った6月、Yちゃんに連絡を取りランチした。
その時職務経歴の書き方を教えて欲しいと言われ、私の就活体験を話した。
その後真剣に就活していたようだ。
営業部門に在籍していたKさんは、退職後1ヶ月もしないで再就職を一番手に決め
た人だ。
就職斡旋会社の人が言ってた「前の会社のコネを使いなさい。知ってる人がいないか
会社の人に聞きなさい」というのを忠実に守ったのだった。
同時期退職した営業部門の男性職員の再就職先に電話をし、応募した会社にコネがな
いか聞いたところ、偶然隣りで電話のやり取りを聞いていた人が知ってる会社だった
と言う、まるでTVドラマのような展開だった。
応募期間は過ぎていたようだが、直ぐ連絡を取ってもらい履歴書を出してと言われ、
急いで職務経歴を作ったそうだ。
面接では「私を採ったら絶対会社に損はさせません」と言ったという。
後で聞いたらその言葉が決め手になったようだ。
自信を持って面接に挑むって大切ですね。
私には言えないけど。(^_^;)
彼女は失業保険の給付を受ける事なくすぐ職に就いたので、その後「本当にここの
会社に決めてよかったのか?」と悔やんでいた事もあった。
だって彼女は一発目で決まったから。
逆にのんびりプータローしてる私達が羨ましかったようだ。
彼女は再就職先のシステムを使えず、仕事をしながらPC教室に通い会計システム
を使えるようになった。
この時彼女が言っていた。
「私達の会社って恵まれてたよね。自社システム使ってたから簡単なPC操作で仕
事に支障無かったもんね。今他の会社に行って初めて自分が何にも出来ないのが
分かった」
よーく2人の話しを聞いてたら、彼女達EXCELもあまり得意じゃなかったようで、
計算式を入れてフォーマット作る事もあまりしてなかったようだ。
その方が私には驚きだったけど。
それが普通なんだろうか?
自分の仕事を早く簡単に確実にと考えたら、自ずとPCを駆使する事になると思うん
だけど。
そんな中、私は私で派遣社員とはどんな存在なのか?を知りたくて、派遣先輩のK
さんとランチの約束をした。
Yちゃんは就活で色々大変な日々だろうと思い誘わないでいた。
そしたらYちゃんから仕事が決まったとのメールが。。。。
早速3人でランチする事に。
お店は決めていなかったので、Yちゃんお薦めの小さなフレンチレストランへ。


