2002年12月11日(水) 術後8日目 ≪ドレーン排液量57ml≫
【回診A先生】
トイレに行こうとして通り過ぎて洗面所まで行ってしまい、戻るところをHさんに見られた。
やはりHさんも間違って洗面所まで行ってしまう事があるらしい。
昨日眠剤を10時に飲んだら11時にはいびきをグーグーで寝ていたらしい。
今日は飲むのを遅らそう。
10時突然の回診、排液量は57ml、昨日48mlなのに。
A先生は「もう一日おこうか」と言ってたのに看護婦さんが「8日目です」と言ったら
「あっそうか、もうそんなに経ったか、ちょっとしてる間にもうそんなになった!」と言い、
抜いちゃった。
「ちょっと水とか色々出ると思うけど」とパッドを付けられた。
Sさんの主治医はA先生なんだけど、昨日Y先生が回診時にテープの貼り替えをしたらしいのだが、今日の回診でA先生が貼り直したらしい。
先生同士でお互い何かあるのだろうか?
やはり自分が主治医の患者と、そうでない患者とでは違いがあるものなのだろうか?
Y先生は傷に対して平行にテープを貼る。早く貼れるけど、引っ張って貼れない。
A先生と院長先生は短く切ったテープを傷に垂直に貼っていく。
きっとA先生の方が傷跡の広がりを防ぐと思われる。
テープの貼り方にも個性があるらしい。
A先生は繊細で、Y先生はちょっとガサツかも?
でもはっきりしてて、私の性格にはあっているのかも。
ドレーンが抜けたらすごく楽だ。 Hさんは土曜か日曜に退院できるそうだ。
夜6時Mちゃんが来た。
派遣さんからの質問を持ってきたのでその説明をしたんだけど、まずMちゃんが理解
しないと説明できないので疲れた。 Mちゃんは本当に良くやってくれる。
課長が何でも「ガーネットさんが帰って来てからやるから」と言ってるらしくて、
伝票関係もたまってそうで心配だ。
★多分派遣さんから色々聞かれても答えられないからだろうな。
同僚のYちゃんとSちゃんがリンゴ、クッキー、マンガ本、ケーキを持って来てくれた。
Yちゃんには派遣さんの事を頼んで、Sちゃんは上司にキレたらしくちょっと愚痴ってて、
仕事の事も質問された。
仕事も忙しくなってちょっとイライラしているみたいだった。
★全員総入れ替えの人事異動が5月だったので、みんなそれぞれ大変だった。
Sちゃんも聞きたくても私が入院しちゃったんで、聞く人がいなかったんだろうと思う。
Yちゃんの仕事→ガーネット ガーネットの仕事→Sちゃん リサイクルじゃないって!
Mちゃんも自分の仕事の他に私と派遣さんの取次で、大変だったろうと思う。
4年後、二度目の入院中はMちゃんが仕事を引継いでくれた。 運命か!



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≪’08.1.29 (火) リアルタイムなお話≫
今日は仕事が終わってから眼科へ行って来た。1ヶ月振りです。
まずは視力検査から始まった。
「今日は両目視力測りますね」そう言いながらカルテで確認する看護師さん。
さすが、3回目なので学習しましたね。 どっちが乱視だ? そう左だよ。
いつものように眼底検査の目薬をい入れてしばらく暗い部屋で待つ。
先生がライトを当てながら「左上見て、はい真上、次は右上・・・・・」と診察が進む。
今日の先生は診察しながら何やら呟いていた。 何を言ってるのか聞こえない。
「う~ん・・・○○○○○・・・」 この繰り返し。
右目の時は呟きはない。 何が起きてるんだ!
Dr : 何か変わりありましたか?
ガ : いえ。(本当は1週間前にズキンズキンとちょっと痛くなった。でも何秒間かだけ)
診察が終わって先生の説明。
Dr : 変わりはないですね。
ただ、また血管が引っ張られているから、出血するかも知れない。
ガ : はい・・・。 (*_*;
Dr : とりあえず、今度2ヶ月後に又診せて下さい。
もし、又ふぁ~と何か見えたら、すぐ来て下さい。
ガ : はい。ありがとうございます。
(と席を立ち、次の患者さんと入れ替わる時、大事な事を思い出した)
ちょっとごめんなさい。(と戻って行き)
先生、やっぱり激しい運動はまだダメですか? (・_・)
Dr : そうだね、まだ無理しない方がいいね。 (;一_一)
ガ : わかりました。ありがとうございます。 (*^_^*)
はぁあぁぁぁぁ・・・インター復帰が延びた~。
今日OKが出たら形成外科の手術(1月31日)後、傷が落ち着いたら筋トレ始めようと
思っていた。
エアロビの先生にも 「2月中には復帰しますから」 って言ってたのに・・・・
治りづらいのかなぁ。 レーザー治療も一度じゃ済まなかったし。
しょうがない、こうなったら再建手術の傷がすっかり良くなるまで、無理しないか。
順調に行ってエアロビ本格復帰は4月になってしまった。
会計に呼ばれお金を払う。 チン!
「お大事に・・・・」 えっ! 何か音声が変! ATMの声みたいな・・・誰!
チラっとカウンターの向こうを見る。 レジスターの引き出しが開いてる・・・・
ひぇ~ レジがしゃべってる~
ガ : おもしろい、このレジ! (^o^)
受 : ふふふ・・・ しゃべるんですよ!! (●^o^●)
ちょっと気分が晴れた。(^。^)y-.。o○



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≪’08.1.28 リアルタイムなお話≫
最近よく訪問しているブログがあります。
現役の内科のお医者さんで、プロフィールには
『医者が感じるギャップを埋めるために試行錯誤しています』 とあります。
2008年1月4日のエントリーは下記の通り始まっています。
「患者と医療従事者のコミュニケーションギャップを減らし、双方の満足度を向上させること」を研究している先生方とディスカッションする機会がありました。
~
~
よっしぃ先生(Author)の意図するところはここにあると思います。
2008年1月28日のエントリー
>(m3のブログで去年の6月8日の記事です。ASCOが終わったところでした。)
>ASCO(43回アメリカ臨床腫瘍学会)の演題で急性期緩和ケアに関するものがあったようです。
>・・・・・・・・・・・・・
>特に、アメリカのAnderson癌センターからの発表でありましたので余計に。
ここまで読んでびっくりしました。
これってもしかしてM.D.アンダーソンがんセンターの事かな?
もしそうなら私はここのサイトで、タモキシフェン耐性乳がんについて相談した事がありました。
とても親身に答えていただきました。
もし、これがよっしぃ先生の言うところの アメリカのAnderson癌センターだとしたら、なんて偶然かと思いました。 世間と言うか世界は狭いって感じ。
回答していただいた上野先生に掲示板を皆さんに教えて下さいと云われていましたが、その頃まだ私はブログを立ち上げていなかったので、誰にも伝えていませんでした。
つい最近同じ乳がん患者の方(治療方法がだんだん狭められてきている患者さん)へ、
参考になればとサイトを紹介しました。
今日、再びサイトを訪問したところ下記のような書込みがありましたので、丁度いい機会なので
私のブログを訪問して下さる方のお役に立てればと思い、リンクする事にしました。
(本当はこんな拙いブログにリンクするのもおこがましいので、遠慮してました)
よっしぃ先生も仰ってますが、腫瘍内科医はここ数年で日本にも誕生しましたが、まだまだ少ない
です。化学療法や最新医療のエビデンス等知りたい、調べたい時に役立つと思います。
くれぐれも掲示板はセカンドオピニオンの場ではありませんので、ご注意下さい。
2008年1月24日 ★当サイトへのリンクのお願い★
がんチーム医療をもっと普及させるために、ご自身のHPや、お知り合いのHP、ブログなどに、当サイトへのリンクをたくさん貼っていただけませんか。
貼っていただくと、googleランキングが上がり、当サイトへの訪問者が増えます。
リンクを貼るときは、次のように貼ってください。
「患者さん中心のがんチーム医療のために:チームオンコロジー.Com」
(http: http://www.teamoncology.com/ ) ← 変更しました。('08.1.29 pm2:00)
≪チームオンコロジーより ’08.1.29 pm2:00≫
チームオンコロジー.Comサイト
チームオンコロジー.Comサイトの管理人をしております、○○○○と申します。
この度は、当サイトへリンクをしていただき誠にありがとうございます。
さて、リンクのURLですが、現在掲載されているURLを下のものに変更していただけると大変助かります。
http://www.teamoncology.com/
近日中に当サイトのURLを上のものに変更しますので、何卒よろしくお願いいたします。



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【日記より

朝から洗面所で会う人に「まだドレーン抜けないの?」と聞かれる。
私としては一度マンマ体操で会っただけの人と思うのだけど、患者さんは意外と他
の人の情報を持っているみたいで、私の様に人の事に無関心な人は少ないかも知
れない。
ただ、先生でさえもっと早く抜けると思っていたのに、どうしてこんなにたくさん出るの
かな?
本当に動き過ぎなのだろうか?
しかし、このくらいの動きで動き過ぎなんて言われたんじゃ、家に帰って一人で生活
する事考えたら大変な事になる。
Sさんが大学病院の放射線科から戻って来て計測に加わったんだけど、今日リハビ
リしてなかったので昨日より4cmも腕の上がりが少なかったそうだ。
退院する人でもこんなに差が出るんだから、本当にリハビリしないと上がらなくなる。
毎日しなくては。
私もドレーンからの排液量を気にして、あんまりリハビリしてなかったから上がりが
悪い。
F病院から子宮体癌検診の結果が着た。予想通りOKだった。

何にも運動していないので腰痛が無くなった。
★インターでジャンプの多いエアロビをしてたので、股関節の硬い私は徐々に腰痛
も出ていた。
腋の下に腕上げの練習した後、ごりごりしたものがある様な感じが残る。
他の人もそうかと思っていたのだが、どうやら私だけらしいのだ。
一体どういう事なんだろう。
★Sさんはごりごりを感じると言ってましたが、その他の人は違ったようです。
6時頃Mちゃんが来て、夕食後病室で話していたら回診がありY先生だった。
先生がドレーンの排液量45mlと聞いて
Dr : 抜けるかなぁ・・どうしよう・・よし抜こう!

ガ : えっ今ですか?

Dr : そう。

ガ : だって普通30mlくらいでしょ?

Dr : そう。

ガ : 先生、私一日ぐらい長く付けててもいいですから。

Dr : そうだね、抜いたけどまた出て入れたなんて言ったら大変だし、明日A先生だか
ら明日にしようか? (話ながらガーゼ交換を始めた)

あんまり長く入れとくと感染するんだよね。

ガ : じゃ抜きます?

