昨日入院で同室だったSさんと会社の近くでパスタランチを食べた。
★彼女とは今でも検診でこちらに出てくるたびに食事している。
いつも名産品などお土産に持ってきてくれる。
私も地方で手に入りづらい物と思い、英会話を習っていたと聞いたので、私が読み終えた
マット・ディランとディカプリオの自伝をあげた。
(とても簡単な英文なので、有名人の自伝は楽しく勉強できる)
Tさんは結局用事があり、この日も来なかった。(地方からなので)
Hさんは8日に入院したとの事。(術後の放射線治療の為)
今日は歯の治療をした。
入院前にしたのと同じ歯茎を切開した。
★ずっと長い事通ってる歯医者さんです。
6時以降診療してる事、土曜日診療あり、自宅から近いという理由で選んだところです。
この時は先生レントゲンも撮らなかった。
後に歯の根が斜めに折れていたのがレントゲン撮影で分かったのだが、こうして2度も
切開していた。
先生が「何か音しなかった?」とか、「痛くなかった?」と聞いてたが、
自覚症状なしだった。鈍い!
先生に乳がんの手術を受けて、抗がん剤、ホルモン拮抗剤を服用している事を告げた。
先生もちょっとやさしく説明してくれた。びっくりしたのかも知れない。
いつ手術したのか、どこの病院でしたのか聞かれた。
クリニックの名前を言ったら、あまり分かってないような様子だった。
明日はテニス仲間のMさんとランチの予定。
海外へお正月行ってたそうだから、きっとお土産でもくれるのかも。
入院してた話したらびっくりしてた。
★彼女とは今でもよく一緒に食事をする。
去年のお正月は久し振りに一緒に台湾へ行った。
以前タイに旅行して依頼の旅だったが、私が飛行距離の短い所を希望して、
台湾になった。
今年のお正月はメキシコに行ったらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本当に体調も良くなりようやく旅行する気になり、これからという時に、この旅行の
一ヶ月後には 右乳がんになっていたのだった。0.9cm*0.8cmステージⅠだった。
でもこれだけ大きくなっていたのだから、5年前には芽があって、増殖していたと
いう事なのだろうと思う。
なので今の治療にも疑問を持ちつつ、まだ模索中です。



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昨日訪問したブログで『人工呼吸器、死の準備』についての記事がありました。
一度読んで気になっていた記事でしたが、その時はコメント入れてませんでした。
でも昨日再び目に留まった時、2006.8.4の記事ですが、自分の考えをコメントに入れました。
こちらです→http://teamoncology.blog39.fc2.com/blog-date-200608.html
先生から返答をいただきました。
こちらです→http://teamoncology.blog39.fc2.com/blog-entry-67.html
このブログを訪問して下さってる皆さんの考えが知りたいのです。
癌と戦ってる方、ご家族の方、ご意見をお聞かせ下さい。
皆さんは元気な今、死の準備ができますか?
ターミナルケア(終末期)に入った時の事を考えて事前に・・・
患者はどうすべきなのでしょうか?
上記ブログにコメント入れていただくのがベストですが、こちらの方が気楽であれば
ここでも結構です。
皆さんはどう考えますか? または家族に対してどのようにしましたか?



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2003年1月5日(日) 退院19日目
リハビリメニューを作成してもらうつもりだったが、昨日チーフトレーナーから電話があり、
急用で地方に行く事になったとの事。
今日はエアロビのインストラクターであり、理学療法士でもあるS先生のリハビリを受け、
これからやるべき事を教えてもらった。
無理にやると肩を痛めると言ったが、その通りで既に2~3日前から左肩の調子が
悪くなっていた。
あまり伸ばそうとしないで分単位でじっくり腕の重さを利用して、寝ながらやるのが
いいと言われた。
肩甲骨が上手く動いていないので、肩だけが上がってしまうそうだ。
首のストレッチもした方がいいとか。
ちょっと私も本買った方がいいかも。
S先生もチーフトレーナーからの電話で急遽勉強したという感じだった。
チーフ電話してくれてたんだ。
S先生は日曜日だけしか来ない。フィットネスクラブを掛け持ちしているので、つぎの場所へ
移動しなければいけないのだが、それでもS先生レッスンが終ってから3時過ぎまでじっくり
リハビリの仕方を教えてくれた。
何かお礼をしなくては。
24日(日)ジムに復活した時、丁度会員カードが新しくなって入会日が記載されてた。
2000年1月になっていた。
その前まで同じ系列のスイミングスクールの会員だった。

テニススクールを辞めて運動量が少なくなり、健康診断で動脈硬化がちょっと表れた。
体重もさほど変化は無かったので、びっくりした。
そこで自宅から近い今のフィットネスクラブの会員になり、アクアビクス(ウォーターエアロ)
のレッスンを週2回一年間とっていた。
一年後、あまり身体が締まらないのでかなづちの私でも一年習ったら泳げるようになるかと
思い、スイミングスクールと二本立てでレッスンを受けた。
それから二年後、プールは寒くて脂肪が付く事に気付く。
そして陸に上がる決心をした。
丁度アクアビクスの先生がエアロも教えていたので、この年でも出来るか心配で相談したら
全然大丈夫と言われ、その気になってエアロビを始めたのでした。
チーフトレーナーは土、日はプールの監視員も兼ねていたので、顔見知りではあった。
10年の付合いになる。
インストラクターのS先生とは8年の付合いだ。
皆さんとっても良く面倒みてくれます。今現在もS先生には相談する事があります。
リハビリのメニュー、筋トレのメニューに関しては私も長い事ジムに通っているので、
今は自分で工夫してアレンジしてやっている。
時々昔のメニューを見ると、よくこんなハードな事してたなぁと思うことがある。
今度時間のある時ここでもメニュー紹介できたらと思いますが、いつの事やら。
口だけ女ですから。わたくし。



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2002年12月31日 退院二週間目
アリOと第一OOの二本、請求。簡易保険とOOラックは年明けにしようと思う。
スポーツブラを買いに行って来た。1,800円でBVDのを色違いで4枚買った。
トリンプのブラを見てたら年配の店員さんがいたので、リマンマ製品あるか聞いた。
トリンプではやってないようだ。
★私はトリンプ派なのです。トリンプはバストポイントがワコールより離れています。
乳癌の患者さんも多いらしく相談にのっているとか。
私が手術をしてどうこう話したら、ブラじゃない下着売り場を教えてくれた。
前に私が見たスポーツブラだった。
本当は皆さんブラが上がってくるので、普通のノースリーブにカップの付いたものに
していると言ってた。
でもそれだと、その上にTシャツを着ると二枚着る様になるので、ダメ元で
スポーツブラを買い、トリンプのエンジェルパッドを1組800円で買った。
家で入れてみたけど、パッドは入れないでガーゼでOK又はパンストでもいいかも。
上がってこないし、傷も丁度隠れている。
★もともとソフトパッドが付いてるので、手術した左側に右の高さと同じになるよう、
詰め物を足すという事です。
実際私のお手製のブラジャーは誰も気付かないくらい自然だったようだ。
この時はBカップだったので揺れなかった。
今はCカップになっても人工乳房なので揺れない。(*^_^*)
何たって肋骨と大胸筋にサンドされてるから、寄せて上げては必要ない。
5日からジムに復帰するための準備として、スポーツブラの準備をしていたようです。
胸の大きな人が全摘すると、バランスが悪くなるらしい。
それだけ重いのだろう。私にはわからない事だけど。
だから私のお手製ブラは、古いブラを丸く切り抜いてそれをカップの山に合わせパンストに
入れ、形を整えたものをブラジャーの裏に縫い付けていました。(同系色で作ると目立たない)
pm11:30
買ってきたスポーツブラにパッドを入れた。
だんだん作り方が上手になっている。悲しい事だけど。
今一人です。K子は早くに寝てしまった。
疲れたのかも知れない。買い物に2度も行ったし。
今日で4日目。3日目ぐらいから私の方がイラついている。
やはり一人の生活が長いので、人と合わせた時間で行動するのは難しい。
せっかく来て手伝って面倒みてもらっているのだが、本心を言えば一人の方が気楽だ。
でも、ずっと一緒にいるとこうして早く寝られると淋しくなる。
何でだろう。
一人の年末年始なんて、毎年の事なのに何でだろう。淋しい。不安?
来年はどんな年になるんだろう。
今迄こんな事考える事もなく、淡淡と新年を迎えていたはずなのに、何でだろう。
ちょっとお酒が入っているせいかな?
院長先生が言った言葉。
「家に帰って一人になると落ち込むからがんばって」・・・と。
本当にそうなりそうで怖い。
今迄一週間一人の時間があったけど、毎日出かけたりする用事があったので、
淋しく感じる事も無かった。
本当に一人になって会社に復帰するまでの間、私どうなっちゃうんだろうか?
本当に落ち込むのかな?これが副作用のうつ病という事?
一体何なの私。どうなるの私。どうなってるの私。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今読み返すとおかしい!(#^.^#) 何かに不安を感じているようだ。
落ち込むのかと落ち込む前に気に病んでる。
実際の副作用はこれから何年も経って、ゾラデックスを使ってからの事で、
主治医に言われるまで自分がプチうつ状態に入り込むところだったのを
まったく気付かなかった。
まだ退院して二週間で、薬だってそんなに飲んでないのにそんなに早くうつなんて
ならないでしょう。
今なら分かるけど、当時は病気や治療の事なんにも解ってなかったから、不安に
なったのかも知れない。他人を見てるようだ。
姪は12/28~1/2まで大切な冬休みを私の為に費やしてくれたのでした。<(_ _)>



