いざお風呂場へカビキラー作戦始め! 何故あなた達は食器棚から落ちたの
怪しいものではありません。 私のせいだって言うの?
うむ・・・こんな所でゴーグルが役立った。 ちぇっ!多勢に無勢・・ごめんなさい。^^;
御馳走サラダオードブル 中華おつまみオードブル 握り寿司と貝沢山太巻セット
&ほたて照焼1,440円 980円 420円
どなたか存じませんが、作ってくれた方ありがとう!!これで年が越せるわ!!
今年は乳がんもう一個増えちゃったけど、でも生きてるから私・・・・・しあわせです。
来年は皆さんにとっても、私にとっても、今年よりちょっとでも楽しい事が増えますように!!



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6月14日 右頭頂部触るとピリピリ一日中頭痛


7月25日(木) 【医大 心筋症専門内科】
健康診断で再検査 心電図2種類受ける

次回心エコーと検査結果
9月5日(木)有休 10:30 心エコー
【検査結果】
心臓先端部の筋肉が少し厚いが、前回より肥大はしていないので、年1回の検査でOK。
先端は16mm 他は9mm、エアロも普通にしている分にはOK、疲れたら休む事。
【手帳メモ】
次回はカードで11時までに受付
先付けオーダーの用紙を提出し、直接レントゲン、心電図を撮ってから診察を受ける事
日付も一年以内であれば、カードで受付OK(時間指定なし)
木曜日 N先生 第2内科
先付けオーダーとは、次回診察日の検査が既にオーダーされている事で、
当日は先に検査をしてから診察を受ける。
直接検査室に行って受付をする。
診察をしてから検査して、また結果をとなると時間がかかるからだと思う。
【生理不順】
9月6日生理始り
9月24日生理始り(前回より19日目)
10月14日生理始り(前回より20日目)
★ 今までこんな事は一度もなかった。婦人科の病気を疑った。(筋腫の手術から10年後)
電話で診察曜日、時間を確認、土曜日の診察を予約した。
11月2日(土)10:00
地下鉄2駅のF病院産婦人科へ(現在は婦人科のみ)
ずっと男性医師だったので、女医さんのいるこの病院を見付けた時は、もう大学病院の
婦人科に行く気は無かった。
問診、採尿、排尿、を済ませ中待合室で診察を待っていた。
結構待ち時間がある。目の前に貼っている色んなポスターや、お知らせのビラ等を何気に
見ていた。
産婦人科なので、赤ちゃんに関する事、妊婦さんに関する事、婦人科に関する事の物が
当然ながら多い。
そんな中に乳がん自己検診の啓蒙ポスターが貼ってあった。
そういえばしばらく検診してないなぁ~ 家に帰ったらやってみよー。 そのくらいの感じ。
すぐ乳腺クリニックに定期検診に行こうとか、そんな事全然思わなかった。
毎日ブラジャーをつける時に外側と下側は自然に触っている訳で、今まで手に何かが触れた
なんて事は無かった。
しかし私の癌は内側だったのです。意識して触ってみなければ、わからない場所でした。
意識して、これこそ検診の意味なのですね。
さて、婦人科の診察結果はといいますと・・・・・・・子宮がん検診 エコー おでき
おできは、最後に大学病院の婦人科で診察を受けているが、切ると出血の多い
場所なので、悪いものじゃないから様子をみようという事だった。
ずっと気になっていて、大きさも1cmくらいに大きくなっていた。
根があるような感じで、子宮じゃないのに知識がなかったので、癌かと思った。
それで生理不順もこのおできが、癌か何かで起きた事だと思ったのです。
【土曜日担当の先生の説明】
おできの経過を診る為、一ヶ月後にもう一度診察。今のところ悪いものではない。
筋腫 3cm1個 3cm弱 1個 あり。 経過を診る。(またできていたなんて・・・・)
次回予約 12月7日(土) 10:00 ≪ しかし この後乳癌発症がわかりキャンセル≫



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1月 9日・・・・・・医大 整形外科
肩甲骨の痛み、朝方から良くならず病院へ
Ⅹ線は異常なし。鎮痛剤と湿布。
1月13日・25日・整体へ
★ この頃から整体へ行っていた。身体に疲れが溜まっていたのだと思う。