Dr : いや、もう一日入れとこう。

そのやり取りを聞いていた看護婦さん、いつもあんまり笑顔の無い人で、冗談も言わ
なさそうだったんだけど、ドレーン抜きに来た時「抜くのが怖かったの?」と聞いてきた。
それが話しかけるのでもなく、私が何か目線を感じて見たら私を見てたのだ。
おもしろい人だ。
私が点滴の絆創膏される時「脱毛された」と冗談言ったら、「タダだよ」と言った看護婦
さんなんだけど。
回診の時は何にも言わなかったのに。
Sさんは明日退院です。私は一応17日と自分では思ってるけど。
笑顔のない看護婦さんもジョークにちゃんと返してくれるし、私が気付いて顔を見たら
話しかけてもきた。
こちらからの対応の仕方でも変わるものなのかも知れない。

ちなみにドレーンは抜くのが怖いんじゃなく、抜いた後に溜まった液を注射で抜くのが
嫌だった。
神経切ってるから、針刺しても全然痛くないんだけど。




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2002年12月6日(月) 術後6日目 ≪ドレーン排液量78ml≫
【日記より 回診Y先生】
「結構出てるね。もっと早く外れると思っていたんだけど」と先生。
「明日外せるかな~」と言ってたけど、無理だと思うな。
別に私は遅くてもいいけど、9日、10日となると嫌だなぁと思う。8日ぐらいなら普通なのかな?
Dr : 動くようになった?
ガ : 動きますよ、ホラ!
Dr : 動き過ぎてるんじゃないの?
ガ : 普通ですよ、普通。
Dr : エアロビもやり過ぎるくらいだから。(看護婦さんに向かって) Kさんも見習ったら?
婦長さんが挨拶に来た。1週間休んでいたので、私は初対面です。
「腕上がりますか?」といきなり聞かれ、チェック。
顔の傾きを直された。 スルドイ!
夕方Mちゃんが来てくれた。 8時まで話をして帰った。Mちゃんの話はいつも楽しい。
派遣さんがファイルをするのに課長に相談したら、適当な事を言ってたみたいで
「それじゃあガーネットさんが帰った時大変だから、ガーネットさんファイルを1個作ります」と
言ったそうだ。
派遣の人っていろんな事考えて仕事してる。
今だけ、自分だけ分かればいいというものじゃないんだな。
前任者のIさんもちゃんと1Fに降りて見てくれている様だし。
▲▲部のOOさんが「ガーネットさんどうしたの?」と聞いても、2Fで「ちょっと・・・」としか皆言わない
んだけど、と1Fに来て課長に聞いたら課長も「ちょっと・・・」と言ったらしい。 おかしい。
課長も見舞いに来たいけど本人が来て欲しくなさそうなのでと、見舞金をMちゃんに渡そうとし
たらしいが、「勘弁して下さい」と言って断ってくれたそうだ。<m(__)m>
トイレに行こうと思ったらY先生が反対側から歩いてきた。
白衣を着てなかったので眼の悪い私は、てっきり家族のお見舞いに来た人だと思い、
近づいたら先生だった。
思わず「あっ!先生。白衣着てなかったんで分からなかった」と言ったら、はにかんだ笑顔を見せて
照れた様にナースステーションに入って行った。
すごく若々しい格好だった。
スニーカー、ジーンズ、ポロシャツにジャンパーで両手をポケットに入れてさっそうと歩いていた。
しかし白衣を着てないと普通のおじさんで、とてもお医者さんに見えない。
白衣の力はすごい!
Hさんもしかしたら今週中に退院できるかもしれないとの事。 さびしくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
普通ドレーンは5、6日40mlを切ったら抜くみたいですが、私が入院してた時クリニックでは
30mlを目安にしていたようです。



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ついさっき、会社のメールにあるお知らせが。
前の総務部長から退職の挨拶が・・・・・・
本社転勤の時は、えっ!あの人が栄転?と思った。
一年か二年でどこかに出向した。人事異動のチェックしても退職はしてなかった。
しかし、ついに辞めるんだ!
あなたのパワハラに、あなたより先に絶対会社を辞めないと思った。
告知の後、会社に戻り話し合った時のあなたの言い草に、絶対許さないと思った。
当然送別会も欠席した。(無言の抗議)
大過なく・・・・・だってさ。ふざけるな!!
久し振りに名前を見たら、怒りがよみがえってきた。
未熟者のガーネットです・・・・
その当時の日記からのエントリーです → 運命の日・・・乳癌告知・そして会社では



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2002年12月8日(日) 術後5日目 ≪昨日の計量でドレーン排液量90ml≫
【日記より Y先生の回診】
朝9時半に回診が始まった。今日は昨日に続いてY先生だった。
今日気付いたんだけど、Y先生はとっても気さくな先生だという事。
今日回診が終って病室を出る時「それでは皆さんお大事に!」と言って出て行った。
そんな事言って出て行ったのは初めてだけど、今日は日曜日だから先生も陽気だった
のかな?
親友のSさんが2時過ぎ、みかんとヨーグルトを持って来てくれた。
灯油のホームタンクのホースを繋いでもらう事になっているのだが、私が退院する前に
準備しておかなくてはいけないと思ったらしく、退院の日を聞いていたが、まだ急ぐ話では
ないと伝えた。
★彼女はガスレンジのゴム管を繋いだり、灯油タンクのホースを繋いだりできる人で、
火気取扱いの何か免許も持っていて、いつもお世話になっている。
私は全くそういうのが苦手で、蛍光管が切れた時蛍光灯毎換えるものと思っていた。
彼女に聞いて初めて蛍光管だけ売っていると知ったのでした。
(ちなみに今でも電化製品は壊れたら捨てて、新しいものを買うタイプです)
Y子さんが来てくれた。
病室の番号を間違えて覚えていたようで、ちょっと待っていたようだ。
(病室入口に名札は付いていません)
何か欲しい物はないか聞かれたが、今のところは何もない。
(クリニックの周りにはラーメン屋さんが一軒あるだけ、コンビにもない。今もそう)
今日マンマ体操の本番で計測があった。
私もHさん(同室で、同日に手術、彼女は早期で温存)もすっかり忘れていた。
結果は良かった。角度も10度まで違っていない模様で、伸びに関しては-3cmとの事。
自分でもそんなに伸びているとは思わなかった。
「これ以上がんばらなくてもいいよ!」と看護婦さんに言われた。
この前Y先生が私に「がんばり過ぎに注意」と言った時、付いていた看護婦さん
だったから。
ガ : 入院する直前まで筋トレ、エアロビをやっていたから・・・・
看 : そうだったんだ・・・
ガ : もう二度とできないと思っておもいっきりやってきた。
看 : 大丈夫!できる様になる!エアロビのインストラクターで乳癌の人いたけど、
ちゃんと復帰したから。
ガ : えっホント?できる様になるの?
看 : 大丈夫、できるから。
ちゃんと腕も早く動かせるようになるらしい。
★術後の運動機能の低下には愕然としたので、この看護士さんの言葉は、本当に嬉しかった。
退院後のリハビリも、絶対エアロビに復活するという目標が出来た事で、随分頑張れた。
いつかインターのクラスに戻る、絶対同じに動けるようになってやる、そんな風に思ったら
リハビリが楽しくなった。
がんばれば、がんばっただけ、身体は正直に応えてくれた。
隣のSさんに「私より10歳は若いと思う」と言ったら、
Sさんが「ガーネットさんの方が10歳若いと思う」と答えた。
でもお互いに年齢をばらさないのがおもしろい。
★その後の話で彼女は私より1歳下だった事がわかったのでした。ちゃんちゃん。



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2002年12月7日(土) 術後4日目
【日記より Y先生の回診】
胸帯を取ってシャワーを浴びたせいだろうか、絆創膏の所(ドレーンの入口)が痒かった。
回診の時その事を言ったら先生が見て、「血が出てる!」とびっくりしていた。
「ここからバイキンが入ったら大変な事になる!」とサビオを貼ってくれたんだけど、
シャワーの時身体を曲げ過ぎたのかな?
先生ちょっと不思議そうにしてたけど、シャワーの件は内緒にしておいた。
オシッコの管は抜ける、点滴の管から液が漏れる、胸のドレーンから血が出ると、
本当に私の身体の色んなクダが問題を起こす。動きが激しいのだろうか?
今日から参加したマンマ体操
★リハビリのようなもので3時か3時半にやってたと思う。普通は術後5日目からです。
看護士さんが一人前に出て、患者と一緒に音楽に合わせて体操をする。
照れてかわいいです。
一度見舞いに来てた姉と、Hさんの娘さんも影練してたけど、健常者でも結構
大変な運動らしい。
その前に身体をほぐしていたので、思ったより大きく動けたし、内回り外回りの腕を
大きく回すのもできた。
その後で少しストレッチをしたのだが、夕方から腕の後ろ(付根)の方が、ジリジリジリ
と電気が走るような感じになってる。
今迄も運動した後はこんな風になってたけど、こんなに長い間なったのは初めてだ。
痛くはないけど、これが痺れているという事なんだろうか?
看護婦さんに言ったほうがいいのかな?
昨日は強い方の眠剤を貰ったので、11時半から5時まで眠れたけど、今日も眠剤
貰えるのかな? もう無いと眠れないかも知れない。
マンマ体操の時一緒にやってた看護婦さんが、引継ぎの時話してたみたいで、私が
すごく良く動いていたと言ってたそうだ。
「明日もがんばって!」と言われた。
ジリジリする痺れも無くなった。4時間位続いていたけど、良かった。
夜の看護婦さん(夜勤)にも言ったんだけど、きっと運動したからだな。
腕を回すのは今迄やってなかったから、びっくりしたけど。
今日も強い方の眠剤をくれるそうだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
隣のSさんは私より一週間程早く手術している。
入院して直ぐの時は多分術後2日目か3日目くらいだったと思う。
歩いて元気にしてたので、癌の手術ってこんなに回復が早いものなんだと思った。
マンマ体操の後とか、リハビリしてる時、「いたたた・・」と言ってたので、どんな感じ
なのか聞いたら「腋の下に石があってごりごりしている感じで、腋があいてるように感じる」
と言っていた。
それと開脚で前屈をして(お相撲さんの股割りのようなもの)、内腿が痛くなる感じ。
確かに腋の下に大きな石が2~3個入ってる感じで、運動した後は特に強く感じた。
多分乳癌患者で腋窩リンパを郭清した人は、ここで大きく「そうそう」と首を縦に振ってる
に違いない! でしょ?
痛そうでしょう? 痛いのよリハビリは! でもがんばらないと!
胸骨傍リンパ郭清のため肋骨を切ったところは、骨が無いので引っこんでる。
そこ触れるだけでビリビリ電気が走ったようになる。
身体を洗う時タオルが触れてもビリビリするので、ここだけは素手で洗っていた。
この感覚は4年続いた。今も違和感はあるが、ビリビリ感は大分無くなってきた。
術後一日目、咳をすると痛くて咳がおもいっきりできなかった。鼻をかむにも力が入ると痛かった。
隣のSさんは何でもない感じで鼻をかんでいたので、「痛くない?」と聞いたら「痛くない」
と答えたので私は痛がりなのかと思ったが、実はこの肋骨を切っていたせいだったのだ。
手術の傷跡もそうだが、手術方法もリンパ郭清の範囲もそれぞれの患者で違う、オーダーメイド
なんだと感じたのでした。人と比べてはいけないと。