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押入れの整理をしていたら、手帳が出てきた。
1992年の物だった。続きを読もうと思い色々探していたら、何年分もの手帳が缶の中
から出てきた。
乳がんがどこから発生するに至ったか、どんな診断を受けていたか、ずっと年月を追って
読み返した。
検査の日はちゃんと手帳に書いてあった。
1993年と2001年の手帳が見当たらなかったが、その他の年代のは全てあった。
最初は1992年2/20 筋腫で退院する4日前だった。半年後にまた診てもらってる。
1993年はどうだったかわからない。
1994年から細胞診を始めてる。4/14の検査で左胸内側に新たにしこりが
できたらしい。5月に細胞診、9月、そして半年後と検査。
1995年4/13と10/19この日左胸にガンの芽があるため3ヶ月後にマンモグラフィとある。
1996年1月マンモグラフィで細胞が増えているとの事。
1/16エコーに細胞診の予定がエコーで異常発見できず、院長先生は細胞診をしたい
ようだたが、探しきれる自信が無いという事で、3ヶ月後にマンモを撮るとの事。
そして大きくなっているかどうかを確かめる。
放射線をあまり浴びさせたくないから、前回の拡大写真と同じ方法で場所を指定して
撮るとの話だったようだ。
このくだりの部分は私も覚えている。思い出した。
5/14マンモ、細胞診。
結果について院長先生が直接電話をくれたらしいが、それについては全く覚えていない。
その時先生が「いずれにしても我々も注目していますから」と言ったと書いてある。
そして私の思いは、注目しているとはどういう意味なのか?と書いてある。
1997年5/22検査。だから結果は悪くなかったのだろう。
1998年3/5 この時が医大で院長先生診察の最後のようだ。
この時開業のため退職する事を聞いている。一年後に検診するようにとの話だったようだ。
だから最後の方は3ヶ月毎ではなくて、1年毎だったようだ。
1997、1998は1年に1回の検診だったのだ。
だからこれでもうガンにはならないと思ったのかも知れない。
これが3ヶ月毎、半年毎だったら検診を受けていたのかも知れない。 本当にびっくりした。
3ヶ月毎のイメージがあったから、そうだとばかり思ってたのに。
やっぱり1994~1996はかなり疑わしい新しいしこりがあったようだ。
しかし、実際にはそれから6~8年経ってガンになった事になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この経緯はそれぞれ乳がんの生い立ちで書いてますが、あえて流れを知るために
ここに書く事にしました。
これらの事を私はすっかり忘れていたのです。
そして、退院して13日目に手帳を見つけたのでした。今から5年前でした。
それでもブログを立ち上げる時、もう一度手帳を見て記憶を辿りました。
私は昔から検査内容よりも、先生との会話をメモっていたようです。



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2002年12月29日(日) 退院12日目
これから二週間、次にクリニックに行くまで体調も悪くならなければいいのだけど。
ちょっと頭痛がしたけど、今は大丈夫。
お昼に熱を計ったら37.2度だった。
これから検温は一日一回はした方がいいかも。
昨日絆創膏を剥いで、先生がヌメリを取るのにベンジンで拭いたのだが、その跡が
ヒリヒリして、家に帰って見たら赤く水ぶくれになっていた。
先生はその事を何にも言わなかった。
確かにちょっと痒くて、手を伸ばしたらズリっと皮膚が剥ける感じだった。
Y先生、あなたは一体どんな先生なの?信用おけるのか?信頼していいのか?
手術まではいいけど、その後の処置に関して又退院してからの事に関して、ケアが
足りない気がするんだけど・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Y先生に対して、この時点でこんな風に思っていたとは、忘れてました。
今はどうなんでしょうか?ふふふ・・・・。
主治医であるY先生について5年間で分かった事。
気さくで元気で一番話しやすいかも。(自分の事なんちゃって副院長と言ってましたから)
クリニックでもファンの人が多いらしい。私はA先生のファンですけど。
う~ん、今のところ患者の意見は尊重してくれる。
自分の希望する治療について考えてくれるんだけど、結構受入れてくれるので、
それはそれでちょっと不安になる。自分のチョイスがベストか?と不安になるのです。
1月にホルモン治療が後何年か?という話になって、「止めてもいいよ」とすぐ答える。
もしかしたら先生は私の性格をよんでて、「止めてもいいよ」と言ったら「続ける」と答える事を
知ってるのかも?考え過ぎ?
だから治療法について提案するのも、自分はこうしたいとはっきりしたものが決まらないと
中途半端な気持ちで提案はできない。結構長い期間悩む事になる。
そしてどうしてそう思うのか、自分の中で説明できるようデータも集めなくてはいけない。
もっと慎重だと今以上に信頼がおけるのだけど・・・。
本当は慎重にやってくれてるのを、話し方が慎重さに欠けると思わせるところもあるような・・・。
私の性格としてはA先生が慎重で、処置も丁寧なので主治医より信頼できるかもと思ったり
するけど、A先生の患者さんの話では診察中も何か聞きたいと思っても忙しそうで、聞きづらい
と言っている。
それを考えると、私の主治医の方がまだ患者側から話しやすい雰囲気は持っている。
それにY先生だけは検査結果で異常がなくても電話をくれるので、診察の時に聞くのを忘れた
事なんかを質問したりできる。
この検査結果は診察から一週間後くらいなので、結構自分の中で診察時の事を思い出して
はっきりしない事なんかを確かめたりすることができるので、この時間は重要です。
やっぱりY先生が主治医で良かったのかも・・・・・・。



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今朝会社に着き、いつものようにPCを開きメールのチェックをした。
めずらしく次姉からメールが入っていた。
しかも日付が昨日の夜11時半過ぎだった。
きっと私が携帯メールをチェックしない事知ってるから、会社のPCに入れたんだな
と思った。
メールの内容も緊急を要する内容だった。
Fwで何度か転送されている友達からのメールを転送したようだった。
小さな子(3歳の晴君)が急性リンパ性白血病とかなんかで、Rh-B型の血液が
不足して、治療ができないという内容だった。
16日に昭和医大に入院し、血液が足りないので献血をしてもらい、それを中央部で
収集し検査して2~3日後に使えるとか・・・・・。
知人や職場の人に該当する人がいないかという事だった。
姉からの転送メールという事で、すっかり信用してしまった。
こんな個人的なメールで間に合うのか?と思いながらも、とにかく最寄りで献血を
して欲しいという内容だったので、誰に害を与える事もないかと単純に信じてしまった。
まず自分の支店の女の子と本社の知ってる女の子にメールを転送した。
しっかり姉のメルアドを付けたままで全文そのままに。
続いて自分のブログにも載せた。少しでも多くの人の目に触れた方がいいかと思った。
それから全国に知らせるなら、他支店にもと思い自分と同じ部署の他支店の女の子に
メールした。
次にこことは違う形でたま~に日記をつけてるところで、自分のブログと同じ内容のもの
をコピペして記事にした。
そして最後に最近訪問しているブログなのですが、セントの聖(ひじり)にコメントを入れた。
コメント欄に入れたと言った方が正しい。
なぜこのブログだったかというと、管理者が現役のお医者さんで実名でブログを
運営していた事と、内科医なのに一瞬私は小児科医と勘違いしたようです。
それとブログの内容を読んでて、先生なら少なくとも無視はしないと思ったから。
そうこうしている内に受信確認メール、返信メールが続々と届いた。
本社には二人に送ったのだが、その内の一人は会社の電子掲示板に載せたらどうか
と言ってきた。
いくらなんでもそれは公私混同過ぎると返事を書いてたら、九州支店の女の子から
次のようなメールが入った。
そのまま転載します。
お疲れ様です。
今朝のメールを拝見させて頂きました。 返信遅れてすみません。
日本赤十字社のホームページより、下記URL のような案内を見つけました。
http://www.jrc.or.jp/info/1350.html
(とっくに解決しているかもしれませんが…)
頂いたメールは、もしかして この一環なのでは…と疑ってみているところです。
日本赤十字社からの見解なので、さすがに この情報の方がより信憑性があるかと
思われます。
すみません、最初から疑った形でものを見るようなことをして。
念のため 現況確認されてみてはいかがでしょうか??
が~ん!!! やられたぁ~
それからは謝罪メールと記事の削除と大変なお昼前となった。
一段落した後、彼女達から返信メールが届いた。
本社のもう一人の彼女と、お昼一緒に食べてる支店の女の子が、やはり同じ内容の
メールがお昼にチェックしたところ、友達から入っていたという事でした。
★九州支店の彼女から
お疲れ様です。
人の親切や良心につけ込んでこのようなことをするのって
本当に許せないですよね。
逆に私は、ガーネットさんの一生懸命さや、本気で人を助けてあげようとする
優しさに感心させられた反面で、なんて自分はダークな人間なんだろうかと
思わされた次第です。(苦笑)。
午前中はさぞ大変だったでしょう? おつかれさまでしたー。
これを機会に めったに交流することのない人間との交流がもてたということで、
それでよかったと思って、なるべく腹を立てずに居てくださいませ!!
では!
★広島支店の彼女から
ホント気にしないでください。
でも、こういうのって「力になってあげたいっ!」って思うのが人情ですから・・・・。
実は、私、組合の書記長もしているので、思わず、広島支店の組合員全員に
転送しようかと思ってたんです・・・(^_^;)
みんな、同じです。
まだまだ返信着てたのですが、浅はかな自分に腹がたち削除しちゃいました。
最後に寛大な心で許していただいたセントの聖の管理人である白井先生からの
メールで今日の事件報告を終わります。 がぁくぅぅぅ・・・・
★白井先生から
あやまることではないですよ。
どうかお気になさらずに!
>ここにトラバしていいですか?
もちろん、どうぞ!
>先生にコメント入れたことは伏せますので。
ふせなくてもいいですよ(笑)
>それと、リンクしていただいてたんですね。
スミマセン。勝手に♪
>私のブログにも貼っていいですか?
もちろんです。うれしいです!
先生、ガーネットの心のケア・・・・カタジケナイ・・・・