【2月のスケジュールより】
2日(土) エアロ
3日(日) エアロ2本 筋トレ
5日(火) エアロ2本
6日(水) アクアビクス
7日(木) ヒップホップ 筋トレ エアロ
10日(日) エアロ2本 筋トレ
11日(祝) エアロ ストレッチ
12日(火) エアロ
13日(水) アクアビクス
14日(木) ヒップホップ 筋トレ エアロ
17日(日) エアロ2本 プール
18日(月) エアロ2本 筋トレ
20日(水) アクアビクス
21日(木) ヒップホップ 筋トレ エアロ
23日(土) エアロ
25日(月) エアロ ステップ (腰に張りと少し痛みが出た)
27日(水) ダンベルステップ 筋トレ エアロ (張りは少しあるが痛みなし)
28日(木) ヒップホップ エアロ(最強クラス) プール歩き(痛みなし)
【4月】
今月からアミノ酸、クエン酸を飲んでいる。腰の調子は90~95%回復。
★ この頃はまだストレッチを、それほど重要視していなかった。
しかし筋肉疲労は感じていたので、トレーナーに相談し、サプリを摂り始めた。
【5月の人事異動】
7日から女性職員の殆んどが、一斉に人事異動で部署が変わった。
皆、今までの仕事の引継ぎと、新しい仕事の引継ぎで、毎日残業だった。





(メモでは5月の残業は58Hだった)
私は入社以来22年間、ずっと同じ部署だった。
(こんなに異動しなかった人もいないと思うが・・・・)
まったくの新人になった気分だった。

今迄の部署は一般的な事務とは関係のない部署だった。
会計伝票も起票した事がなかった。
新しい部署は、これまた一般的な事務とはちょっとかけ離れている。
しかし、仕事の種類が多いので、覚えなくてはいけない事が多かった。
しかも、ずっとその仕事を仕切っていた人も定年となり、同じ部署にサポートして
くれる人も同時にいなくなってしまったのでした。

毎日眠れない日が続いた。大変なストレスだった。

5月中旬までにいきなり労災保険の確定申告をしなくてはいけなかった。
普通は年度決算も終わり、5月は楽勝と思うかも知れないが、新しい部署はこれから
決算のような月だったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まったく、あんな思いは二度としたくない。
2月~6月までが行事が多くて、普段の仕事に加えて忙しくなる部署なのです。
今は暇な時期です。だからブログの更新もできているんだけど・・・・

今の部署の良いところは飽きないという事。
慣れた仕事でも、やる事が日々違うので飽きないのです。
自分で何を優先してやるか計画をたて、1~10まで自分の考えで、自分のやり方で
できる。

前は見積り関係だったので、流れ作業で前の手順が終わらないと、自分の仕事が
できない。時間のロスが生じる。
二週間後のスケジュールが分からない。
ある意味これも大変なストレスだったと思う。
入社当時女の子から「ガーネットさんOO課でしょ。かわいそ~」とよく言われた。(T_T)
それだけ皆がいきたくない部署だったのだろう。
だからこそ大学病院で検診してた頃は、平日でも1か月前に予約を入れたら必ず
行く事にしてた。
予約してるからと、強気に仕事を抜ける事ができた。
締めの決まっている仕事、月のスケジュールが決まっている部署は、
楽だなぁ~と、異動して初めて知った。
11月に生理不順で病院に行った時は、少し仕事も落ち着いて余裕が持てた
時期だったのかも知れない。
【余談】
今日は会社の仕事納め。食べて、飲んで、夕食はいらない!





新年は1月4日(金)から。
有休を取れば9連休なのだが、8月にお盆休みと有休2日足して9連休を取り、
形成外科の手術を受けたので、今回は他の人にお休みを譲った。
各部署で一人、電話番を置く事になっているのです。

だから、1月4日はの~んびりです。(年始の挨拶が多くありませんよ~に)