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2002年12月6日(金) 術後3日目
昨日より今日は、また一段と元気になった気がする。
シャワーを浴びて、シャンプー、ドライヤーも手が上がりちゃんとできた。
今日の看護婦さんも元気だと驚いていた。
いつもジムでストレッチする時は、鏡でチェックしながらしていた。
リハビリも病室でしてるより鏡のある場所でした方が、目で確認できるから絶対
いいんじゃないかと閃いた。
良い場所を思いついた。洗面所だ。人通りも少ないし広いし大きな鏡もある。
早速洗面所でストレッチをしていたら、院長先生が手術を終えて目の前を通り過ぎた。
★院長先生は手術着にマスク、手袋、キャップを身にまとい、まさに”手術してました”
という姿でした。
私がストレッチをしていたのが分かったらしく、わざわざ戻って来て腕を上げてみなさいと
いう仕草をしたので、「上がりますよ。ほらっ!」とやって見せた。
「アー、いいね・・・うん大丈夫!このまま維持できるようにがんばりなさい!」
と言った後に、「これなら大丈夫だ!」と先生が言ってくれた。何だか安心した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだドレーンが抜けてないから、本当は下半身のシャワーだけOKなのだが、
どうしても背中を洗いたくて逆海老ぞりになって、手術したところにシャワーが
当たらないよう注意しながら、石鹸の泡を流した。
後で病室の人に話したら、胸帯ははずしちゃいけないと言われた。
傷を守るためなんだからと・・・・そうか濡れてもいいものなんだ・・・
濡れないようにと脱いじゃいました。 ばかだ!
そして初めて腋窩リンパ郭清した跡を見た。
傷はオーダー通りノースリーブから出ないように下げて付いてる。
ただごっそり掘れてる。脂肪毎取ってるので見事に掘れてた。
胸にはガーゼが貼ってあるので、胸が無くなっている事には気がいかない。
でも、腋がこんな風になるとは思ってもみなかった。
これじゃあノースリーブ着れないと思った。
Y先生の回診の時「元に戻りますか?」と聞いたら「戻らない」ときっぱり言われた。
だけど「あなたは痩せてるから目立たなくなると思うよ」・・・・・・と
今は全然平気でノースリーブのウェアー着てます。
エアロビで腕を上げた自分を鏡で見ても、分からないかなぁと思っています。
うん。案ずるよりうむがやすし。



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管理者のsolpe6さんが【毎日1分?身近な医療知識】というブログで、医療関係の
トピックを扱っているのですが、心身症についてのエントリーがあります。
心身症とパーソナリティー
丁度その何日か前に自分の机の中にあった、会社の組合広報誌の切抜きを
見つけました。
それが何と【心身症にならないための10ヶ条】だったのです。
いつから自分が持っていたかは定かではないのですが、今持ってるって事は人事異動
の時にはあったようです。
きっと自分に戒めていたのかなぁと、懐かしく思いおもしろいので紹介しますね。
お気楽に読んで下さいな!
第 1条 自分をえらいと思わぬこと
第 2条 背伸びはしないこと
第 3条 ほどほどに
第 4条 腹は立てずに横に
第 5条 セカセカ、イライラするな
第 6条 心配は、上手に生かせ
第 7条 ひがまぬこと、うらやましがらぬこと
第 8条 しゃべること。話しをすること
第 9条 不要なことは忘れること
第10条 感謝できる自分をつくろう
これからも機会を見て、おもしろブログ紹介したいと思います。(多分健康、医療関係)



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2002年12月5日(木) 術後2日目
夜洗面をしていたら、7時半頃だろうか顔を上げたらテニス仲間のSさんが鏡越しに
見えた。びっくりした。笑顔でいた。
ちょっと夕食の後寝て、調子もようやく良くなってきてた時で良かった。
★私は弱っている自分を見せたくないタイプなので、筋腫の手術の時は会社の女の子
全員に、お見舞いには来ないでと伝えた程です。
会社へ何度も電話したので、だまっておけなくて入院の事を言ったらしい。
話を聞いた時は本当にびっくりして、腰砕けになったと言ってた。
入院はともかく、ガンなんて知ったら本当にどんなにびっくりした事かと思う。
★彼女は一番親しい友達で、出不精だった私をいろんな所に誘ってくれた。
もう30年近い付合いになる。
看護士さんにお花を頼んで帰るつもりだったが、「今いますよ」と言ってくれたそうだ。
いままでのいきさつを話したら、彼女も涙を見せた。
彼女はとってもさばさばした性格で、どちらかというと男まさりの人なので、まさか
泣くなんて思ってもみなかった。がんと聞くと死を想像するのかも・・・・
会社のOさんは手術の日も来て、差し入れをしてくれたそうで「手術を待ってる間にでも
食べて下さい」とお菓子とかバナナとか置いて行ってくれたそうだ。
昨日の看護婦さんはとても気が付く看護婦さんで、熱が下がってないから座薬をくれ、
それで背中の痛みもなくなり、とっても楽になった。
シャンプーも一人で出来た。
左腕も動かした方が痛みも楽になる様な気がする。
ウォークマンを聞きながら、ちょっとステップを踏んだら気分が晴れた。
これはいいリハビリになると思う。
(エアロビをしてたので、いつもラテン系やポップなダンスナンバーを聞いていた)
手術室に入った看護婦さんが今朝の担当だったんだけど、脈を取ってる時「本当に脈
少ないよね」と言ってた。
手術場でも30いくつかに脈がさがっていたとの事だった。
(運動している人は普通の人より脈拍が少ないそうで、私は普段45~60くらいだった)
腕もだいぶ上がる感じ。
ちゃくちゃくと良くなってきているのがわかる。
傷も全然痛くないし、この調子でいって欲しいものだ!
今日の回診はY先生で、夕食前の回診だった。傷の方はいいらしい。
Dr : 明日から腕上げの練習していいよ。
ガ : 院長先生から言われてもう昨日から始めてますよ。
看 ; がんばってたもんね。
Dr : 練習をしてそれで腕が腫れるようであれば、また方法を考えましょう。
そうだ!あなたの場合はやり過ぎに注意して。
昨日に比べると、今日は本当に良くなってるのがわかる。
でも夕方3~5時ぐらい、ちょっと調子悪い気がする。少し寒くなってくるからだろうか?
Oさんが来てくれた。総務課長からお見舞い金を預かってきた。が、断った。
戻ってからの煩わしい事が嫌なので、何気に戻って普通に仕事していたいから、
誰からも預からないで欲しいと伝えた。
看護婦さんが戻ってきて血圧を計ってた時、腕をちょっと上げてみたら、
「上がるね、元気だね、早いわ」と言ってた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
術後、普通食になって最初のご飯で、味噌汁のお椀を何気に持ち上げようとしたら、全然持ち上
げる事が出来なかった。 えっ? 何で? ただの味噌汁のお椀だよ!?
自分の身に何が起きてるのか、訳わかんなかった。
別に痛い訳ではなく、ただ力が入らないのだ。まったく上がらない。 どうしたんだろう・・・・・・?
この時が一番ショックで、この先どうなるんだろうと、どっと不安が襲ってきた。
もう元の生活には戻れないと思った。・・・・が、一日一日力がついてきたのか、時間と共に
少しずつお椀も、お茶のカップもちゃんと持てるようになってきた。
今でも不思議だ。どうして持ち上げれないんだろう?
神経が切れてたらずっと持てないと思うんだけど、そうじゃないし。
筋肉を切ってても、そんなにすぐ修復できるものなんだろうか?
でも、あの時は本当にびっくりした。そんな状態になる事を誰からも聞いてなかったから。



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2002年12月4日(水) 術後1日目
★ずっと待ち続けた夜が明けた。
肩から肩甲骨にかけて左側が痛い。
筋腫の手術の時は、傷が治ればもう何の心配も無かったけど、今回はリハビリの事も
あるし、腕のだるさと背中の痛さで元気が出ない。
★腕が痛くて動かせないのだが、自然に三角巾で腕を吊った時のような形になっている。
人間の身体っておもしろい。誰が教えた訳でもないのに、ちゃんと一番落ち着く形を
作るものなんだな。
当直だった看護士さんが来た。問題の尿カテーテルを抜いて、氷の入ったお水を
紙コップに入れて持って来てくれた。
一気飲みをした。この時の水は本当においしかった。
お腹の手術の時は、口を湿らすだけで飲んではいけなかったけど、乳がんの手術は
すぐにでも食べようと思えば何でも食べたり、飲んだりできる。
次にベッドの側に立って着替えだ。
事前に用意しておいた場所から、看護士さんに出してもらい、着替えをする。
左腕は痛くて自由に動かない。
まるで小さな子がパンツを穿かせてもらってるように、広げたところへ足を通す。
何とか自分で引っ張り上げようとするが、右手一本ではスムーズにいかない。
看護士さんが手伝ってくれる。
本当に情けない姿だった。二度とあんな思いはしたくない。屈辱的な思いだった。
何日かしてこの話をSさんにしたら、私はまだましな方でSさんはベッドから起き上がれなくて、
寝たままで着替えをしてもらったので、看護士さんのなすがまま、されるがままの状態だった
そうだ。食事も一日目は摂れなかったと言っていた。
私はかなり麻酔の切れが良かったようだ。
筋腫の手術の時も、友達と比べたら麻酔からの回復は早くて、翌日から食事もできた。
検温のアナウンスがあったので、何とか体温計を右脇に入れた。空腹に気付く。
抽斗からアーモンドチョコを取り出して2~3個食べた。おいしい~
隣りのSさんは、私が何か食べていたのに気付いてたと言ってた。
元気を出すには甘い物が一番だ。何はともあれ、ベッドから離れられた事が嬉しい。
【日記より 】
姉さんが朝一で帰ったので、今日は妹が付いてくれていた。
早速洗たくと(昨日の事件のシーツやタオル)、シャンプーをしてもらった。
気分がクシャクシャするから、シャンプーしたらスッキリするかなと思ったのだ。
2Fの自販機でジュースを買って来てもらう。
それだけでも随分助かった。
同室のHさんの娘さんが、胸帯代わりの下着を買って来てくれるとの事。良かった。
(クリニックからは一枚の支給だったので、着替え用が必要だった)
朝からヨーグルト、チョコレート、お菓子を食べた。
昼はお粥で食欲はちょっと落ちた。夕食は8分粥かご飯か選べるのでご飯にした。
夕方まで身体の調子は良くなかった。
肩から腕から凝ってるような、だるいような、痛いような、熱も37.6~37.8度くらい。
あまりにも背中が辛いので、妹に背中を指で押してもらった。
とっても気持ち良かった。 痛みも楽だ。Hさんにも教えたら、娘さんにやってもらってた。
本当はずっとやってもらいたかったけど、そういう訳にもいかない。 マークの形に似てる、つぼ押しを家から持って来てもらえばよかったと後悔した。
妹も何もする事が無くなり、コックリ、コックリし始めたので、「もう帰ってもいいよ」と
伝え、予定より早い電車で帰ってもらった。
夕方7時に検温があり、看護婦さんがずっと熱がある事を知っていて「座薬使ってみる?」と言われたので、使ってみた。
これで今日は眠れるかも。夕食を食べて寝たら、ちょっと背中の痛みも楽になったし。
夜、看護士さんが氷枕を持って来てくれた。
★ここからは夕食後に追記したもの。
ブログで看護士と書いてるところは当時を思い起して書いてる部分で、看護婦とあるのは
日記からの抜粋です。
夕食を食べて箸を洗いに洗面所へ行く時、院長先生に会った。
★左腕は90度に曲げて脇につけたまま廃液ドレーンのポシェットの紐に手を添えていた。
右手には箸と湯呑のカップ、布巾を持っていた。
ガ : こんばんわ (-_-)
院 : 昨日と今朝も随分とよく寝てたね (^-^)
ガ : (えっ院長先生病室に来てくれたの?あんなに寝れてないと思ってたのに・・・・・) (*_*;
院 : 今晩からでも腕上げの練習をした方がいいですよ。最初は辛いけど、今から
やっておくと楽だから・・・・・ (^。^)
ジェスチャー入りで説明してくれた。本当にいい先生だ。 (^^♪