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2002年12月28日(土) 退院11日目
K子(姪)が来て色々やってくれている。
12:00 クリニック
Y先生が今日の処置をしてくれた。
退院以来会うのは初めてだったので、先生よりシャンパンのお礼を言われた。
「お久し振り、ご無沙汰してました。高いシャンパンありがとうございました」と、
ちょっとご機嫌な挨拶だった。
今日傷を見たら硬くなっているし、引きつれている感じが少し出ていた。
Y先生が脂肪のある人だと、もっとぼこぼこすると言った意味が解ってきた。
これから益々硬くなるそうなので、傷の感じもぼこぼこが目立つかも知れない。
Dr : 運動してる?
ガ : (チャンス!)来月正月明けからジムに行きたいんですけど。
Dr : いいんじゃない。
ガ : エアロの早い動きはまだ無理なので、軽いランニングとストレッチ、リハビリを
兼ねてやりたいんです。
浮腫みが出るようなら又考えなくてはいけないか?
処置をしている時、病棟担当の看護婦さんが患者さんを連れて降りて来ていたのだが、
何かをY先生に頼んだ時「院長か、A先生に頼め。言えって」という言い方をしていた。
Y先生があんな強い言い方をするなんて、しかも患者の私の治療をしながら・・・・。
困ってる看護婦さんに、何度も「言えって」と言ってた。
その後誰もいなくなって二人になった時・・・・
ガ : 保険の書類を持ってきたので、証明を書いて欲しいんですけど。
Dr : あっいいよ。今書くから。
ガ : あっ、でも4枚もあるんですよ。
Dr : いいの。そうしないと嫌な仕事しなくちゃいけないから。
書いてたら忙しいと言えるから。内緒だよ!
ガ : せめぎ合いですね!(私は大声で笑ったけど、何かスッキリしない気分・・・・)
先生がそんな話をするなんて、思ってもみなかった。
嫌な仕事って何だろう?
聞きたかった。「お医者さんの仕事で嫌な仕事ってあるんですか・・・?」と。
一体どんな事なんだろう?
これは他の人に言わない方がいいかな。
どこからか漏れて院長先生や、A先生の耳に入ったらやばいし。
次回予定は1/11(土)を予定していたが、先生が検診で出張みたいで1/15(水)に
延ばした。
良く数えてみたら29日目で薬がもう1日で切れる日だった。
婦長さんに「ガーネットさん」と声を掛けられた。
「あっお世話になりました」 「こちらこそ、お薬はあるの?」
婦長さんは二週間分貰っていると思ってたようだが、私は一ヶ月分貰っていた。
会計のところで偶然同室だったおばあちゃんに会い、話していたら院長先生が
やって来た。
「シャンパンありがとうございました」と又改めてお礼を言われた。
「元気そうだね」 「元気です」
クリニックからの帰り、いつものようにランチをするべくあるお店に入った。
入ってから思い出した。診断書料4通分で2万円支払った事を。がくっ・・・。 (*_*;
「あっすいません、用事思い出しました」と言って店を出た。しかも初めてのお店。
処置だけだと思い、すっかり診断書料の事忘れてて、お金は2万円しか持って行って
なかった。恥ずかしぃ~。何も食べずに自宅へ。
フィットネスに電話し、1月5日(日)にリハビリのメニューを作ってもらう事にした。
チーフトレーナーはその日は休みだったらしいのだが、私の為に14:30に来てくれるとの事。
S先生にも話して、アドバイスをしてもらいたいと思っている事を言ったら、「いいですね」
と言ってくれた。
★S先生はエアロビのインストラクターで理学療法士、専門学校で教鞭もとっている。
今も手術で休んだ後、復帰する時はS先生の初級クラスで身体を慣らす。
今回も再建手術後に復帰した時、もう殆ど手術したなんて解らないくらい、腕も上がってると
言われた。若干左は右より肩甲骨の引きが悪い。
更衣室のロッカーも左(術側)が壁になる一番端の場所を使えるように話をつけた。
★ロッカーは決まっていないので、普通はこんな我儘は許されません。
私はチーフトレーナーに病気の事を全部話し、協力してもらう方法をとりました。
だって運動は続けたいし、かと言って片胸が無い人を見たら皆さんがどう反応して
いいか困るんじゃないかと思うんですね。
私がカガミで自分の姿を見てグロテスクと思ったんだから、見慣れない人が見たら
びっくりして可哀そうでしょ?
それに指定した場所は普通使いづらい場所なので、尚更遠慮なく言えたのかも。
まぁ古い会員だったから言えるという事もあったかな。
★自宅では毎日朝、昼、夜とクリニックでやってたマンマ体操をしていた。
それでも傷のつっぱりはすごかった。はやく本格的なリハビリをしなくては。
先生のOKも出て、エアロビ復帰を目指すリハビリの準備をしていた。



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2002年12月27日(金) 退院10日目
Y子さんに電話したら、24日にまだ入院していると思い、クリニックに行ったとの事。
やはりもっと早く電話を入れるべきだった。申し訳ない事をしてしまった。
お正月三が日過ぎたら遊びに来てと言われた。
私もゆっくり話したいので、電話を入れて遊びに行くつもりだ。
何故か彼女には気を使わなくていい雰囲気がある。
★英会話教室で一緒だったのだが、今でもお付き合いのある方です。
いつも外国人の方を招いてホームパーティーをしているのですが、声を掛けて
いただきます。
彼女はボランティアで留学生に日本語を教えています。
だから色んな国の方とお話する機会をいただいた。
初めて海外旅行した時、英語が話せたらどんなに楽しいかと思った。
そして、1992年9月から英会話に通い始めた。
その2ヶ月前に兄を癌で亡くしていた。
明日が必ず来るとは限らない。明日の事は誰にもわからない。
今を悔いなく生きなくてはと思った。やりたい事は今始めようと。
いろんな新しい世界へチャレンジした10年間だった。
しかし左乳癌になり、抗がん剤、ホルモン治療で会社から帰ったら疲れて寝て
ばかりだったし、記憶ができない、集中力もなくなり、とても英語で話すなんて
気力が無くなった。そしてまたいつか始めればいいやと中止したのでした。
英会話は話す事をしなくなると簡単な単語も忘れてしまう。
たまにジムに来ている外国人と話すが、会話のチャンスは明らかに減ってる。
それでそろそろと思い始めた頃。
一昨年の10月に会社のすぐ近くの英会話教室に復帰したのですが、半年たたずに
今度は右乳癌発症でまた教室を止めてしまいました。
せっかく左乳癌の治療での副作用もなくなり、集中力も出てきたのでもう一度と
思っていたのですが残念です。
ただ一つ誤算だったのは、私は右乳癌の発症で今迄以上の強い治療になるものと
思っていたのです。
点滴の抗がん剤になると勝手に思い、戦う準備をしたのですが実際は抗がん剤は
無く、ホルモン剤だけだったのでした。
またどこか探そうかな。。。
明日K子(長姉の子)が来る。
公務員なのだが、冬休みなので身の回りの世話に来てくれるらしい。
★小さい頃私がおむつを替えた子が・・・・
何時に着くのかもっと早く電話すれば良かったんだけど、留守電になってた。
実家に帰っているのかも知れない。



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2002年12月25日(水) 退院8日目
今日は婦人科で日帰り手術したところの抜糸。
F病院に行く時はいつも大雪だ。今日もひどい雪だった。
抜糸もさほど痛くなく終わった。
F先生は「昨日病理検査の結果がきて、悪いものじゃなかったのでニヤニヤしていた」
と言ってた。
結果はクリニックのY先生にも手紙で出して下さるそうだ。
こんなやり取りはいつもあるのだろうか?
近くの洋菓子屋さんでプチシューを買って、医大で放射線治療をしているSさんを
見舞った。元気そうだった。
私が元気で婦人科の方の手術をし、しかも今日抜糸したのに歩いて大丈夫かと
心配していた。(彼女はとても慎重です)
Sさんともう一人入院いしてた人と退院時のお礼の話をしたら、二人共してないと言う。
Sさんは両親が何か渡していた様だと・・・本人は何か知らないそうだ。
そんなものなの? 私目立つ事しちゃったのかな。
Hさんの言ってた事はどうなの?(お礼辞退の貼紙は建前だって)
次姉から電話があった。
一人になったんで、落ち込んでないか心配してるのかも?昨日も電話あったし。
ありがたい事だ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
院長先生も言ってたけど、退院して自宅に戻り一人になると落ち込むからと。
しかし退院しても婦人科に行ったり、クリニックにも頻繁に水を抜きに行ったりで、
毎日忙しくしてたので落ち込んでる暇など無かった。
≪リアルタイムなお話≫
以前このブログで紹介した【チームオンコロジー】さんのブログについて。
私自身もまだこちらのブログを知って間が無いので、全て読んでるわけではありません。
今少しずつ時間を見て過去の記事に遡ってお邪魔しています。
今日読んだ記事で、以前ここで紹介した事がある掲示板について話しています。
皆さん参加してみてはいかがですか?
URLが古い表示になりますが(記事の日付の関係で)、リンクはきちんとされてますので、
問題ありません。
・・・・が、一応、こちらが新しい掲示板のURLです → http://teamoncology.com/
【2006.9.18 チームオンコロジーさんのブログより】
ガンの医療を語る掲示板



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2002年12月24日(火) 退院7日目 13:00
待合場所は各診察室の前なのだが、診察室1のドアが開いて、院長先生が患者さんの名前を呼んでいた。 チラっと目があった。
その後私が呼ばれて診察室2に入ったら、A先生だった。
腋の方にはもう溜まっていないとの事。胸の上の方に15mlぐらい溜まってた。
診察室で抜かれている時、院長先生が覗きに来ている雰囲気があった。
私は診察台に寝てるし、院長先生は私の頭の方にいるらしかった。
頭をずらしたら院長先生がちょっと見えた。
院長先生がA先生に、何か私の治療の事で聞いたんだけど、専門用語で分からない。
A先生が「イヤ・・・・・」と何か答えてた。
きっと抜いてるだけで傷の治り具合は良好というような話だったんだと想像する。
そして処置が終わって立ち上がったら院長先生が再び来て・・・・・
院 : ガーネットさん、この間はけっこうな物をいただいて・・・。
(腰を折って丁寧なお礼を言われた。院長先生でもあんなお礼するんだ・・・)
ガ : あっ・・・いいえ・・・
(と、腰を折って挨拶した途端に上半身素っ裸である事に気付いた )
(こんな格好でする話でも挨拶している場合でもないと思った)
先生、こんなところで・・・・やだぁ~ こんな格好で恥ずかしい~
(大声で笑ってしまった。 A先生もクックックと笑ってた。院長先生も笑って)
院 : あっ、早くこれ着て着て!
(と、いつも診察の時に掛けてるタオルの上着を掛けてくれた)
それで私は更衣室に入ってしまったんだけど、院長先生は手術の時も入っているし、
なんたって10年前から私を検診していたのだから、何で今更恥ずかしいなんて言う
のか理解できなかったかも。
私も診察台とか診察室で胸出してても何とも思わないけど、診察が済んでから見られるのは
恥ずかしいものだ。
院長先生は本当に気に掛けてくれてた。入院してる時も何度も話しかけてくれたし。
フレンチのランチを食べ、グラスワインを一杯飲んだ。
14:15 区役所で保険手続き用の書類を受取って帰って来た。