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【網膜裂孔が起きた時】
2007年11月5日(月)・・・・・・飛蚊症のような煙のような、真綿のような・・・・・
ゆらゆらと目に映っていた。でも、1分程で消えた。
痛くも痒くもない。 単なる飛蚊症と思っていた。
2007年11月7日(水)・・・・・・会社で仕事中、PCの画像が歪んで見えた。
こんな画面なの?と思った。
それから何分もしないうちに・・・・
【pm3:00】
会社で急に、左目にまたコーヒーをサーっと撒いた様なものが見えた。
今回はすぐに消えなかった。ネットで眼科を探したが、自宅近くにはない。
土曜日やっているところ、飛蚊症に詳しいところ、夜間診療しているところ、探したがあまり
条件にあったところがなかった。
ようやく7時までやってるところを見付けたら、水曜日午後は休診だった。
会社の近くの眼科に電話で確認した。M眼科は5時で終わり。
N眼科は6時までだが「初診の方は、5時頃までに来て下さい」と言われた。
この時点で4時半、その後も探したがない。
どうしようか迷ったが、一度ならず二度もこんな事になり、ただ事じゃないと思った。
5日に初めて目に映った影、6日は落ち着いていたから、土曜日に行こうと思い、
自分の症状をネットで検索していた。
ほっておいたら網膜剥離で失明するとあった。
だから7日に二度目の症状が出た時は、土曜日まで待ったらとんでもない事になる
と思った。
トイレに行き、右目を閉じて左目だけで見てみたら、霞んで見えなくなってる。
ますますヤバイ! (/_;)
何が何でも今日中に病院に行かなくちゃ!!
課長の許可をもらい、早退する事に。着替えて外へ出たのは5時15分前だった。
【pm4:45】
徒歩で病院まで15分、でも間に合わないかも・・・いまいち場所も分からない・・・・ (-_-;)
ちょっと走ったら運良くタクシーが通りかかった。
★ 後で考えると、ここで走らなかった事が幸運だった・・・・
ガ : ものすごく近くで申し訳ないのですが、大学病院前のN眼科なんですが <m(__)m>
わかりますか?(と乗り込んだ)
運 : 聞いた事ある。 (~o~)
ガ : 急に眼が見えなくなって、5時までに来て下さいと言われたんです。 (~_~;)
間に合いますか?
運 : 大丈夫。いつもならここ通らないんだけど、パトカー停まってて事故があったみたいで。
(^0_0^)
大学病院前までは直ぐ着いた。
運転手さんの見当を付けてたクリニックの看板を指して・・・・・・
運 : あそこかなぁ。見える? (^・^)
ガ : すいません。全然見えないんです・・・・ ^_^;
運 : そうだよね、眼が見えなくなったんだもんね・・・・・ (>_<)
近づいて見た。違った。ぐるりと一回り。見つからない・・・時間が・・・・・
運転手さんが、車を降りてコンビニに入って聞いてくれて、ビルまで辿り着いた。
何処から入るの・・・?不安に思いながら料金を払って、車を降りた。
運転手さんも降りて、うろうろしている私に「そこだよ!」と指を差して入口を
教えてくれた。そして私がビルの中に入るまでちゃんと見守ってくれたのでした。
なんて良い人なんだろう。 感慨に耽る間もなくクリニックへダッシュ!!
【pm5:00ジャスト】
私は眼科の受付にいた。(よかったぁ~) (^^♪
二名の先生がいるが、指名はしなかった。初めての所なので、誰でも良かったのだ。
O先生が診てくれた。(検査の時上手に見れてますよ、と言った先生です)
HPで見たところ、今年からN眼科で診察しているらしい。
飛蚊症とか、網膜の専門ではなかったが、とりあえず眼底検査をしたかったので、
もし何かあれば専門のところへ移ろうと思っていた。
でも、一通りちゃんと検査して、診断も結果も正しかった。
眼底写真もすぐPCに取り込まれ、一緒に見ることが出来た。(小さな丸い孔が・・・)
Dr : 直径1mmの孔が開いてますね。今なら入院しなくても、レーザーで治るから・・・
珍しい症状だね。一万人に一人・・・・・・。 (・・?
すぐ網膜専門の先生に紹介状書くから、二ヶ所あるんだけどどっちか決めて!
ここにレーザーがあれば出来るんだけど・・・・・ ^_^;
ガ : 場所はどの辺ですか?
Dr : 桑OはJR駅の近くで白Oは地下鉄の近く。(多分同じ大学の系列)
ガ : え~迷うなぁ~。先生だったらどっち薦めます? ^_^;
Dr : どっちもいい先生だよ。桑Oの方は女医さん。 (^・^)
ガ : え~・・・どうっしようかなぁ~ 家に帰って決めていいですか? (>_<)
Dr : 今すぐ紹介状書くから、明日にでも行って診てもらった方がいいから。
ガ : そうですよねぇ。じゃあ地下鉄に近い方で。 (^_^)
(自宅とは逆方向だが乗換え無し)
先生紹介状を書きながら
Dr : もしかして明日休みかも知れないから、一応行く前に電話で確認してみて。
多分やってると思うけど。 (^・^)
ガ : もし休みだったら、仕事に行っていいですか? (~o~)
Dr : 安静にして、仕事はダメ!今日はTVも見ないで、眼を動かさないで。運動もダメ!
どんどんしないで! (゜o゜)
(先生のこの話で、事の重大さを再認識したのでした)
ガ : 先生、本当に今日来て良かったです。土曜日まで待ってたら大変な事になって
たんですね・・・・・・ (^_^)v
【Pm6:30】
O先生はとても良くしてくれた。
診察が終っても、受付まで来てくれました。
ガ : 先生、どうもありがとうございました。
Dr : もしT眼科が8日診察してなかったら電話して・・・・・。桑Oの方に紹介状・・・・・・・。
受 : 今、T眼科に電話してみましょうか?
Dr : いや、明日の朝でいいと思う。
ガ : はい、わかりました。
(先生!!PCあったんだから、ネットで検索できるじゃん!)
★ 目玉動かしちゃいけないって言われたけど、自宅に戻って診療曜日と時間を検索。
さくさく・・さくさく・・・やったぁ~。HPなんてあるじゃん!
実は検査で両眼に目薬を入れたので(しかも3回も)帰る頃には目玉がハレーション
起こしてるみたいで、ネオンちかちか状態。
何処を歩いているのかさっぱりわからず、迷子になった・・・・うそでしょ!!
思った方向と逆に歩いていたらしい。もともとものすごい方向音痴です。
ようやく見慣れた地下鉄の駅を見つけ、無事帰宅。
そんな眼でネット検索してたのでした・・・・・・・
いつもの様に、視力のチェック・・・・・ メガネを付けてくれる。
看 : あっ、ごめんなさい。静電気走ったでしょ?
ガ : 大丈夫ですよ。
看 : では・・・(と、検眼の画面を映す)穴の開いてる方は・・・・