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≪リアルタイムなお話≫
テニス仲間とフレンチのランチに行って来た。
先週の土曜日に初めて行ったのだが、あまりにも美味しくて安いので、友達にも
教えたくなったのだ。
私は今はテニスをしていないが、皆とは15年以上の付合いになるかな。
びっくりする事に皆独身で50歳以上で、当然の事ながら仕事を持っている。
今回は一人40代がいたが、それでも46歳。全部で5人の立派な中高年のグループだ。
偶然かもしれないが、私と40代の彼女以外はお肉を食べない。
野菜の事は詳しいんだろうなと思っていたのだが、添え物についていた”なばな”を知らなかった。
え~野菜嫌いの私が食べてるのにぃ~。
案外健康に気を付けるようになった私の方が、いろんな食材を食べてるような気がしてきた。
スペシャルランチは大評判で、皆喜んでくれた。
話がいろんな方向に飛ぶのだが、朝出勤前のTVの占いコーナーの話になった。
私はTVで流れていても、聞き流していて集中して聞いてはいない。
何分に流れているなんて知らない。
だけど、それぞれチャンネルは違うが、他の4人は占いコーナーを見ているようで、
注意事項などを覚えてて「今日は気をつけなきゃ」とか、思うらしい。
ラッキーカラーとか、アイテムを身につけるとか。
信じられなかった。30代前半の頃は占い見たりしたけど、1時間後には忘れていた。
今でもかわいいぬいぐるみを買う人もいた。びっくり!
私はちょっと引き気味・・・50代って・・・・独身者ってそんなものなの?
そんな私もブログでこんなに絵文字使ってる。ははは・・・・
その中の型の彼女が
型の私に聞いた。
「ガーネットさんって現実的な人」 「まったく現実的
」
私達4人は血液型も皆違う。でも気が合うから不思議。
だいたい50代独身女が4人も集まってるっていうのが、摩訶不思議な世界かも。ははは・・・
類は友を呼ぶってか!こわ~い!!
私に至っては35歳からは精神年齢は変わってないな。
私も含め自分達が50代だって事を普段は忘れていると思う。
何だかんだ言っても、とっても楽しいひと時でした。・・・・とさ。



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2002年12月3日(火) 術後病室に戻って
★もちろん術後すぐに日記なんて書ける訳がないので、これは意識が戻っている場面の
回想シーン・・・
手術が終わって病室に戻り、看護士さんに意識を戻されたと同時に、もう痛みが出てきた。
姉があれこれ手術の説明をする。
痛いけど、ずっと我慢して聞いていた。しかし、我慢して痛みが弱くなる事はない。
リンパ10個採って検査したが、一つも腫れてるリンパがなかった。
「傷も思ったより小さかった」と言うので、「どのくらい?」と聞いたら10cm位との事だった。
どんな感じになっているのか。
★傷の長さが10cmというのは、完全に姉の早とちりでした。
何でも我慢する私の性格を知ってる姉は「痛かったら我慢しないで・・・」と言ったので、
「痛い・・・・」と告げた。姉がすぐナースコールをビー。
姉 : 痛いって言ってるんですけど・・・・
看 : 手術室で30分前に座薬を入れてるんだけど・・・・・
ガ : 筋腫の手術の時より痛い! (麻酔が切れて直ぐなのに何て具体的な・・・・)
上腕部に鎮痛剤を打ってもらった。(これも30分程してから効いた)
★私は原因不明の関節痛で、かなり長い期間鎮痛剤を常用していたので、普通の人より鎮痛剤の
効きは悪いと思う。(風邪薬+鎮痛剤)
座薬は関節痛の痛みを止める時に使っていたが、さほど効き目はなかった。
乳房全摘+腋窩リンパ節郭清レベルⅡ+肋骨2本切ってる私に座薬は効かない
こうして痛みが治まった頃にY先生がやって来た。
リンパの話をし腫れがなかったというので「ありがとうございます」とお礼を言った。
この時は鎮痛剤が効いてて元気だったので、私がしっかり目が覚めてる様な事を言っていた。
腕時計しか持って行ってなかったので、手術から戻ってきてからは時間の感覚がない。
ふっと夜中(?)にお尻が冷たくて目が覚めた。
えっ何! どういう事! 痛い身体で手探りをする。
きゃあ大変!尿カテーテルのつなぎの部分がはずれてる!てことは・・オシッコが・・・
術後の左手も使いながら、とりあえず自分で管をつないだ。
ナースコールを押す。
懐中電灯を片手に若い看護士が二人入ってきた。
看 : どうしましたか?
ガ : すいません。オシッコの管が抜けちゃって、一応自分で入れたんですけど・・・・
看 : えっ!管は先生じゃないと入れられないんだけど・・・・
★私の説明が下手だったので、看護士さんは尿カテーテルの元が抜けたと思ったようだ。
面倒なので誤解したままにしておいた。
原因は、看護士さんが尿量のチェックの度に、カテーテルをぐいぐいひっぱって緩んだ
ところにもってきて、私の寝返りが激しかったせいかも。
(背中が痛くてじっとしてられなかった)
カテーテルがつながっているのを確かめてから、いよいよシーツ交換。
グリーン色のラバーを持って来た。
左胸を手術しベッドに寝ている私に「左向きになって右側をちょっと上げて下さい」
と言った。
(えっ・・左向きって・・体勢をキープするの大変なんですけど・・いたたた・・・)
ひっしにベッドの手摺を右手で握ってキープ。
看護士さんが二人がかりで、ラバーを右側から押し込む。
次は右側を向いて、左を上げる・・・て事は、左手で手摺握って体勢をキープ? 鬼!
(二人でしなくたって、一人は私を支えてよ 良かった筋トレしてて)と本気で思った。
この後から長~い夜が始まった。外した腕時計では暗くて針が見えない。
何時なのかまったくわからず、本当に長い長い夜だった。
ただひたすら背中の痛みを我慢しながら、夜明けを待った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大学病院で筋腫の手術をした時は、この時から10年前の話だが麻酔が切れて痛くなった時、
予め血管に針を刺していたようで、点滴のように注射液を足しただけで痛みもすぐに治まり、朝まで
ぐっすり眠った。夜中に痛くて眠れない事も無かった。
今回もそうやって過ぎるものと思っていた。お腹の手術と胸の手術は違うのだろうか?
だから術後の痛み止めの注射が皮下注射だった事にびっくりした。
筋トレしていた私は当時上腕にあまり脂肪がなかったので、皮下注射が痛い事を知った。
右乳癌で二度目の入院した時は、看護士さんがお尻に注射するのに、つまめなくて困っていた。
筋トレも良し悪しだ!
★両側乳癌になってからは、腕に注射はできない。皮下注射はお尻、静脈注射は足にする。
≪リアルタイムなお話≫
昨日はpm6:50からソフトヨガだったので、会社から真っすぐジムに向かった。
パーソナルロッカーを年間契約してるので、用具やウェアーは持ち歩かなくても置いてある。
インストラクターは私の股関節の堅さを知っている。このクラスを取ってから、3回目かな?
今まで色んなヨガのクラスを受けてきたが、このクラスなかなか良い。
ソフトヨガなのでストレッチ代わりと思っていたが、毎回やった事のないポーズを教えてくれる。
それも股関節周りのほぐれるやつ。今回は縦割りの柔軟。
呼吸法を教えてないなぁと思っていたら、昨日はその説明もしていたので、なおgood 。
しばらく続けてみようと思う。時間短縮の為、先にサウナとシャワーで身体を温めておく。
今の時期、急にヨガのポーズをしたら身体のいろんなスジを変に伸ばしちゃいますからね。
復帰してすぐの頃はイージーエアロのストレッチでさえ、足の裏がピキッとつってました。
私は足がつりやすいのです。足首も異常に堅い!
こうして終ったら着替えて速攻で帰るのでした。
自宅はジムから100m程のところなので、真冬でも冷えない内に帰れます。ラッキー