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2002年12月23日(月) 退院6日目 術後20日目
昨日より婦人科の抗生剤を飲み終えて、抗がん剤を飲み始めた。
★抗がん剤は点滴という固定観念を持っていたので、飲み薬?という感じだった。
今日も一日家の中にいた。 今日から一人の生活に戻った。
腰がちょっと痛くなったりしている。
明日はクリニックへ行くのと、区役所で書類を揃えてがん保険の受取人変更届けを
出さなくてはいけない。(まさか自分で受け取るとは)
長姉からも書類が届くので、明後日にでも作りたいと思うのだけど。
死亡受取人も父から長姉に名義変更する。(癌になったけど、両親より長生きする)
そうすると今回一回で全て変更できるとの事。
傷はかなり引きつりを感じるようになってきた。
3ヶ月間傷に貼っておくテープが少し剝がれてきたので、自分で切って貼り替えた。
★自分の胸にテープを貼るのは、思った以上に大変です。
脇の下からS字を横にした傷跡なので、一直線じゃないから難しい。
カガミを見ながらなので余計です。傷が開かないようになるべく傷を縮めて・・・。
この時結婚してたら旦那様や、子供達に貼ってもらえるのにって思った。
こんな理由で結婚してたらって思うの変?・・・・・・多分変だよね!ははは・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【術後の治療について】 ★入院前:組織診の結果説明 ★入院後:病理検査の結果説明
主治医の説明はホルモン治療が効くタイプだから、ノルバデックス。
抗がん剤は経口でフルツロンカプセル。
この頃の私は手術が終わっての術後補助療法の大切さや、病理検査の結果も
リンパ転移なしだけで不安が消えてしまい、あまり主治医に訊ねるということは
無かった。
病理検査で癌の何を調べ治療選択にどう関係するか等、これっぽっちも考えちゃ
いなかった。
あ~今考えると本当に恥ずかしい患者ですよ。まったく。
乳癌の怖さを知ってたのだろうか?と・・・全身病なのに・・・・。
でもね、知らなかったからのほほんと過ごせたというメリット(?)もあった。
調べれば調べるほどドツボにはまり、知れば知るほど疑問が生じ・・・。
どれがベストか分からなくなった。自分の選択が正しいのかどうなのか・・・。
でもこれだけは言える。
今必要じゃなくてもアンテナは張っておこうと。
皆さんは、ちゃんと主治医とお話できてますか?
私がこれから読む本です。ネットで購入しました。
「最高の医療をうけるための患者学」
何個か記事keepできてから読むので、今日読めるかなぁ~。まぁ手元にあるからいつでも・・・。
一緒に勉強しませんか?



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2002年12月22日(日) 退院5日目
次姉はpm4:15分の電車で発った。
飛行機が速くていいと思うのだが、電車で大宮に着く方が便利らしい。
飛行機代と電車代は、金額が大して変わらない。びっくり!
★姉はビールが好きなので、電車でゆっくり飲みながら帰りたいそうだ。おやじだ!
まぁ寝てる間に着くからゆっくり夜景を見ながらそれもいいかも。
買物、片付けと、本当に大変だったと思う。
でも、やっぱり長姉よりてきぱきしてるし時間の使い方も上手い。
★二人とも仕事を持っているが、長姉は自分の理容店なので出勤という事がないから、
意外と融通がきく分時間配分が上手くないような気がする。
お世話になっておきながら、こんな分析はいらないか。 長姉さんごめんなさい。
Sさんが頼んでいたホースを繋ぎに来てくれた。
今日は4時からテニスをするとの事。いつもなら私も一緒にしていたのに・・・。
私はもうテニスなんてできないかも知れない。
忘年会をするとかで誘われて行くつもりだったが、姉さんに
「人混みにあんまり行かない方がいい」と言われ止めた。
明日から片づけ物をして、部屋の要らない物を捨てようと思う。
自分でブラジャーを再製した。
古くなったブラのパッドを抜いて、気に入ってるブラにくっつけた。
3枚作った。アンダーが少しきついがいい感じにリマンマできた。
★この時期、縫物等の指先を使う動作は、長くやってると腕がだるくなった。
だんだん傷がひきつれを起こしている。
A先生が言った通りだ。
癒着して骨、筋肉、皮膚がくっついて治ってきているからとの事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私達のテニスは、文字通り俗に言うお嬢様テニスではない。(年も優雅さも)
皆何年もスクールに通い、レンタルコートで毎週やってる人ばかりで、中上級から上級
クラスの人ばかりだ。
男の人も入っているのでサーブやリターンも結構強い。
私は最初片手打ちだったのだが、その後両手打ちに変えた。
スライスやドロップショットでテニスエルボーになった。
それでもプロテクターやサポーターで固定し、夢中だった。
苦手はスマッシュ。ことごとくボレーされる。
私のテニスはリターンのコースで決めるタイプ。ラリー派ですね。
クリニックではテニス、ゴルフOKがでてましたが、そんな訳で私達のテニスは先生が考えるほど
ゆるいテニスではなかったので、この時はテニスに復帰はできないと思っていた。
でも、復帰しましたよ。
だけどだんだんテニス熱も薄れてきて、エアロビに夢中になってたので皆と腕の差が
出てきたようです。
ただ、筋トレをしていたので サーブが強力になり、微妙に変化するようでサービスエース
が取れるようになっていた。 ふぅ・・・懐かしい。もう2年くらいやってない。
私は熱しやすく、冷めやすいのです。何に対しても。
はまると結構続く。ブログ熱も冷めない事を、自分の事ながら願う。
ちょっと最近面倒になってきている。
記事の更新ではなく、その他の色んな事で・・上手く言えないけど神経が疲れる。
相手が見えてるようで見えてない。アイコンタクトってすごい事なんだなぁ~。
もっと気楽に自分の体験をと思ったのだが、ブログって・・・なんだ!



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2002年12月21日(土)
今日退院してから初めて一日中家にいた。
傷の方は皮膚のつっぱり感が少しある。
だんだん傷がくっついて治ってきているからだと思う。
次姉に薬局とスーパーで買物をしてもらった。
Sさんに明日灯油タンクのゴム管繋ぎを頼んでいる。
ついでに洗濯機も降ろしてもらおう。
保険証書も確認したので、24日に病院に行った帰りでも区役所へ寄ってみようかと思う。
★自分で書いておきながら、今読み返しても何の事か意味がわからない。
多分住民票か何か取りに行ったのかも
お風呂上がりに上半身をカガミで見てたら、心臓の動きがはっきりわかった。
それだけ上の筋肉が無くなったという事なのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★この時はまだ乳癌について何も調べてなく、本も読んでいなかった。
まるで知識が無いので乳腺を取ったのに、筋肉等とほざいてる。恥ずかしい!
この時の事は鮮明に覚えている。
同じ全摘でも右だと経験しない事です。心臓のある左乳癌全摘の方はわかると思う。
肋骨も一本一本数えられるほど、はっきりわかる。骸骨の標本みたいだった。
今までまじまじと術後の身体を見た事が無かった。
何てグロテスクなんだろうと思った。そしてちょっぴりおもしろいと思った。
TVでよく手術場面を見た時映っているような心臓の動きがそこにはあった。
ショックというより、自分もセミナーで見た写真と同じ体になったんだと、改めて思った。
5年前、乳腺クリニック開院の時、院長が開催したセミナーで初めて全摘乳癌患者の
写真を見たのだった。
医大からカルテを移動し、クリニックで引続き検診すると思っていたのに・・・・。
この時の写真は衝撃的だった。
多分術式も今より拡大して切除していると思うので、傷も肋骨の浮き出てるのも
かなりインパクトのある写真だった。
このブログをご覧いただいてる女性の方は、乳癌検診で経過観察が何年続いても、
ずっと継続して検診を続けて欲しいと思います。
私のようにならないで欲しいから・・・・・。 (>_<)
心臓の動きがはっきり分かるなんて、脈拍をとらなくてもいいんだから・・・・。
ある意味貴重な体験だった。
この時から人ごみを歩く時、ぶつからない様に左胸を手でカバーする様になった。
転倒が怖いので、スキー、スノーボードを止めてしまった。
今は乳房再建したので大丈夫ですが、乳房再建手術の話を主治医から聞いたのは、
一年半後の事でした。



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乳腺クリニックは13:00の予約だったので、その前にヨOOシで買物。
次姉と一緒に行き洗濯機と電話機を買ったのだが、すんなり決める事ができた。
駅直結のレストラン街でパスタを食べたが、のびきった麺でまずかった。
12時45分タクシーでクリニックへ。13時丁度に着いた。


A先生だった。
ガ : こんにちわ

Dr : あーこの間はありがとうございました。(わざわざ腰を折って)
どうもすみませんでした。イヤー他の先生達もすごく喜んでて・・・

「あれは良かった・・・」というような事を言ったので、本当に気に入って
もらえたのだと思う。
ガ : あっ、いいえ、そうですか・・・

普段クールな先生と違ってあまりに嬉しそうだったので、私も照れ臭くてその件に
ついてはあまり触れて欲しくなく、さっさと診察台に横になった。
それにしても、あんなに嬉しそうだったのはシャンパンに対して?

それとも一人一人に書いたカードに対して?

その後処置と説明。
傷はすごく良くなっているとの事だった。
今回は腋から23ml、胸から12mlと言ってたので35mlいう事でしょうか。
それでも火曜日に抜いて、水、木の2日間で35ml溜まったんだ。
今度は火曜日に今日ぐらいの時間でと言われた。土、日、月と3日空ける事になる。
先生には「昨日殆ど動かしてない」という様な事を言ったら、「やっぱり」と言ってた。
やはり動かすと水(水ではないですよ)が出るのだろうか?
でも、傷が癒着してきて骨と筋肉と皮が付いてくるので、つれた様な感じになると
言ってた。
夜8時頃、両側乳がんで一緒の時期入院していたTさんから電話があり、30分以上
も話をしていた。

12/30の予約を取り消して、1/8にしたそうだ。
私も1/8に最初入れてたので、それに合わせてくれたみたいな感じ。
ずっと27日からクリニックは予約で一杯のようだった。
10時半の診察で、その後ワコールのリマンマにももう電話しているみたいで、
そこに行ってから医大に入院してるSさんとHさん(温存で放射線治療のため)
のお見舞いに行くようだ。
私ももし来年行くならその日に合わせようかと思う。
★私達4人はお互いの住所と電話番号を交換していた。
Tさんの主治医は院長先生なのに、退院の時の書類か何かはY先生の名前だったそうだ。
私も外出届を出した時、主治医のサインはY先生ではなかった。
その場で対応した先生が主治医って事?
便宜上、どの先生も主治医欄にサインするのかな?
一体主治医は誰なの?