きのこのキッシュ コーンポタージュ
キッシュはあまり得意じゃないけど これもたっぷりの量で品のある
これは本当においしかった。 甘さでおいしかった。


これは鳥肉のソテーでマスタード デザートもたっぷりで甘い物は
のソースでした。 別腹と言いますが、お肉もボリューム
コースでお肉とお魚を選ぶ時 あったのでお腹一杯になった。
必ずお肉をチョイス。 パンはお代わりしましたよ。(^^)
肉食女子のガーネット。 確か2,100円位だったような・・・100点
ここで2時間過ごし、全然話し足りない3人。
Yちゃんの就活話、Kさんの職場話、私の職場話、元同僚の動向、会社の話(前の)
食事をしながらだから2時間じゃ足りないよね。
30代、40代、50代、恋話はないけどそれでも2時間じゃ足りない・・・・
と言う事で場所をTully's Coffeeに変えて、ここで5時過ぎまで話し込んだ。
我ながら凄過ぎる。(@_@。
ここで退職時の話が出た。
7人同時に退職し、何回かに分けて手続きをした。
その時事務所に出向き最後の挨拶をしてきたのがこの2人だけだったとか。
私は早期希望退職した男性職員の皆さんが席を廻って挨拶に見えた時いつも思った。
”何を言えばいいのか・・・ご苦労様でした・・・お疲れ様でした”
挨拶する方もされる方も明るく・・・と言う訳にはいかないなぁ~。。。。
だから私は課長の「皆に会って行く?」と言うのを辞退した。
意地もあった。多分こっちの思いが強かったと思う。
2人はすごいな~、心が広いな~と思った。
K : 本当の事言うと私はずるい心があったんだと思う。
コネがあったら使おうと思っていたから挨拶しておこうと思ったの。
Y : 私は今回10回以上落ちて、最後は会社の人に誰でも良いから電話して
どこか会社探してもらおうと思った。
ふ~ん、そうなのか。。。。
私は会社とは一切連絡を取らないと決めていた。
会社の世話には絶対ならないと決めていた。
ここが私の世渡り下手なところだ。
だけど、結局面接受けると殆どの面接官は前の会社を知っていた。
ガ : 会社のネームバリューがあったから、面接ではやっぱり違ったよね。
何だかんだ言っても会社の力って大きい。
そこに勤めてたって事で信用してもらえるものね。
身元がしっかりしてるって。ほんと会社には感謝だよね。
Y・K それは言える。ホント感謝だよねー。
会社に残った人達の話になった。
Y : 結局今年もボーナスは出たらしいですよ。(彼女の同期が1人残ってる)
ガ : へぇ~そうなんだ。
Y : そう言うの聞くと何だか自分はこんなに辛い思いしたのに、あの人達は
何の苦労もしないで高いお給料貰ってるんだって思ってしまうんですよね。
そういうのもあって、就職決まったのも話してないんです。
きっと周りからどうしてるとか聞かれて、話しが出るんじゃないかと思うと
嫌なんですよね。
(彼女は会社を辞めたくて、丁度良い機会だったと言って辞めたんだけど)
K : 私なんて上から見てるから。
ガ : え、どういう事?
K : あのね・・・とってもダークな気持ちなんだけどね「あなた達がそうして会社
に残っていられるは私達が辞めたからなんだよ」って上から目線で見るの。
これはとってもダークな話なんだけど、ここでしかできないからこんな話も
できて、本当に今日は良かった。(^^)
皆順調に行ってるようで、それなりに色んな思いがあったんだな~。
ガ : 私は会社の人がどうとかより自分の身体の事だけ考えてた。笑。
今何人いるんだろうね?
Y : 良く分からないけど○○さんは△△に転勤になってたけど、体調壊して
こっちに戻してもらったみたいですよ。(私の最初の部署の上司でタメ)
何でも食欲が無くなって痩せたらしいです。
こっちにいた時はあんなに威張ってたのに。
K : ××部長は辞めて今は◇◇会社で・・・・・・
ガ : 良く知ってるね。
K : 今の会社業種が●●なんで前の会社と関わりがあって、××部長とか電話
で話す事とかあって、お互いに「○○です」なんて挨拶してるの。
Y : うちの会社の人も前の会社の事知ってましたよ。
ここで2人がどんな仕事をしているのか聞いた。
Yちゃんはまだ仕事に就いて2日目だったから、まだ電話を受けたりFax流したり
とか簡単な事しかしてないようだった。
ただ同じ部署の人はものすごく忙しそうで、初めに「ごめんね、今は忙しくて相手し
てあげれないから」と断りを入れられたそうだ。
ガ : そうか2人とも営業事務だもんね。
私営業事務って、お客様が来たらお茶を出したりとかそういうのだと思って
たから、就活の時も営業事務は飛ばしてたんだよね。
ここで売上の請求関係の仕事だと分かった。
だから友達のSさんも締切が月に2度とか3度あるから、なかなか休めないって昔
言ってたんだなー。
ガ : じゃあ前の仕事と同じような感じの仕事じゃない。いいなぁ~。
私なんてまるで違う世界だよ。
何もかも驚く事ばかりだったわ。
K : そうだよねー。
私とYちゃんは前の会社と似た所があるけど、ガーネットさんは今迄と
全く関係ない業種だもんね。
こうして話は尽きないのでした。
Tully's Coffeeではマンゴーなんとかって言うの飲んで、帰りに寄ろうと言ってた
タピオカ専門店では一番ポピュラーなミルクティーを頼んだ。
台湾で飲んだタピオカのミルクティーと同じ味だった。(*^^)v
12時に会って、帰りは7時になってました。
楽しかった~。。。あれから1ヶ月皆どうしてるかなぁ~。。。。



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皆さんの応援で、また更新しようとがんばれる。ぽちっ

乳がん患者だけど、今は頸椎椎間板ヘルニアと闘う気満々。応援してチョ!
私達は面白い関係だ。
会社にいた時より辞めてからの方が頻繁に深く話し込んでいる。
同じ体験しているってがん友と一緒で、感じる事が同じだったり分かり合えるって
事なんだろうな。。。。
さて、今週はお休みなし。
半期決算も佳境に入ってきたし、請求書も忙しい時期だ。
来週の連休を楽しみに明日からもばんばろう!!
皆の強かさを私も身に付けるぞ!!