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2002年12月3日(火) 手術当日 pm1:30まで
★この日は日記を付けてない。当時を振り返ってみる・・・・
午後1時半からの手術だったと思う。
朝から食事抜き。当然昼食も食べれない。
病室の皆が申し訳ないと言いながらご飯を食べていた。
今迄それ程おいしいと思って食べてた訳ではないが、さすがに二食抜くと匂いにやられる。
皆がものすごいおいしい物を食べている様に思えるから不思議。
手術の順番を勝手に同室のHさんとじゃんけんで決めてみた。(冗談でね)
私は「どっちでもいいよ」と言ったんだけど、同室のHさんは「早い方がいい」と言ってた。
9時か、9時半の手術だったと思う。
そして、私達の決めた通りの順番になっていた。
自分の順番までずっと待っていなければいけないのは、意外と疲れる。
何もする事無く待ってるだけなんて。手術は早いのに限るかも。
午前中は姉妹三人でおしゃべりをしてリラックスしていた。
視力の話をしていた時・・・・
ガ : ねぇ、目いくつ?
妹 : うん2つ
三人で大爆笑だった。 静かなお昼前で、どの病室からも何も聞こえてこない中、
ほんとびっくりするぐらいの爆笑だった。 きゃは! バカ姉妹だ!
きっと手術日である火、金、は静かなのかも・・・・・
皆、今日は何人手術で、何号室の誰それと本当に詳しい。どこでそんな情報を・・・
どんな場所でも女は噂好き・・・・・と言う事か。ふ~ん。
手術室に入る前に筋肉注射をする。基礎麻酔かな?
その前に何か精神安定剤のようなものを飲んだと思う。
別に眠くもならなかったし、意識もしっかりしてた。
ベッドのまま手術室に運ばれた。
姉と妹はディルームにいて、病室を出る準備をしている時は側にいなかった。
Sさんが気を利かして「呼んで来ようか?」と言ったけど「ううん、いい」と断った。
癌の手術も子宮筋腫の手術も、私にとっては同じ手術でTVドラマのような場面はない。
Sさんが「がんばって」と声を掛けてくれた。「ありがとう」と応えて手術室に向かった。
姉と妹も気付いて、この時は戻って見送ってくれていたようだが、言葉は交わしていない。
Sさんとは今も付合いがあり、いつも検診でこちらに来ると食事を一緒にする。
あの時私の「ありがとう」の言葉を聞いて、涙が出そうになったと言ってた。
そう言えば彼女、前の夜「胸の写真撮っておかなくていいの?」と聞いてきた。
彼女は温存だが、私が入院する前に同じベッドにいた人は、30代で小さい子がいて、
全摘になったのだが、毎日夜もずっと泣いてて精神的にちょっと不安定で個室に移った
そうだが、その彼女が胸の写真を撮っていたと言うのだ。
確か私が退院する頃も退院できてなかったようだ。(私は顔を知らない)
私は携帯も持ってなかったし、全然そんな考えは頭に浮かばなかった。
でも、ちゃんとあるんですねぇ。 だって再建手術で写真撮ってるから。
(この頃は再建手術は入院後も長く通院しないとできないと思っていたので、あきらめていた)
乳癌の手術から1年半後に、形成外科を訪ねて写真撮ってます。
機会をみて、先生に写真の事お願いしてみようかなぁ~。
おもしろいエピソードがある。
何の手術の時だったか忘れたが、(たくさんしてるので)マスクで麻酔をかけられる時、
あわてて先生に聞いた。
ガ : あの、口は閉じるんですか?開けるんですか?
医 : どっちでもいいですよ。
この後すぐ意識は無くなった
今考えると本当に馬鹿な質問をしたものだ。
麻酔なんだから、意識なくなったら自分の意思で選べるものじゃないのに。
急にから吸うのか、
から吸うのかと思い、麻酔が効く前に確かめなくっちゃと・・・・
もう一つお腹のエコーの時、息を吸ってと言われると肺呼吸?腹式呼吸?
と、一瞬迷うのです。(きっとヨガをやっていたせいだ!)
お腹を膨らましてと言われると、複式呼吸と分かるのだが、息を吸ってと言われると・・・・
肺のx線なら分かるけど、エコーはどうなの?と思ってしまうのです。
こんな私も、無事手術を終えて病室に戻ったのでした。



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2002年12月2日(月) 入院5日目
【回診】 院長先生(M先生) 検温 am 36.6度 pm 37.2度 風邪薬は昼まで
ガ : 先生お世話になります・・・・あいだ空け過ぎちゃいましたね。
院 : そうだねぇ、何年してなかった?
ガ : 最後に先生に診てもらってからずっと・・・
院 : やっぱり検診手帳を作ってちゃんと書いておかないと 、すぐ年が経つから・・・・
僕のところに伝票が上がってきた時「アッ」と思ったんだよ。
ガ : いつか行こう行こうと思ってたら、こんなに経っちゃいました。
院 : それだけお互い年取ったという事だ。でも大丈夫だから、間に合ったから
ガ : そうなんですか?間に合ったんですか?
★4年半振りのM先生との会話でした。
クリニックで検査していた時も一度も顔を合わせる事が無かった。
入院してからもこの日の回診で初めて顔を合わせたのでした。
先生故意に避けていたのかなぁ?
何とも気まずい再会でしたが、相変わらずソフトな優しい話し方で、やっぱり癒される~
【日記より】
明日の手術は二番目で決定。(午後から)
今日一人、同じ病室に入院する人がいるらしい。
姉から電話が病院に入った。お昼頃アパートに着いたとの事。
買い物を終え、灯油タンクを持って来てもらう事になっているので、それが終わってから
5時頃に来るそうだ。
多分先生のお話は遅くなると思うので、6時でもいいかも知れないと言っておいた。
ついでに家から持って来てもらう物を頼んだ。
お昼の検温はいつも37度を下る事が無い。
Y先生が以外と早くOOの検診から戻って来たので、6時半に先生の説明を聞く事になった。
今日の回診は院長先生だった。
ずっとこのままM先生に診てもらわないで終わるのかと思っていたので、良かった。
それに「まだ大丈夫だから」と言ってくれたので、とても安心した。
M先生も久し振りに見たら年取ってた。
Y子さんが又来てくれた。
咳が出てたので手術延びないかと思ってたそうだ。
◎術前説明
午後7時少し前、Y先生に呼ばれ1Fの診察室で姉と話を聞いた。
MRIからこの前撮ったX線、CTの全ての写真を見て説明を受けた。
今の写真の状態では、転移はしていないとの事。
後はリンパの腫れがどこまでか、それによって治療法も変わるとの事。
もし、投薬治療であれば脱毛はない。
全身静注での抗がん剤の場合は、髪は抜けるが又生えてくる。
脇リンパじゃない内側のリンパ(胸骨傍リンパの事)は肋骨を2本切り、その下にあるリンパを
採って調べる。
血液検査で腫瘍マーカーというもので、転移の流れを見る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Y先生は、何事もなく術前検査が済んでいるものと思って帰って来たようだ。
私は問診表の麻酔に関する所に、心電図で引っかかっている事、大学病院で心筋症専門の先生に
診ていただいていた事を書いていた。
そんな話は初耳だったY先生はびっくりしたらしい。手術の18時間前の話ですから。
結局、専門の先生が診てスポーツ心臓と診断しているから大丈夫という事で、
そのまま続行したようだ。
組織診後の説明で癌告知を受けた時、一瞬間があって先生が残せると言った乳頭について、
私は残さなくていいと即答したが、姉は残せるものなら残した方がいいと言っていた。
しかし全摘で手術計画は進んでいるだろうし、今更言えないなぁと思っていた。
姉から聞いてもらう事にした。
Y先生の答えは「それは出来ない!」だった。
計画を変更できないなのか、やっぱり残すのは無理という事なのか定かではないが、
これで決定した。
後に姉に訊ねた事がある。術後すぐ説明があったと思うが、どんな感じだったかと。
「残すのは無理だったんだと思った」と言った。
Y先生は溜息ついた私を見て、くり抜いて残せると一旦は言ってくれたが、最終決定は
院長先生なので変更はできなかったのだと思う。
当時、しこりが内側上方で早期じゃなかった私は、胸骨傍リンパに近い場所だったので、
血行性転移の可能性を考慮し、胸骨傍リンパを採り病理に出す必要があったのだ。
これは院長先生の方針で、当時でもあまりやらなくなっている手術だとY先生から聞いていた。
なぜなら面倒な手術だから。時間も余計に掛かるし。
だんだんセンチネルリンパ節で調べる方向に変わってきていた時期でもあった。
院長先生はより安全策を講じてくれたのだと思う。
怪しいものを残しておくのが嫌いな私には、これで良かったのだと思う。 (^-^)



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2002年12月1日(日) 入院4日目
【回診】 A先生 検温 am 36.4度 pm 37.0度
昨日の夜から咳は出ていないが、用心してもう一日分出してもらう事にした。
初日木~ずっとA先生の回診になっている。
【日記より】
同僚のSちゃんが来てくれた。
お花の先生の所へ取りに行った帰りのようだ。
これまでの流れを聞かれ、「入院、手術を決めてから姉に初めて話した」と言ったら
「すごい強いなぁ~、会社でも全然分からなかった」と言って涙ぐんでいた。
まさか彼女が泣くとは思っていなかったので、こっちまで貰い泣きしそうだった。
「もうじっくり休んだ方がいい」と言われた。 二月いっぱい休もうかな?
フルーツのちゃんとカットされてるのを、持って来てくれた。
すぐ食べられるのでありがたかった。(クリニックの近くはコンビニも無い)
中を見たらお見舞金も入っていたので、それはお願いをして返した。
お金は受取らないと話した。
「他の人からも預からないようにとMちゃんにも言ってある」と言ったんだけど。
★彼女は私の実家にも遊びに行った事もあり、海外旅行も一緒に行った事があった。
この時点で私の入院を知ってるのは、会社関係と姉妹とY子さんだけでした。
他の友達の誰にも病気の事は話していなかった。(特にいつも会ってるメンバー)
今日、手術からの診療計画表を貰った。
いよいよ、明日最終の説明を聞く事になる。CTの結果はどうなっているのか?
手術の順番は三人の先生で相談、院長先生が最終的に決めるとの事。
12月3日は同室のHさんと私の二人らしい。
【診療計画表より抜粋】
12月2日 (手術前日) 腋窩剃毛(両側) pm6:00以降 食事禁止
pm9:00以降 飲水禁止
眠剤・下剤
12月3日 (当日) 手術室入室前 前投薬(筋肉注射) 点滴
手術室で尿カテーテル挿入
(術後) 点滴(500ml×3) 抗生剤 1種類
ドレーン排液量・尿量 (2~3時間おきに測定)
術後1日目 採血 点滴(500ml×1AM) 抗生剤 1種類 午前 → 術後3日まで
ドレーン排液量(7.16.21時) → ドレーン抜去まで
尿カテーテル抜去
朝 ~ 水・お茶可 (ヨーグルト・プリンOK)
昼 ~ お粥
下半身シャワー浴・洗髪可
術後4~14日目 退院指導(12/17)
ドレーン抜去後医師の許可でシャワー可
通常5日目よりマンマ体操開始(12/8)
術前に準備する物 T字帯・バスタオル・フェイスタオル1~2枚・胸帯(クリニックで購入ベスト)