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2002年12月19日(木) 【退院2日後】
お昼、次姉が埼玉からわざわざ私の身の回りの事をしてくれる為、来てくれた。
入れ替わりに長姉が帰る。
電話で長姉から聞いた時はそんなに心配しなくてもと、断っていたのだが来てくれた。
それと入れ違いに私はおできの手術の為F病院へ。
次姉は「付いて行こうか」と言ってくれたけど、「そんな大げさなものじゃないから」と
断った。
病院は地下鉄駅のすぐ近くだ。
12時半に病院到着。病室に案内された。産婦人科なので妊婦さんもいるのだろう。
皆さんカーテンを引いてるので、顔が見えない。
寝てるのか起きてるのかも分からない。
私は病衣に着替えて、検温です。37.8度。微熱・・・・。
看護婦さんに「大丈夫?、興奮してる?」と聞かれたが、別にどこも何ともない。
この後水枕を持って来てくれて、何度も検温が始まった。
手術の前に剃毛があった。子宮筋腫の手術以来の剃毛です。
ものすごい広くて、手術場とも違う見た事無い感じの部屋だった。とっても寒かった。
ここで風邪ひきそうだった。
若い看護婦さんでしたが、色々話をした。
こんな格好でする話ではないが、今迄のいきさつやら何やら。
偶然彼女は私の主治医に甲状腺を診てもらっているそうで、
「これからは乳がんの検診もしてもらおう」と言っていた。
ストレッチャーでEVに乗り手術場へ。
看護婦さん同士の申し送りで「左マンマです」と言い、バインダーにもすぐそれと分かる
ように工夫されたカルテが挟んであった。
ここで初めてマンマという言葉を聞いた。
手術場へ。隣と簡単な仕切りがあり、そこでも何かの手術が行われていた。
多分整形の手術だと思う。
でも、自分の手術の横で知らない誰かが違う診療科目の手術をしているなんて、
初めて見た。不思議な感じがした。
一人の女性が「ガーネットさん、がんばって!」と手術台の私の手を握ってきた。
見たら手術着でマスク、キャップも被ってる。誰やらわからない。看護婦さん?
きょとんとしている私に「Fです」と告げた。先生だ! 目が笑っていた。
★最初に局所麻酔。婦人科の局所麻酔ですよ。わかりますね。
麻酔ってどこでも打つんですね。びっくりです。
いろんな痛い思いしてきたけど、そして我慢強い私ですが今迄で一番痛い麻酔だった。
歯医者さんの麻酔の10倍痛い感じかな。
注射針が刺さった時、初めて奥歯を噛みしめ息を止めました。(がまん!)
何回も刺してましたね。結構長く感じた。
そして先生が「痛くないでしょ?」と言った時はもう麻酔が効いていた。
手術は4時に始まり、30分程で終わった。
先生が思ってたより奥深くしこりになっていたようだ。
先生が採り終わった物を見せてくれて、「一応検査に出しますね」・・・と。
★病室に戻った看護師さんが「痛くなかった?!」と聞いてきた。やっぱり痛い注射なんだ!
乳腺クリニックの婦長さんから、婦人科の方の抗生物質を飲み終わってから、
抗がん剤(フルツロン)を飲むように言われた事をF先生に伝えた。
そしたらY先生からのお手紙にもちゃんと書いてあり、その後に塗る軟膏も指定して
あったそうで、ゲンタシン軟膏が処方された。
病室に戻る時EVで先生が乗り込むのと鉢合せした。
看護婦さん達は一瞬たじろぎ、先生に優先権を渡そうとした。
「患者さんが一番よ!」とひと言。
★先生の厳しい指導を垣間見た瞬間でした。
先生は患者さんにはとてもやさしいですが、看護師さんには厳しいです。
夕食だけが楽しみだった。
今迄何度か入院いているが、こんな美味しい病院食を食べた事がない。
妊婦さんの食事なのかな?栄養満点の美味しい食事だった。 完食!
先生が病室に来るかなと思ったが、それもなく会計を済ませた時、
「誰か迎えに来るんですか?」と受付の女性が心配そうに訊ねた。
「いいえ、タクシーで帰ります!」と答えたのだが、こんな時はやはり誰かと
来るものなのかなぁ~? 明日からお風呂も入れるとの事だった。



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2002年12月17日(火) ≪術後二週間目 退院≫
【最後の処置A先生】
いつも通り7時起床、検温、洗顔、朝食、シャンプー、洋服に着替えたらもう
9時に近い。9時過ぎ2Fに降りて入院費精算を頼む。
9時15分タクシーを頼んだが、大雪と地下鉄の事故とで、指定の時間までに行けない
との事で断わった。
12月とは思えない大雪、姉が外でタクシーを捉まえてくれた。
N病院に到着。9時半過ぎに造影剤を静注。
一緒に注射をした人が話しかけてきた。
私が持っていた先生からのお手紙の封筒を見たらしく、「乳腺外科から来たの?」と
聞かれ話し始めたら、1年前に手術をして主治医は院長先生だった。
【ここからは手帳のメモより思い出し書いてみます】
写真撮影の予定は13:30なので、それまでは自由時間だ。いざ買い物へ。
まず、文具専門店でクリニックスタッフにお礼の品と、カードを買う。
時期的にクリスマスも近いので、お礼状もクリスマスカードにした。
看護婦さんへのお礼は水性ボールペンの2本組にし、1本は黒でもう1本は色んな色
を組み合わせた。
15セット封筒に入れリボンを付けてもらった。これにポップアップのカードを添付。
3人の先生にはそれぞれ私が感じたイメージでカードを探した。
主治医のY先生には、明るく元気なイメージで赤い洋服を着たサンタのカード。
A先生には知的でクールなイメージの青い洋服を着たサンタのカード。
院長先生には穏やかで心を癒してくれるイメージでモミの木のカード。
続いて近くのデパートへ行き、先生方へシャンパン(白)を3本買う。クリスマスだから。
★私はシャンパンもワインも詳しくないが、適当に値段で選んだらよく知られたところの
シャンパンだったようで(碇のマーク)、その後TVドラマの画面でよく見かけた。
最初は主治医だけにと思っていたが、日曜日院長先生の処置を受けたので二人にと
思い・・・けど、三人先生いるのに二人というのも何かと思い直し全員にする事にした。
お昼です。近くのファッションビルに入り、レストランの入ってるフロアーを一回り。
姉が何を思ったか一度食べてみたいというので、ナシゴレンを食べる事にした。
「癖のある味だよ」と一応注意はしておいたが、食後の言葉「もう食べる事無いわ」。
食事をしながらカードを書いた。
食事も済み、B2Fまでエスカレーターで降りたら靴屋さん。
目に入ったのがキャメル色のロングブーツ。乗馬靴のようにベルトがいい感じ。
「ブーツが私に買ってって言ってる」と衝動買い。
入院した時はまさか退院した日に買い物するなんて思ってなかったので、カードも
持って来てなかった。全て現金での買い物となった。
これが退院した日に骨シンチを受けるまでの私の行動です。
訪問者リストに載っていたあるブログ
プロフィールの紹介文に怪しい雰囲気が・・・・・覗こうかどうしようか迷った。
そしてこれがその怪しい紹介文
一般人の兄がBL(やおいとも言う)好きの妹の不可解な行動や言動を詳細に記録したとても貴重なドキュメンタリー。アホな妹暴走中!! 多少Hな表現も含みますので未成年の方は保護者と一緒にご覧下さい。
>妹の不可解な行動や言動を詳細に記録したとても貴重なドキュメンタリー。
>多少Hな表現も含みますので未成年の方は保護者と一緒にご覧下さい。
この部分で管理人の誠実な感じがあったので、削除しないで何日かそのままにしていた。
ある日ブログを覘いたら、初っ端からかなり面白かった。
ちなみに、この時は 『BL(やおいとも言う)』 この意味は解ってなかった。
そしてコメントをいれたのです。
【管理人からのお返事】
そうですか、訪問者リストにこのブログがのっていたとき、変なブログへの誘いと思って
入ってこなかったんですね。
でも、保留はしてたんですね!!!
素質は十分あると思います。
何のかはあえていいません…………
実際、変なブログなので入ってきて速攻で帰っていく人も多いと思います。最初の記事に
いきなり全裸とか書いてるし……
でも大丈夫です、変なとこクリックしても架空請求も来ないですし、18禁の画像も
いっさい載ってません。
そんな、BLもの見てるより異性とのエッチ画像でも見なさいと親に怒られてる人も
いるとかいないとか……(親心?……)
【10日に私が入れたコメント】
腐女子を検索・・・・
サラッと読んだら「私も腐女子です」という書き込みがあちこちで。
腐女子? 何、何が腐ってんの? 何の事?
googleで検索。さすがgoogle情報満載!
そうかそういう事ね。それでBLね。解った。
それを踏まえてまた読んでみる。勉強になるわぁ~。
でもこれって役立つ?
まぁ私はお兄ちゃんの文章が好きだから。
まずは、「ブラックペアン1988」読まなきゃ。
ははは・・・・。
去年の夏買ってまだ読んでないから。
追記:本読み終えて、ここの記事も1ヶ月分読んで、やっぱり面白いので、リンクする事にします。
私のブログのテーマとはちょっと合わないけど面白いのは免疫力UPで、これも健康の為(?)
とコジツケで・・・!(^^)!
兄のBL妹観察日記
読んでて面白くて、それでいて何だか癒されるような、ほ~んわかした気分になる
不思議なブログです。
お兄ちゃんのコメントもいいんだなぁ~・・・・