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2002年11月30日(土) 入院3日目
【回診】 A先生 採血あり 検温 am 36.3度 pm 37.3度
★同室のSさんの話で、退院してもしばらく美容室に行けないと聞いて、急遽私も
美容室で髪切って来なきゃと思いたった。
先生に外出許可を願い出た。
ガ : 先生ちょっと外出して来たいんですけど。
Dr : えっ何処に行くの?
ガ : 美容室、カットして来たいんですけど、この状態で無謀ですか?(風邪気味)
Dr : いや無謀って事は無いけど・・・・・・
看 : 大丈夫なの?風邪ひいてるのに・・・・・
ガ : 大丈夫、美容室すぐ近いし、タクシーで行ってタクシーで帰ってくるから。
OKをもぎ取った!
【日記より】
お隣さんの名前チェック。 Sさん。Hさん。
英会話の友達Y子さんに、友達の輪でH子さんからウィルスに感染しているらしい
メールが入っていたので、チェックするよう電話を入れた。
入院している事を言ったら、昼からお見舞いに来てくれるとの事。
「連絡くれてありがとう」と言ってくれた。
Y子さんが3時頃クッキーとりんごを持って来てくれた。
私が一人で告知を受けた事を言ったら、涙ぐんで「どうしてそんなにがんばれるの」って。
その後突然美容室に行く事を思いたって、髪を切って来た。
毎月カットしてるのに、しばらく行けなくなるので事情を話した。
美容室の皆もびっくりしてた。
戻って来たら会社のOさんから見舞いの花が届いていて、メモがあり「また来ます」と・・・
K部長が「Iさんが行く時一緒に付いて来ようかな」と言ってたとか。
「がんばれ!」と言ってたそうだ。
もう病名の事も知っているんだろうと思う。
もしかして皆は復帰できないかも、とか思っているんだろうか?
ご飯を食べてお風呂に入っている時、Oさんが再び来てくれた事を隣りのSさんが教えてくれた。
総務の彼女は会社の系列保険代理店と私の生命保険、癌保険の事で色々手をつくしてくれていたらしく、書類が入っていた。
本当にOさんには面倒をかけてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
退院後に聞いた話では、K部長は本当にクリニックの前まで来たらしい。
だけど「さすがに中に入れなかった」と言っていた。
私も来てもらっても、応対に困りますけど・・・・・・ 同じ部署でも上司でもないし・・・・・・
退院後、退院祝いという事でOさんと一緒に、食事を御馳走になりました。ごっちゃんです!
私の癌保険は受取人が母親名義になっていたため、私が保険金を受け取るには、
名義の変更をしなくてはいけなかった。
以前にもブログに書いたが、癌保険って本人が受取るものだと思っていなかった。
なので、当初加入していた保険を受取るには、面倒な手続きが必要であった。
彼女はそれらの書類と手続き方法を書いて、持って来てくれていた。
≪リアルタイムなお話≫
ジムで久し振りに体脂肪を計った。 22%だった。 ぶひっ
やっぱりね (*_*;
ジムに復帰して二週間、ようやく柔軟性が7割方戻ってきた。筋トレまではまだまだだけど。
ジムの帰りに美容室でカットして来た。耳がすっかり出てるので、風が冷た~い。
またこれからスーパーに行って、帰って来たらお惣菜を作って明日からのお弁当に備えなきゃ!



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2002年11月29日(金) 入院2日目
★ここまで乳癌について何の知識もなかった私は、クリニックに置いてある冊子で入院後
時間もあるので初めて勉強してみようという気になった。(先生3人の共著)
何しろ入院前は”これが最後かも知れない!”とエアロビのインタークラスを取ったり
していて、本屋にも行ってなかった。
皆さん何考えてるんだ!と思うかも知れませんが、私にとっては病院に任せておけば
いい事という思いがあり、今更何を知ったところで・・・・・という気もあった。
それに絶対抗がん剤は点滴になるだろうし、はげ頭でエアロビも行けないと思っていた。
★これはあくまで2002年11月当時の、クリニックの乳癌についての啓蒙冊子からの抜粋で、
私が重要と思った項目について日記にメモしたもので、M先生、A先生、Y先生の共著です。
【乳癌を作る原因】
女性ホルモンの一つ エストロゲン(卵胞ホルモン)
エストロゲンが減り閉経になり、卵巣から出るエストロゲンは減るが、副腎
から出る男性ホルモンが、脂肪組織の中の酵素(アロマターゼ)でエストロ
ゲンに変えられてそれを補う。
これが乳癌を引き起す原因にもなる。
【進行・転移・再発した乳癌には】
細胞を全部殺してしまう一手 (動脈に直接注入する方法 : 動注療法)
最初の時点で抗がん剤(エピルビシン)ホルモン剤(黄体ホルモン)の大量投与
抗がん剤 : がん細胞を殺すと同時にがん周囲の血管を破壊する
ホルモン剤: がん細胞に新しく血管を作らせない。
【術前検査】 検尿・採血・肺活量・心電図・甲状腺&肝臓エコー
【回診】 A先生 (咳止め ビタミン剤服用)
【日記より】
女性同僚が二名、お見舞いに来た。
お見舞い金を出したんだけど、ごめんなさいして受け取らなかった。
Mちゃんは二日続けて来てくれた。身体大丈夫だろうか?
Mちゃんが可愛いマスコット(プーさん)を持って来てくれたので、スタンドの紐にくっつけた。
お隣さんは私の名前を覚えてる。私もネーム確かめなくっちゃ。
咳止めを貰っているが、まだ治らない。
看護婦さんがイソジンを持って来てくれたので、うがいをする。
今日は眠剤を貰って寝る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入院する際にMちゃんにお願いしていた事がある。
男性職員が私の欠勤について聞いても教えないように。(部長会のメンバーは知ってるらしい)
たとえ上司でも、お見舞いは断わって欲しい。
女子職員には、聞いてきたら病名、病院名を教えても良い。
お見舞い金は一切預からないで欲しい。
身体の丈夫じゃないMちゃんは、この後も派遣さんからの仕事の伝言を持って来て、
帰りは私の指示を持って帰るという大変な仕事を、入院中はもちろん退院して自宅療養中も
電話で連絡を取って補助してくれていたのです。
病室の入り口にはネームプレートが付いてない。
患者のネームはそれぞれのベッドの頭に付いているだけ。
廊下側の私が窓側の彼女の名前を知るには、彼女がいない時に窓側に行って見るしかない。
まる二日間、私は自分のベッドと用事ある場所しか移動していなかった事になる。
私はあまり人に興味を示す方ではない。というか人間観察は苦手。
よく人の行動をじっと見てたりとか、周りで何が起きてるかとか、そういう情報の早い人がいる。
私はそんなところも無頓着だ。
相手が話したくなったら話すだろうと思うので、こちらから話しかける事はあまりない。
英会話、テニス、ジムで色んな人に会って、おしゃべりやらしてたけど、名前あんまり覚えてない。
とっても親しくなり飲みに行っても、顔も合わせてしばらく休んでいれば「お久し振り!」と言葉を
交わしていても、名前を知らない人がたくさんいる。
そして親しくなってからだとタイミングを逃してしまい、余計聞けなくなるのでした。



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2002年11月28日(木) 入院1日目
★27日から来てくれている姉とクリニックへ、11時に入院の手続きを済ませる。
ベッドは既に空いていた。もう一つ空きがあった。
4人部屋で同年代のOLさん(2~3日前に温存手術)と、50代の主婦
(まつげのパーマをかけていたおしゃれさん)と私の三人。
何日かして、もう一人70代(?)のおばあちゃんが入院して、満床となった。
病室は看護士詰所の目の前で、私のベッドは廊下側だった。
ちなみに二度目の入院も同じ病室で、その時は窓側のベッドでした。
(明るくて寝付けなかったので、二度目は学習しアイピローを持って入院した)
病室に入ったのは姉が先頭で、私はその後に続いた。
看 : 今度こちらに入院しますガーネットさんです。皆さんよろしく。
姉 : 皆さんお世話になります。私姉です。よろしくお願い致します。
ガ : よろしくお願いします。
挨拶もそこそこにパジャマに着替え、新米看護士(?)さんの案内で院内の説明を
受けた後、身体の測定、術前検査と目まぐるしくあっち行ったり、こっちに来たり・・・・
★入院してから手術前夜まで、私は主治医と顔を合わせていない。
後で分かったのだが、どこかに乳癌検診の出張に行ってたらしい。
この頃はまだそんな余裕もあったのだろう。今じゃ考えられないけど・・・・・・・
【回診】 A先生
ここの回診は手の空いた時にするので、午前だったり、午後だったり、病室に来て
一人診てまた後で来るなんて事もしょっちゅうです。
先生方は本当に忙しそうで、いつご飯食べているのか、いつ寝ているのかと思う。
回診の時A先生自分の担当の患者がいなくて、一度病室を出て戻ってきた。
いきなり新顔一人が病室にいたので、びっくりしたかも・・・・
私は丁度落ち着いてきたところで日記を付けていた時で、下を向いていたのだが、
先生が「あっガーネットさんね」と声を掛けてきた。
「お世話になります。よろしくお願いします」とベッドに腰を掛けたままで挨拶。
後で先生の名前を知って、大学病院時代に検査受けてる先生だと分かった。
大学病院からカルテを移動してるので、A先生も見ているはず。
手術までの一週間、外来でホルモン剤と抗ガン剤を処方してもらい、服用していた。
Dr : 抗がん剤とホルモン剤今日から飲んでみる?
ガ : はい、飲みます
Dr : 皆飲んでみるって聞くと、飲むって言うんだよね。飲んでも飲まなくても変わら
ないんだけど。
★先生は副作用がでるかどうか様子みてたのかも。
患者は癌と分かったら少しでも早く治療したいので、皆そう答えると思う。
今の私なら病理結果でホルモンに影響されるタイプかどうか分かってからと
思うだろうが、当時は無知だったのです。
2日前より咳が出て、売薬を飲んでいる。
【測定】 腕回り2ヶ所 可動域 身長153cm 体重43.8㎏ 体脂肪率 24%
【検査】 レントゲン : 胸 背中(横・上向き) CT : 胃 肝臓
【日記より】
姉は17:00に帰った。
私が退院するまでに灯油のタンクを90ℓのホームタンクに換えておいてくれるそうだ。
(20ℓのポリタンクから灯油を移していたが、術後は重たいものを持てないため)
病院に来てから色々と足りない物を買い物してくれたので、本当に助かった。
前回は一人だったので(子宮筋腫の時)自分で全部色々考えて準備したけど、
今回は火、水と残業で全然入院の準備ができなかったので、見落としがやっぱり
多かったみたいだ。
Mちゃんが来てくれた。 (病気の事を唯一入院前に話していた子で同じ部にいた)
会社の事、派遣さんの事、色々話してくれた。
今迄、人に頼らず独りで生きてきた気でいたが、人間独りでは生きられないと悟る 遅っ