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≪リアルタイムなお話 ’08.2.7(木)≫
今日は、形成外科に寄って抜糸してから出勤だったので、朝ちょっとゆっくりする
時間があった。
PCを開いて最近訪問していただいてる方で、【れんぎょう】さんと言う方のブログを訪問した。
私も何度か訪問しているが、コメントを入れた事は無かった。
今日はおもしろい記事を発見したので、ちょっと遊んでみる事にしました。
最初の出どこは分からないらしいのですが、結構ブログで見かけるようです。
きっとブロガーの輪が同じだと、そんな機会も増えるのかも知れないですね。
私はまだブログ暦3ヶ月なので見た事ないですけど。
だから私のは、ある意味飛び火したようなものでしょうか。
誰でも掲載していいみたいなので今日はコメントを残して、ここでも掲載してみますね。
どんな風に広がっていくのか面白いと思いませんか?
なのでここからバトンを回して下さる方は、できればコメントかURL、
を残していって欲しいですね。
こちらからも訪問したいと思いますので、宜しくお願い致します。
---調味料バトン---
Q1 次のメニューにどんな調味料をかけますか? 薬味は含みません。
* 目玉焼き・・・基本は塩、コショウ少々に醤油。
* 納豆・・・あんまり食べないけど添付されてるタレと、からしは絶対入れる。
* 冷奴・・・あんまり食べないけど醤油。
* 餃子・・・醤油、酢、ごま油、とラー油は絶対入れる。
* カレーライス・・・そのまま。最近はスープカレーだけど。
* ナポリタン・・・粉チーズ、タバスコは絶対かける。
* 生キャベツ・・・ドレッシング、マヨネーズ、ソースのいずれか。メインが何かで変わる。
目玉焼きと一緒の時は絶対醤油。
* トマト・・・あんまり好きじゃないので、サラダで食べる時はドレッシングかマヨネーズ。
健康の為に食べようとする時は、お砂糖をかけて甘くしてデザート感覚。
* サラダ・・・ノンオイルのドレッシング。
* カキフライ・・・ほとんど食べないけど醤油かな?
* メンチカツ・・・食べない。
* コロッケ・・・つけない。かぼちゃのコロッケしか食べないので。
* 天ぷら・・・自分で揚げた時は醤油。外食は天つゆ。
天ぷらはお蕎麦屋さんで食べる事が多いかな。天ざるが好き。
* とんかつ・・・カツには醤油、添え物のキャベツはソース。近頃食べてない。
* ご飯(おかず無しの時)・・・イカのキムチ和え、サワガニの油揚げキムチ和え。
(韓国の人に頼んで通販でゲット)
骨折だらけのさわがに・・・・最初はちょっと勇気ある一口だった。 食べたらおいしい!!
韓国産の生姜飴はキャラメルみたいな感じ。右端は韓国茶で会社のYちゃんから貰ったもの。
ちょっと道草してしまいました。続けて・・・・・・・
Q2 周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか?
★驚かれるより合う合うと言われるのは、あんドーナツと牛乳!
Q3 それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?
★特に思いつかないなぁ~。食わず嫌いだから・・・。
Q4 バトンをまわしたい5名は誰ですか?
★この記事を読んでいただいてる皆さん。
皆さんからも誰かにバトン渡してみませんか?
もともとフライ物は大好きですが、お魚のフライが好きなので醤油をかける事が殆ど。
トンカツは食べたいけど、我慢してる。
コロッケはもともとあんまり食べない。ご飯のおかずというよりおやつ感覚。
こうしてみると病気になってから、あんまり揚げ物食べてないかも。
料理は醤油味が多いかな。辛い物が大好きで、酢はあんまり使わない。
【れんぎょうさんのブログの書込み】 あちこちのブログで見かけますから、
わたしも・・・と、言う方 ぜひどうぞ。



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時間がないので、コピペで掲載します。リンクURLクリックで飛ばない時はコピペで・・・・
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関西圏の方へご案内です。
以下のようなセミナーがあります。
ぜひ皆様のお友だちなどに、このセミナーをお知らせくださいませ。
12:30~個別相談なども予定されているようです。
詳細、申し込みは2月4日から始まります。
コチラ→http://rfl-jp.net/hp/ashiya/2007/をCheckしてみてくださいね。
もちろん男性でも参加OKですし、患者様でもどなたさまでもOKです。
チラシ、ポスター等もご入用でしたらお送りさせていただきます。ご一報くださいませ。
期間 :3月9日(日) セミナー
■ 催事名称 :「もっと知ってほしい 女性のがん」
■ 主催者 :芦屋市、日本対がん協会、
リレー・フォー・ライフ関西実行委員会
■ 開催時間 :13:30~16:30
■ 電話番号 :078-360-0898
■ 場所:ラポルテホール http://www.laporte.jp/
JR芦屋駅北側
●「気をつけたい女性のがん」
~子宮・卵巣など女性がかかる病気~
兵庫県がんセンター婦人科部長 西村 隆一郎氏
●「健康生活のおくり方」
~乳腺、消化器などの女性がかかりやすい病気~
元国立がんセンター薬剤療法部長 前茨城県立中央病院長
大倉 久直氏
●「セカンドオピニオンの大切さ」
~子宮がんになり早期発見・早期治療の重要性を感じて~
エッセイスト 逸見 晴恵氏
●「縄文探しの旅で乳がんといわれたとき」
~医療者と乳がん患者の通訳者~
漫画家 酒井 広子氏
■ 詳細説明
がんに罹っている人は年々増加し、2005年の厚生労働省の調査によるとその数142万人と推計されています。
あわせて女性特有のがんも増えています。
女性のがんを知り、定期的な健診や生活のおくり方を知ることで早期発見や予防につながります。
是非この機会にご参加頂き、がん対策にのぞみましょう。
※セミナー入場無料
※懇親会(参加費:1,000円)セミナー終了後、懇親会を開催する予定です。
お時間のある方は、お気軽にご参加下さい。
※定員200名(定員に達し次第締め切り)
※全て事前申込必要→詳しくは、ホームページ参照
http://rfl-jp.net/hp/ashiya/2007/
※詳しくは、上記 リレー・フォー・ライフ関西実行委員会
事務局(078-360-0898)まで、お問い合わせ下さいませ。
関東圏の方へご案内です。ちょっと時間がないですが・・・・・
●イベント情報 > ドラッグ・ラグ:私たちが知っておくべき事・できる事http://www.cancernet.jp/event...
ドラッグ・ラグ:私たちが知っておくべき事・できる事
開催日 2008年2月17日(日)
時間など ◆日時 2008年2月17日 13:00~16:30
(受付13:00~13:30)
◆場所 東京ウィメンズプラザ・ホール
◆参加費 無料
問い合わせ先
がん医療シンポジウム「ドラッグ・ラグ:私たちが知っておくべき事・できる事」
◆13:00-13:10 開会の挨拶とシンポジウム概要と背景説明
◆13:10-14:40
基調講演①「婦人科がん領域におけるドラッグ・ラグ:患者会の取り組み」
基調講演②「日本における医薬品(特に抗がん剤)の承認プロセスと問題点」
基調講演③「日本における未承認/適応外抗がん剤の現状」
◆14:40-15:00 休憩
◆15:00-16:20 パネルディスカッション 「ドラッグ・ラグ:私たちが知っておくべき事・できる事」
司会:読売新聞本社社会保障部 本田 麻由美
パネリスト:
体験者の立場から:卵巣がん体験者の会スマイリー 代表 片木 美穂
体験者家族の立場から:
研究者の立場から:東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学講座 準教授 小野 俊介
臨床医の立場から:国立がんセンター中央病院 内科 医長 勝俣 範之
臨床医の立場から:国立がんセンター中央病院 臨床検査部 部長 藤原 康弘
◆16:20-16:30 閉会の挨拶とシンポジウムのまとめ
◆17:00~19:00 懇親会
会場近くのヘルシー料理店にて。参加の場合はお申し込み時にお知らせ下さ
い。
参加費は、プラス3,000円となります。
◆申し込み方法 *先着順とし、定員に達し次第締め切ります。
1. 氏名(フリガナ)
2.お立場(がん患者、家族、医療職、医療関係企業、保険関係、等)
3. 連絡先(メール・電話・FAX・住所のうちいずれかで結構です)
4. 懇親会参加希望の有無
を記載の上、下記の優先順位で事務局までご連絡ください。
1. Eメール:seminar@cancernet.jp
2. Fax:03-5684-1926
3. 往復はがき
ヽ(*・_・)人(・_・*)人(*・_・)人(・_・*)ノヽ(*・_・)人(・_・*)人(*・_・)人(・_・*)ノ
●講座・セミナー
がんになっても私は私 ~女性のがん手術後のケア (全2回)
女性の健康セミナーhttp://www.women.city.yokoham...
内容●
女性特有のがんの手術を受けて不調や不安の中にあっても、自分でできることを探し、
あらたな1歩を踏み出しませんか。
このセミナーでは、手術後、パートナーとの向き合い方をはじめ、ふだんの生活をその人
らしく大切にしていくための役立つヒントをお伝えします。また、サポートグループを主宰
する体験者より体験の分かち合いについてお話をうかがいます。
手術後生じやすいリンパ浮腫を改善するための自分でできるケアの方法も実習します。
3月12日(水)13:30~16:00 セミナー
3月17日(月)13:30~15:30 手術後のリンパ浮腫のセルフケア
※どちらか1日のみの参加はできません。
講師●
高橋都(東京大学大学院講師・内科医師)
まつばらけい(子宮ガン・卵巣がん体験者サポートグループあいあい主宰)
佐藤佳代子(後藤学園リンパ浮腫研究所所長)
日時 2008年3月12日(水) 13:30~16:00 3月12日(水)13:30~16:00 、3月17日(月)13:30~15:30
対象・定員 ● 40人
費用 ● 2,520円(市外2,770円)
保育 ● あり
1歳6ヵ月~未就学の子どもが対象です。
利用は事前予約制、有料、先着順。
詳細は「保育利用について」のページをご参照下さい。
会場 ● アートフォーラムあざみ野 セミナールーム、健康スタジオ
アクセス ● 横浜市営地下鉄・東急田園都市線
あざみ野駅下車徒歩5分
受付方法 ● 1月11日から電話、HPにて先着順
申込方法 ● 電話 :
インターネット : 以下フォームにご記入の上、確認ボタンを押して下さい。
インターネットからお申込の方には、「お申込フォーム送信完了」
のお知らせが自動的に届きます。その後、担当者より別途
お申込完了のご連絡を差し上げます。
なお、担当者からの返信が数日以内に届かない場合は、通信上の障害の可能性がありますので、お手数ですが電話にて問合せをお願い致します。
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以上お知らせでした。勉強、勉強、他人事じゃないですよ皆さん。( ..)φメモメモ