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2002年11月26日(火)入院2日前・・・手帳メモより
朝、姉から電話があった。
手術するクリニックの事を何も伝えてなかったので、どんな病院か不安だったようだ。
ベット数19床のクリニックだと言ったら、ちゃんとした病院なのかと心配してた。
大学病院時代からずっと診てもらっている先生が、開業したクリニックだと言ったら
安心したようだ。
★ネームバリューってすごいです。 同じ先生なのに。
妹にも電話で知らせたようで、手術の日に来てくれるとの事。
姉は入院前日に来てくれるとの事。
【乳腺クリニック主治医のお手紙を持ってF病院婦人科へ】
12月7日の診察予定のキャンセルと説明に・・・・
受付に先生のお手紙を渡し事情を説明したら、婦人科外来の看護士さんが1Fの
受付に降りてきた。
事の成り行きを説明したら、急遽F先生に診察していただける事になった。
★これが婦人科で今もお世話になっているF先生との出会いです。
ここの婦人科では最初に診察を受けてから、後で先生のお話を聞く。
大学病院で腹式筋腫核出術を受けた時の説明図を渡す。
診察台で準備が整ったら、カーテン越しに・・・・
Dr : ガーネットさん診察で~す。
ガ : はい。(力抜いて脚をパタンと開いて・・大学病院での婦人科の指示を思い出す)
★今もこんな感じで始まる。
【診察内容】
◎子宮体癌検査
エストロゲンというホルモンをブロックし、乳癌細胞の増殖を抑える薬の
ノルバデックス(タモキシフェン)は子宮内膜を厚くするので、体癌検査で
厚くならないか見て検診する。 子宮内膜症で飲んでた薬 ボンゾール。
結果は二週間後 (入院先のクリニックに郵送してもらう)
◎子宮筋腫
10年前の手術で子宮の裏側にあった筋腫は採れなかった。いつの間にか
3個に増えていた。
◎おでき
局所麻酔で採れる。4時間位時間が必要。
半日入院で休憩を取り、夕飯を食べて帰る。
乳腺クリニック退院後、電話で受付、手術日を決める。(2~3週間前)
前開きパジャマを2枚購入
手術前日、派遣社員を連れて来た派遣会社の営業担当者は、挨拶に引きずりまわし営業に
ひっしで、結局引継ぎは午後からの半日しか時間が無かった。
入院が決まってからの3日間は、仕事を休まずいかに無駄なく行動するかにかかっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入院の荷物を纏めていた前日の夜も、海外旅行に行く時もこうやって前日の夜中に慌てて
やってたなぁ~なんて考えながら荷造りしていました。
次回からようやく入院生活に入ってからの日記になります。
小さなメモ帳を用意し、毎日入院中の出来事を書いてました。
この時点で私は携帯を持っていなかった。超アナログ人間です!
いちいちチェックが面倒臭い。今も携帯のチェックは家に戻ってからするだけ。意味ねぇー。



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2002年11月25日(月)・・・・46歳 (初診から三週間後)
14:00 クリニック 【ガーゼ交換・最終結果】
★まずはガーゼ交換、今になってふっと思ったのだが、火、木、月とガーゼ交換してる。
Y先生の診察日ではない。
組織診のケアは手術した先生が担当するのかな?
★造影剤を入れたMRI、組織診(部分切除)で最終結果が出た。
結果は何処で聞いたんだろう?
診察室だったか、前と同じ看護士詰所だったか・・・・・?
(一人で聞いたから、自分の記憶しか頼れるものがない)
前回の説明の時に使った診断結果・治療法の用紙で、空欄だったところに説明を
しながら書き込んでいく。
先生の目を見ることもなく、手元の説明書きをじっと見ながら聞いていた。 【手 術】 左胸筋温存乳房切除術+左胸骨傍リンパ節郭清(PS)
【入院日数】 手術後約二週間で退院 (リハビリ 翌日より開始)
【放 射 線】 PS 1ヶ・・・・・・・・・・放射線の可能性
PS 2ヶ~3ヶ・・・・・全身注射による化学療法
【 く す り 】 ◎抗女性ホルモン剤・・・・・5年間 (子宮癌検診)
◎抗ガン剤・・・・・・・・・・・・・2年間
【そ の 他】
◎ 手術時間 3.0~3.5時間 (肋骨を切ってその下のリンパ郭清のため時間がかかる)
◎ 重たいもの× 点滴× 注射× 血圧×
◎ 左前胸部、左上腕内側の知覚不全マヒ
◎ 熱メス 270° 輸血(-)
◎ マイトマイシンC(抗がん剤) 翌日静注
★ 入院後右乳房石灰化の精査をする
【手帳メモより】
ガン 硬癌 浸潤 右も怪しいので検査。
自分から手術日に右も疑いがあるなら、組織を採って検査して欲しいと先生に言った。
Y先生は何でも話してくれた。
写真も見せてくれて「右も細胞診していい?」と聞いて、エコーを撮った段階で、
細胞を採る事に。
「がんばりましょう」と言ってくれた。
最初転移は無いと言ってたけど、結局は手術をしてリンパ腺の腫れを見ないことには、
何とも言えないとの事。
手術後、点滴で抗がん剤を血液に入れる。
1回だけするとの事。 普通は1回だけと言ってた。
転移と見られていれば、するという事だと思う。
先生が今から言うという事は、転移している可能性も高いと思える。
3~4日吐き気がして、食欲が無くなる人もいるそうだ。
どんな副作用が出るのか、ちょっと怖い。
●11日(月) ジムへ行った。スイミングの仲間に病気の事を話す。
Tさんも5年程前に乳癌の手術をしているとの事。
●12日(火) N病院 8:30 受付 9:00 造影剤 【MRI】
●18日(月) 乳腺クリニック 14:00 【組織診(部分切除)】
乳腺切除。 先生の所見では癌だろう・・・・温存は難しい。
採った物を見せてくれた。
色はバターみたいで、カッターで切っても堅い感じがわかった。

もつのような弾力だった。
もしかしたら他の検査に出すかもしれないと・・・・一体何の検査に?

先生が痛みに強い人だと言った。

処置室でパッパとやるかと思ったら、ちゃんとした手術室でびっくりした。
★検査等で見た事が無い物、未経験の事が起きるとそちらに興味が移る。
昔の話だが、S市立病院で乳腺繊維腺腫を採る事になり、手術場に入り局麻を
する段階でDrに「あれっ?どこを採るの?」とカルテを確認、「これは採る必要無い」
と言われ、手術場から車椅子で出てきて、看護士さんに「どうしたのぉ~?」と
びっくりされた事がある。
事情を説明したら「切らなくて良くなったんだから、良かったじゃない!」と言われた。
そういう問題じゃないと思うんだけど・・・・・

それ以降○○市立病院にかかるのを止めて、大学病院にした。
●19日(火) 乳腺クリニック 14:00 【ガーゼ交換】
先生より医大のカルテで、H10年4月8日迄通っていた事が分った。
H10年3月にレントゲン ( 注:マンモグラフィの事 )
★この時の事は良く覚えてる。
診察室に入る前の更衣室で、上着を脱いでいる時に先生が話し掛けてきた。
Dr : あなたねぇ、医大のカルテ探したらまだ残ってあったんだけど、H10年の
4月8日まで掛かってたよ。
ガ : あっそうですか、掛かってました?(今更そんな事どうだっていいじゃない)
(あなたぁって、何であなた呼ばわりされなきゃいけないの! プチッ!)
問診票に一年くらい間違って書いてたようだ。ブログに書くまで調べてなかった。
色んな事を一人で判断し解決しなくてはいけなくて、イライラしていたのかも
知れない。
完全に私の逆ギレで、先生はとばっちりを受けたのでした。<m(__)m>
●21日(木) 乳腺クリニック 14:00 【ガーゼ交換】
次回 11月25日 結果がでているはず
★私の中では癌の確定を出し、仕事の整理をし課長にも話していた。
何も決めれないダメ課長は、その時すぐ総務部へ話を通した。それなのに・・・
総務部長も25日じゃないと100%確定じゃないとの思いからか、この二週間何の
手立てもしていなかった。
あれほど先生からは8割方癌だと言われていると初めに伝えていたのに・・・・・<
今思えば、会社を休む事も無く、沈む様子もなく、普段と同じように笑って仕事
している私を見ていて、それ程深刻な状況とは思っていなかったのかも。
周りの女の子も同じ課の子以外は、誰一人私の身に起こった事を知る人は
いなかった。
彼女には「今迄と同じよう普通にしていて」 と、お願いしていた。



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2002年11月7日(木)pm3:00 クリニックにて
クリニックに行き、名前を呼ばれるのを待っていた。 混んでる。
実はまだこの時は、このクリニックが大変な評判で、地方からもたくさんの患者さん
が来ている事を知らなかった。
確かに院長先生の人柄を知れば、皆さん頼りにすると思う。
それは大学病院にお勤めの頃から同じで、患者に対しても時間をかけてとても丁寧
に説明をしていたので、評判が良かった。
よっぽどの事情が無い限り、主治医はそんなに簡単に変えないと思うので、
大学病院から転院した患者さんも多いだろうと思う。(私もそのつもりだった)
看護士さんに名前を呼ばれた。
「ここじゃ落ち着かないだろうから、先生が上で説明しますからって」と言われ、
2Fから3FへEVで移動した。
多分たった一人で結果を聞きに来た私に、気を使ってくれたのだと思う。
涙を流して診察室から出てくる人もいるらしいから。
場所は看護士詰所だった。 病室が目の前に並んでいる。
入って右手の端に座った。先生が既にいたような気がするが定かではない。
J型にカウンターになっていて、大きなガラス窓からサロンが見える。
診断結果・治療法など書込める用紙に、先生が書きながら説明を始めた。
しばらくして、音楽が聞こえてきた。
ふっと顔と上げると、パジャマ姿の患者さん達が、何か変なふりをして踊ってる?
なにっ? 何が始まったの? 奇妙な動きだった。 おっかしぃ~。
自分の中の緊張が一瞬解れた。(こんな場面で笑顔がこぼれた私って?)
これがマンマ体操と言うもので、リハビリの一環として毎日術後5日目から
始めるものだと知ったのは、入院後の事だった。
踊ってる?と思ったこの体操を、私は一ヶ月後には皆と一緒にしていたのでした。
今回も1ヶ月前に予約したが、9:00は一杯で10:30になった。
新年早々だが、いるんだなぁ~本当に。
友達同士で乳がん検診に来ていた人が何人かいた。50代後半~60代という感じ。
覚えやすいように新年早々にしたのかな? おもしろい。
おもしろいと言えば、5年前はクリニックの前はタクシーを拾うのが大変だった。
今日はタクシーが3台、クリニックの横と正面に付けて客待ちしていた。

マスコミに出るようになってから、ますます混んできた。
土曜日は午前中で終わりだが、1時の時点で診察待ち、検査待ちの患者が50人以上は
いたと思う。
10:00 クリニック到着

★予約は10:30だが、待ち時間が長くなりそうだったので、早く家を出た
10:15 名前を呼ばれ検査の予定を聞き、検査室の前で待つ
11:00 胸部X線撮影
★いつ以来だろう、3年は撮ってないかも。内科や、人間ドックで撮ってるから
あまり気にしてなかった。 まずい。
検査衣に着替えて撮影が終わり、次エコーと診察がありますから、着替えて待ってて
と言われ・・・・・・
ガ : このままじゃダメ? 面倒臭いんだけど・・・・(3度着替えなくてはいけない)

技 : (ふふっと笑い) いいですよ。自分の洋服は持って出て下さい。

ラッキー

トイレに行くのに待合室を通った私、その姿を見た患者さん達の目が不思議そうだった。
(でも、そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、・・・・・・はい!おっぱっぴぃ!)
1人1分更衣に時間掛かるとして、60人で1時間ですよ。
これだけでもすごい待ち時間短縮になると思うんだけど・・・・ダメかなぁ~

いつもなんでこんな効率の悪い方法とってるのか、不思議なんですけど。
(院長、今年開院10周年、いろいろ見直すところが出てきてますよ~)
11:50 エコー検査
★鎖骨リンパ、脇リンパ、乳房(胸壁)、肝臓、を20分かけてじっくりと・・・
半分終わったところで時計が12時のお知らせ・・・・・

(きゃ~友達とランチ約束してるのに、まだエコーの最中、ご飯何時に食べられるかな)
なんて思いながら、若くてきれいな検査技師にちょっと質問。
ガ : シリコンが破れたら分かるんですか?