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2002年12月16日(月) 術後13日目
【回診Y先生】
★退院が決まり婦人科でおできの手術を受ける為の準備を始めた。
この経緯は → 2002年6月~11月(知らぬが仏・・ 婦人科受診まで)
Y先生の診断は、血液検査の結果今の状態は貧血も無く良い。
抗ガン剤を飲んでからより、早い方が手術は良い。
この診断を経て、朝9時F病院に受診予約の電話を入れた。
とんとん拍子に話が進み、先生の方からY先生に直接電話をするとの事だったが、
婦長さんとF病院の誰かとで話がついたらしい。
先生がこの間の受診の時、
「ちょこちょことやってぱっと帰るじゃなく、4時間ぐらいかけてゆっくりやりましょう」
と言ったのは、入院扱いにして13:00に入って手術をして、夕食を食べて帰るという事らしい。
一応入院いう形になるんだそうだ。
12月17日の退院で、12月19日にF病院で手術をする事になる。
一週間後に処置に行く。
F先生がクリニックの婦長さんにデータ(血液検査等)の話をしてあり、クリニックからデータが
渡るので二度手間にならなくていいと言われた。
姉が来てくれて二度も荷物を運んでくれた。
「タクシー使って」と言ったのだが、散歩がてらと言って往復してくれた。
婦長さんが病室に来て色々と話をした。
「医大にずっと行って検診してたのにもったいない」と、院長先生とも話していたらしい。
「本当に残念だ」と言ってたという。
資料も残っていて「石灰化」と書いてあったという。
それはそうだ。
私も石灰化があるのは知っていた。3ヶ月後にマンモと言われていた時期が
あったのだから。
残念な事をしたというのは、本当に誰よりも私が・・・・・
でも、私はそれよりも見つけられてラッキーと思ったんだけど・・・・
先生にしてみたらやっぱり残念と思うだろう。ずっと診ていた訳だから。
婦 : 胸がそんなに大きくないから、乳頭があるだけでもそんなに差は感じないのに。
ガ : そんな腐ったの付けても・・・。
婦 : そこから癌が広がるなんて事はないんだよ。
でも先生の言い方はそんな感じじゃなかったと思うんだけど。
安全性を第一として、乳頭も取る話になったんだから。
もし、それが出来るんだったら院長先生がちゃんと言うと思うんだけどな。
家からパッドを持って来てもらい、シームレスブラに入れて着けてみた。
ガーゼを使わなくてもOKのようだ。
★なんのこっちゃ解らん人の為に説明。
入院する時は当然胸はあるのですが、術後全摘または大きく切って温存した人は、
退院する時ブラジャーが合わないので、ガーゼを入れて修正するのです。
明日は9時半にはNOO病院に向かわなくてはいけない。
荷物は殆ど今日持って行ったので、明日は直接病院に行き、10:00注射
13:30の撮影迄に買物をするつもり。
Mちゃんが来てくれた。
退院して家を出れるようになったら電話頂戴と、何度も言われた。
本当に今回の入院では何度も来てもらって、申し訳ない程MちゃんとOさんには迷惑を掛けた。
今日入院した人、私の事を「奥さん、奥さん」と呼ぶ。 (面倒なので奥さんになる)
★思い込みってすごい! はははは・・・・・
同室だったSさんとHさんが外来に来たついでに顔を見せてくれた。
SさんはA先生が手術に入っているとの事で、院長先生が診たとの事。
主治医と院長先生にお礼しようと思っていたけど、やはりするなら三人にしないと、
外来で主治医がいない時どの先生に当たるか分らないもの。
Oさんが癌保険の追加書類を持って来てくれた。
彼女の話ではK部長(上司ではありません)は近くまで来たらしいが、やはり入りづらくて
止めたとの事。 Oさんに「本人には言わないでくれ」と言ってたという。
彼女は総務部長も気に掛けていると言ってた。
会社に出ても始めは皆に手伝ってもらってと言ってたとか。口ではどんな事でも言える。
手伝ってもらえと言っても、今迄と違う態勢をとっている訳でもなし。



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2002年12月15日(日) 術後12日目
【 回診院長先生】
11時前、院長先生の回診だった。その後の人はA先生の回診の様だった。
今日も水を抜かれた。
昨日A先生は運動を少し控えてと言ったが、院長先生は「イヤ、動かしていいです」
と言ってた。そうなるとY先生と院長先生は同じスパルタなのかも知れない。
A先生はソフト型なのかな?
ガ : 左腕が右の様に痛くないのに動かないんですけど。
院 : イイヤ、2~3週間で戻ればいいから。
退院までに戻らなくてもいいという事なのかも知れない。
院 : 退院してから落ち込むからがんばって!
ガ : えっ、そうなんですか?
院 : 家に戻って独りになると落ち込むんだよね。
それはちょっと感じてた。
今は周りがそんな人ばかりだから感じてないけど、独りになってバカ笑いも
できなくなったら淋しくなり落ち込むかも?
Tさんは両方取ってしまっているけどとっても明るいし、ステージⅢだったけど
お互いリンパに転移は無かったという事でバンザイです。
院 : 間に合えばいいんだから。
石灰化は10年、20年で変わり、しこりになってからが早いから。
右の方もなる確率としては、10~20年で10人に1人が新たにできるから
だから2年に1回はレントゲンを撮って。
ガ : 今度はきちんと検診受けます。
院 : イヤ、僕もね胃の検診も、もうちょっとと延ばすから、人の事言えないんだよね。
今日の院長先生はとっても機嫌が良かった。
いつも悪くはないけど、院長先生は本当に気に掛けてくれて嬉しい。
Tさんの個室で退院の日に向けて、ブラジャーにパッドとか色々詰めて彼女が身に
着けている時、A先生が回診に来た。
私が思わず「アッ今胸を作っているところなんで」と言ったら「あっそうか、いいよ後でも」
と帰ろうとしたので、Hさんが「いいですよ」と言って入ってもらった。
★後で考えると変な会話だ。乳腺外科の先生に、胸作ってるって・・・・
その時の会話でリマンマ製品と言って、ワコールの医療部で身体に合ったサイズで
作ってくれるという事なので、私もパンフを貰いちゃんとしたのを作ろうと思う。
スポーツブラも欲しいし。
TさんがA先生との話を教えてくれた。
T : 今胸を作ってガーネットさんにどお?って見てもらったら、もっと上なんじゃ
ないのって言われたんですよ。
Dr : あーそういう患者さん同士のふれあいもいいかもね。
今迄そんな人達はいなかったのだろうか?
私達はお互いに身体を見せ合っているから、Tさんとは何だか気が合いそうです。
看護婦さんだし色々と患者さんも見てるどろうから、心のケアも慣れているのかも
知れない。本当に明るい強い人だ。
同室のHさんは退院の時先生にお礼をして行った。私も何か考えよう。
★Hさんに掲示板に「心遣いはしないで下さい」って貼紙してあると言ったら、
あんなのは何処でも貼ってると言われた。そうなんだ。
医大に入院した時も掲示してたんで、私は素直に何のお礼もしないで退院したのでした。
看護婦さんにはハンカチ、先生にはワインと思っているのだけど、三人の先生に
した方がいいのか、主治医だけにした方がいいのか、ちょっと迷っています。
2002年12月14日(土) 術後11日目
【 回診A先生】
今朝の回診はA先生だった。
初めてちゃんと顔を見て話をしたんだけど、今日は色々話してくれた。
私は主治医が違うので、他の人とは違う感じだったんだけど、テープもきちんと
貼ってくれた。A先生なかなかいい感じです。
主治医のY先生もとても親切でいいんだけど、何かそそっかしい感じが
しないでもない。
ソフトな話し方じゃないからかな?
今日も注射針で抜かれた。 昨日より出た。
「あんまり動かさないで少し運動控えて」と言われた。動かし過ぎだろうか?
昨日はY先生「今迄通り動かしてて良い」と言ってたけど、今日はあんまり
動かさないでと言われた。
先生によっていろいろ違うもんだな。傷はきれいだと言ってた。
1時前にY先生がNOO病院の検査のメモを持って来たんだけど、17日(火)に
私が退院する日11時に入院する人がいるので、荷物をまとめておいて病院に行く時
一緒にもう退院という形をとって良いと言った。
でも17日の昼に姉が来るという話をしていたので、先生はそれを知っていて、
10時注射、13時30分撮影という風にしてくれたのかと思ったら、それは頭に
なかったらしい。
ただ写真はすぐ出来てくるので、それを持って戻って来るように言われた。
3Fのナースセンターに来るようにと。火曜日の午後は診察も休みだからだろう。
写真の結果説明はY先生が手術に入っているかも知れないので、誰か他の先生が
してくれるという事らしい。
でもどうしようか、外出届貰って自分で荷物運ぼうかとも思ったけど、姉に電話したら
16日の切符を取ってあるという事で安心した。
それなら私が9時半頃病院に向かう時一緒に出て、途中で降りてそのままタクシー
で家に向かってもらえばいいと思う。
「火曜日4件、金曜日4件で来週8件の手術でヘロヘロだ」と先生が言ってた。
でも何だか追い出されるみたいで気分はあんまり良くない。
だけど今ガンが見つかって、少しでも早く取りたいという気持ちはよく分かる。
年末年始の休みが入るので尚更だろうと思う。
看護婦さんに言ったら、お正月ちょうど寝て休めるから、わざわざ年末年始の休みを
選ぶ人もいるとか。
「また我がまま言ったんだ」と言ったので、先生の事を言ったのかと思ったけど、
もしかして患者さんの事を言ったのかな?
抗がん剤で一ヶ月後の手術でも問題ないらしいけど、患者さんの気持ちは良く分かる。
親友のSさんはこれから映画を見るとかで、3時頃おはぎと、本を持って来てくれた。