技 : 私はまだ見た事ないんですけど、(モニターの向きを私の方に変えて)
シリコンは黒く映るので、破れたら分かる思いますよ。

ガ : へぇ~シリコンって黒く映るんだ・・・・(確かに真っ黒に映ってるわ)
12:30 診察
★既に検査衣にコート姿の私・・・・楽ちん楽ちん。
知らせると言うのは、先生の中で黒の確定が出ていたからなのかも知れない。
きっと三人の先生が診て、その結果を翌日にという事なのだと思う。
ここのクリニックは三人の医師がいる。(現在は四人)
M先生(院長)とA先生(副院長)そして主治医となるY先生(副院長)
M先生とA先生は兄弟で、私は大学病院からの付合いになる。
(A先生については顔も忘れてたけど) <(_ _)>
クリニック開業時はM先生とY先生の二人体制で、一年後にA先生が大学を退職
して、クリニックに参加しました。(クリニックの招待にお知らせが書いてあった)
確かに一度に二人辞められたら、大学病院も大変だ。
でもA先生、Y先生の存在は頭になかった。
何故かM先生一人と思い、主治医がY先生と聞いた時、そんなに先生いたの?
と思った。
Y先生は初診で初対面
当時はあまり外来には出てなくて、週2回午前中だけだった。
水曜日、土曜日。(現在は月曜日も診察日)
手術と、組織診、検査を主に担当していたようだ。
後に本人弁によると「なんちゃって副院長だ」って言ってましたが、本人を目の前に
失礼な程爆笑してしまった。

火曜日と金曜日は手術日なので、午前中だけの診察となる。
外来は院長一人での診察となる。(院長が手術に入るのは午後から)
私が初めて行ったのが、火曜日。
院長の診察日、Y先生は診察日じゃない。
何故Y先生が主治医になったのか

後になって回診の時、院長が言ってたのだが、
「診察の伝票が回ってきた時、あっ!と思った」 と・・・・
院長は午前中予約の患者で一杯、多分A先生は手術中、それでY先生が診察する
よう院長の指示だったのではないか?
2002年11月2日or3日・・・・46歳
しこりをで見つけた時の事は、どこにも記録がない。 ( ..)φメモメモ
クリニックに行き診察し、結果の電話の所からしか記録していない。
4日(月)が祝日で、すぐクリニックに行けなくてこの間がとても長く感じられた。
まだ記憶に新しいので、当時を振り返ってみる・・・・・
しこりを発見した後は、もうしこりを触る事ができなかった。
触ったらひどくなりそうな気がしたのだ。
今迄さんざん検査をし、先生の説明を受けていたので、何かが起きている!と自覚できた。
私の中では6割以上の確率で癌と思われた。
乳腺線維腺腫とは違うしこりの固さ、くりくり動く事もなく根が張っている状態が
指先に伝わってきた。
左胸内側上の方だった。
あっ! この場所、M先生に石灰化の集積を指摘されていた場所だ!
さすがの私も気付いた。
何度も何度もしこりを掴もうとした。でも掴めなかった。根が・・・・
血の気が引くってこんな感じなんだろうな、本当に顔からスーっと・・・・・・
何故、こんなにすぐわかる程のしこりに気付かなかったんだろう?
自分でも不思議だった。毎日ジムに行き、裸だっていつも鏡で見てるのに。
ただ私は自己検診をした事がなかったのです。定期的に大学病院で検査している時でも、
先生が触診してる事で安心してたので、自分でお風呂に入った時に素手で触って確かめる
事もなかった。(石鹸を素手につけて、胸を洗うと滑りがいいのでわかりやすいそうだ)
乳癌の発生しやすい部位は乳房を十字に4等分して
①外側上部 50% ②内側上部 25% ③外側下部 10% ④内側下部 5%
⑤乳頭を中心とした中央部 7% ⑥全体に及んでいるもの 3%
※ 【乳がん全書】COLUMN (自己検診は、乳がんのできにくい部位まで念入りに)より引用
編著者 福田 護 : 発行所 ㈱法研
私のしこりの場所は②+⑤の辺りです。
2002年11月5日(火) 乳腺クリニックへ
朝一で会社へ電話。 部署直通なので、他の人に知られる事はない。
胸にしこりを見つけて気になるので、病院に寄ってから行く事を女の子に告げた。
丁度課長が出張でいなかったのも、ラッキーだった。はっきりするまでは言わない方がいい。
クリニックに着いたのは9時過ぎていたと思う。
三が日は病気ネタは書かないでおこうと思ったので、今日はエアロビの話。
軽い運動OKの許可が眼科医からでたので、復活2回目の今日。
木曜日11:45分のエアロビのクラスなんて、普段は当然取れない。
お休みなので、今日はジムもpm6:00までという事もあり、早めのクラスを取った。
スタート2~3分前にスタジオ入り。 見渡したところ若い人はいない。
リタイア組の男性が一人混じってた。15人程いたかな~
目が悪いので、皆さん遠慮がちで前列を埋めていないので、初顔ながら前列左端へ
初顔ばかりだし、もう二度と会う事もないメンバーだろうからいいかと・・・・
それにしても、インストラクターらしき人が見当たらない。 どこだろう・・・・・・
時間だ。 アンプのところでチューニングしてる人がいる。あっ!あの人か!
鏡を背に生徒に向かって新年の挨拶から始まった・・・・・が・・・・・
インストラクターの体に目がいった。 本当にインストラクター・・・・・?
たまにいるんだけど。こんな人が。
体の締まってないインストラクターで、アライメントの奇麗な人はいない。
そしてきまってそんな人はストレッチの型もなっちゃいない。
なまじっかキャリアがちょっとある分、振付も楽な感じにアレンジされてる。
最初私は新しい振りなんだと思った。(そうかこの先生上と下はクロスさせるんだ・・・・・)
でもマイクから聞こえる声は「横、上、横、前、横、下、横、引く!」の掛け声。
どこが横、上なんだよそれじゃあ横、頭の上クロスじゃない
横、上、横、下の腕の動きは、筋肉を使ってきちんと止めて、惰性でクロスにならないと、
あなた教わらなかったの?
初心者の目はごまかせても、ベテランの目はごまかせませんよ。
そんな教え方で適当に筋肉を使っているから、そんな素人のような体になるんだよ
もっとプロ根性持って欲しいもんだ、まったく。初級をなめるんじゃないよ!
こんなインストラクターが初級のクラスを担当したら、初心者は基本動作を間違って
覚えてしまうのです。
せっかくのストレッチもきちんと指導してあげないと、無駄な事。
私が初心者の時は、インストラクターも初心っぽい人だったり、ずっと長くジムと契約
してる人だったので、今思うとラッキーだった。
インストラクターなりたての人は、一生懸命だし、自分が養成クラスで習った基本を
まだ崩さずにそのまま教える。
だから、基本を覚えるにはいいのだ。
今度から同じ初級でも難度が高いスリムクラスを取ろう。
インターの先生に2月中にはインターに復帰すると宣言したので、体力と感を戻して
早くいつものクラスに行こう!
あぁぁぁ~ またやり過ぎ病が出てきそうで怖い
自粛、自粛・・・・・・・・ 待て ガーネット



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一体どうしたの?
僕がピキッて苦しんでたの気付かなかった?
一回だけでしょ?今までもそんな事あったし・・・・
ガスマットに汁が少しずつ落ちてたんだよ!
だったら、どうしてテーブルに運ぶ前に教えてくれないの!
いいよもう。僕の名前はなんちゃってホルモン鍋です。
ああ取込み中スミマセン、お邪魔します。
あっ!あなた・・・・
僕ですよ。ホルモン鍋の下にいた鍋敷きです。
あなた確かオーストラリア土産のカンガルーの皮で出来た・・
僕は飲むつもりじゃなかったんだけど、どんどん浸みてきて。
私はおいしく出来て、さぁスープ飲もうと思っていたのに・・・・
ごめんね。僕飲んじゃいました。でももう飲めませんから!!
はじめまして、新年からガーネットさん家にお世話になる土鍋です。
昨日、事情は全部聞きました。今日から僕に任せて下さい。
もう少しでガーネットさんホーローの鍋にするところだったんだよ。
お店の人がやっぱり土鍋の方が保温性が高いって言ってくれてね・・・・・・・
と言ったところで・・・・・・
最近なんちゃってホルモン鍋にはまりつつあって、二度目の出来事でした。
ありものの野菜でモヤシもニラもはいってないのですが、いい感じの味だった。
レンゲを取り出し、さぁ飲もうって時に・・・信じられない光景だった・・・・
もう何が起きたのって感じで、ガスマットにスープが溜まってて、吹きこぼれてもいない
のに変だなぁと思ってたんですが。
そしたら鍋敷きが歪んできて、ヤバイと思い移さなきゃと土鍋をちょっと持ち上げたら、
パカッと割れたんですねぇ~ マンガみたいでしたホント・・・・
テーブルからカーペットにスープが流れるのを、はっと我に返ってPCをまず
避難しました。
いつもは食事の時はテーブルの上に置かないのですが、ちょっとチェックしたくて・・・・
どうでしょう?初笑いできました?
私の拙いブログに訪問していただいてる皆様へ
明けましておめでとうございます。
今年もマイペースでブログ更新していきますので、また遊びに来て下さいね。
新年だから私の夢叶えて下さい。
私のブログに独身で乳癌で40~50代の方は遊びに来てくれているのでしょうか?
そんな方がいたら、お話がしたい・・・・・ それもブログを始めた理由の一つなんだけど。
たった二ヶ月じゃ無理だよね。もうちょっとがんばるかぁ~
私にもう少し(いやもっと一杯)PCの知識があれば、自分でコミュニティ開きたい
ところだけど、いつかいつか開くぞ~ そうだこれを目標にブログがんばろう。
また年増えるんだからもう少し落ち着かなくちゃね反省! ぺこり



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