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私達患者も賢くなり、最高の医療を受ける為に一緒に勉強しませんか?
・・・ ガーネットのちょっとお節介 (^^♪
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Kinokuniya BookWeb より
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062723883.html
最高の医療をうけるための患者学(講談社プラスアルファ新書)
・上野 直人【著】 講談社 (2006-07-20出版) 205p 18cm
販売価:840(税込) (本体価:800) 序章 真のチーム医療ががん患者を救う
第1章 がんになっても、あせらない
第2章 コミュニケーションは真剣勝負で
第3章 患者の質問力が医療者を育てる
第4章 あなたにとって最高の医療とは
第5章 自分らしく生きぬくために
附章 患者が見た全米ナンバーワンの病院
日本の医療改革のスピードを速めることができるのは、患者さんだけではないかと
著者は考えています。
個人個人の医療に対する態度がもっとも重要です。
では、あなたにとって最良の医療を受けるには、具体的に、どのようにふるまえばいいのか、
いますぐ医療に参加するにはどうしたらいいのか、それらを本書で解説します。
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腫瘍内科医 【チームオンコロジー】 さんのブログ
http://teamoncology.blog39.fc2.com/
≪上記ブログからの抜粋≫
医療に参加できない患者
戯言で申し訳ないのですが。医療に参加できない患者て多いんですね。
一つは医療従事者の患者の教育もありますが、そのほかに患者自体の自主性の問題も
大きいと思います。この自主とは何かとなりますが、一言では説明できないです。
ただ、よくブログでありますが、ブログとかで色々と質問できるが、主治医には全く聞いた
ことがないとか、よくありますよね。これって問題ですね。
「患者さん中心のがんチーム医療のために:チームオンコロジー.Com」
http://www.teamoncology.com/
≪上記HPからの抜粋≫
■M.D.アンダーソンがんセンターについて
テキサス州ヒューストンには42のさまざまな医療施設が集まる世界一の巨大医療センター、テキサス・メディカルセンターがあります。M.D.アンダーソンがんセンターはそのなかにあり、世界有数のがんの専門病院として知られています。年間6万5,000人の患者さんを受け入れ、新薬の治験や遺伝子治療など、最先端のがん治療及び研究が行われています。
私たちの病院の根幹を支えているのは集学的治療(チーム医療)といっても過言ではありません。M.D.アンダーソンがんセンターでは、世界でも最も有能とされる病理医、放射線専門医、腫瘍内科専門医、腫瘍外科専門医、腫瘍放射線専門医、看護師、薬剤師がチームとなり患者さんの治療にあたっています
■M.D.アンダーソンがんセンターのチーム医療とは具体的にどのようなものなのか
チーム医療をひとことで説明するのはとても難しいのですが、基本はコミュニケーションです。M.D.アンダーソンがんセンターでは約30年前からチーム医療への取り組みが始まり、試行錯誤しながら現在のかたちになったという経緯があります。しかし、現在のかたちも通過点にすぎず、今後も進化は続き、決してひとつのかたちに止まることはないのです。
チーム医療は最初、医師同士のコミュニケーションから始まって、10~15年前に看護師や薬剤師も含めたかたちになり、今ではコメディカルの人たちも医師に近い仕事を担うようになりました。臨床看護師や上級看護師は、もちろん医師の管理下ではありますが、診断所見もとれますし、処方せんも書け、場合によっては処置もします。いろいろなデータを集め、ときには医師にアドバイスもします。看護師や薬剤師の専門性を高めていくと、医師の仕事と重なる部分が出てきますが、それをお互いどのように協力していくかを15年かけて作りあげてきました。
ある患者さんに対してチームを組むとき、中心になるのは内科医の場合もあれば、外科医の場合もあります。その患者さんの状況により腫瘍内科医、腫瘍外科医、放射線医、形成外科医、看護師、栄養士など多くの専門家がメンバーとなり、患者さんに対する一定の治療方針を話し合います。話し合いは電話の場合や、会議をする場合もあります。ときには全く顔を会わせないこともあります。ここで大切なのは、よく話し合って基本方針を決めておくということです。その基本方針は、どの医師あるいはスタッフに聞いても皆同じになる努力が必要です。
チーム医療は、よく船に例えられます。チームの中心となる医師は船長です。船長には全体像を見極める力が要求されます。個々の部分に関しては、その分野の専門家に任せればよいのです。医師は何ができて何ができないのかを自分自身で把握し、できないことを誰に任せればよいのかを知っておくことが大切です。
一方、コメディカルの人はいかに自分の役割を拡張し、責任をとるかを考える必要があります。そのために、それぞれの職種の高い専門性が求められます。
要するに、チーム医療とはコミュニケーション医療にほかならないのです。
■日本における「チーム医療」
どの病院でもチームは職種があれば存在します。ただ、どのような組織作りとコミュニケーション体制をつくるかによって、患者さんの満足度は歴然と違ってきます。また、患者さんの主体的な態度を引き出せるかどうかも、チーム医療の取り組みで決まると思います。
このWebでM.D.アンダーソンがんセンターのチーム医療を紹介することにより、日本独自のチーム医療体制が築かれることを期待しています。
テキサス大学 M.D.アンダーソンがんセンター
Stem Cell Transplantation and Cellular Therapy, Breast Medical Oncology所属
准教授 上野 直人



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2002年12月13日(金) 術後10日目
【 回診Y先生】
昨日左側のプヨプヨしてる事を言ったら「明日診てみよう」と言った通り、針を刺して
抜いたら50ml出た。でも普通なんだそうだ。
お風呂はまだOKにならなかった。
Hさんも傷がまだ乾いていないらしく、結局月曜日に又病院に来なくてはいけないので、
早く退院しても同じ事なのかも知れない。
私は予定通り火曜日にしておいて良かった。
保険も20日以上の入院という事で、通院も出るそうだ。
これはY先生が言ったんで分かったんだけど。
がん保険は受取人を本人にしてなかったので、私の名前に名義変更をするのが一番
手続きが面倒でないとの事で、Oさんが気を利かして変更の手続きをしてくれている
そうだ。本当に良く気が付く。
おまけに退院する前にわざわざ持って来てくれて、有難い事だ。
実家に電話して印鑑証明を取らなければならない。それと住民票も。
骨シンチは火曜日の退院の時に、10時にNOO病院で注射して、13時に検査に入る
との事。造影剤を入れてから3時間置くとか言ってた。
先生が自分の手術に入る前に電話予約をしてくれたんだけど、手術着にもう着替えて
いたので、それまで忘れていたのかもしれない。
でもちゃんとやってくれて良かった。
眠剤飲まないで寝れるようにがんばらなくっちゃ!



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2002年12月12日(木) 術後9日目
【 回診Y先生】
Dr : 傷が乾いたらお風呂いいですよ。1日か2~3日・・・・。
ガ : 先生、1日と2~3日じゃ大分違いますよ。
Dr : (笑) 数日。 日曜日に退院できると思う。
ガ : えっ そうなんですか?
Dr : あなたは退院急ぐの? ゆっくりでいいの?
ガ : ゆっくりでいいです。
Dr : 予定は火曜日か・・・じゃ・・・
私は全然焦ってないんだけど、焦っているように見えるのかな?
まぁ大体は長くいたいと言う人はいないと思うけど。
私はあんまり早い退院は、独りなので不安があるから焦らない。
今の分では、火曜日の退院は間違いないような気がする。
それにしても病理検査の結果が出てなくてもいいのだろうか?
退院してからの注意事項を書いたパンフを貰った。
看 : ガーネットさんは退院遅くていいの?
ガ : 火曜日にして下さい。
看 : じゃあ一応火曜日にしておくね。
6時半頃、同僚の皆がお花を持って来てくれた。
二人はシルクのパジャマと腹巻を買って来てくれた。
お花が一気に2鉢になって、食台がいっぱいになった。
OOちゃんはマンガを7巻持って来てくれたんだけど、私はマンガを読まないので、
看護婦さんにでも上げようかな。
皆、私が本当に元気なんでびっくりしていた。
面会時間は8時迄なのだが少し過ぎた頃に帰って行った。
Y先生が病理検査の結果が出たので、その説明をするために多分7時半頃から待って
いたようだ。
ナースステーションから見てる先生と何回か目が合った。
病室に戻ったら先生がすぐ呼びに来た。
Dr : いいお知らせだよ
ガ : 本当ですか?!
Dr : いま結果が届いたほかほかだよ。
リンパは全部で11個郭清、全部腫れもなくリンパ節転移は無かった。
この結果は術後すぐ先生が病室を訪ねて説明を受けていたので、それほど驚きはなかった。
だけど先生にしてみれば、やっぱり見た目と病理検査の結果とでは違うんだろうな。
とても嬉しそうだった。
両側を手術した人は触診でリンパに触れ、しこりも5cmと大きかったのでステージⅢbだった。
本人も主治医の院長先生もリンパ転移を覚悟していたらしいが、転移無しだった。
かと思えば、シコリも小さく1cm以下で毎年検診をしていて再検査になり、3ヶ月後に診察受けた
時は触診でリンパ1個腫れていたが、術後の病理でリンパ転移2個あった人もいた。
しこりの大きさだけではリンパ転移の有無はわからない。
リンパが大丈夫だったので、血行性の転移も無いものだと思っていたのだが、あくまでそれはそれで
誰にも分からないという事なのだ。
ただ私はステージⅡの時、80%の治癒率で20%は再発(転移)の可能性があるというところが、
リンパへの転移が無かったという事で治癒率が90~95%、早期がんの人と同じくらいまで
上がったという事だった。
だから先生はあんなにうれしそうにして「おめでとうございます」と言ったんだと思う。
やはり担当の患者が思っていたより軽くすんだり、転移が無かったとなれば嬉しいし、
説明もやり易いのだろうと思った。
ガ : 先生、この説明の時 (最初の病気説明、組織検査の説明を紙に書いてくれた時)
リンパにいってると思ってました?
Dr : うん、正直なところ一つはいってると思った。
ガ : 私もリンパにいってると思ってました。
先生の説明振りからすると、抗がん剤の全身投与(点滴)も十分考えられると思っていた。
先生が「いい結果だよ!」と言った時は、もしかして薬も飲まなくていいのかと思った。
でもそこまでは甘くなかったけど。
仮に血液に既に転移していたとして2~3年後に再発するとしても、今の段階では投薬での
抗がん剤でも効果はあるという事だ。
100%殺す事はできなくても飲んだ方が良い、点滴で全身投与でも良いけど副作用を考えたら
薬で十分だと先生は言った。
とりあえず最初の説明通りであったし、最悪の状態にはなってなかったし、後はリハビリを
きちんとする事。
会社の女の子も皆分かってくれている様なので安心した。
皆いい人に囲まれて私は幸せです。
長姉に次姉から電話があり、術後こちらに来て1週間ほど付いてくれると話していると言うので、
そんなにしなくても全然動けるから来なくていいと伝えた。
先生は生命保険の事も心配してくれてて、早く用紙が揃えば退院までに書いてくれるそうだ。
お金も急ぐのであれば、保険の手続きも大変だろうから早くしてあげられると。
家に帰ってからゆっくりやろうと思う。



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