ガ : ????(ピンぼけで、全然見えない・・・・左右調べるの?・・・・)

あの・・・これって左じゃなくて?・・・・
看 : あっ、また間違えちゃった。すいません。検査はいつも、右からって癖がついちゃって。
シャキーンと隠してた左目のカバーを右に移す。
おぉぉ~見える!(だって左は乱視でそれを右で見てたんだから)


眼底検査を毎回するので、目薬を入れてから少々待つ。
先生の「左見て、左上、真上、右上、右見て、右下、今度は真下見て・・・・・・」
この検査おもしろい事に、上といわれると目と一緒にアゴも上がってるらしい。
何度か経験して、昨日はロボットのように目だけ動かせた。
看護士さんが頭の後ろを軽く押さえてる。(私の時だけじゃないですよ!)
そう言えば、最初の眼科で「上手に見れてますよ~」とDrが褒めてくれたっけ。

【検査結果】
Dr : 瘢痕も落ち着いてきているので、今度は一ヶ月後でいいでしょう。
ガ : 先生、それじゃぁもう普通に軽い運動はしてもいいですか?
Dr : あぁ、いいですよ軽い運動は。もし、また変なものが見えたら、すぐ来てください。
ガ : はい、わかりました。ありがとうございます。(筋トレ始めよう (*^。^*) ルンルン )
★ジムで友達に、筋トレが軽い運動と先生が思っているかどうか・・・と。 なるほど。

【ファミレスで】
私はあまり外食をする人間ではない。
でも、病院の帰りはどういう訳か外食が多い。

眼科の目の前にファミレスがある。(あまりおいしくない事で有名)
昨日は、ディナー20%offのチケットを前回貰っていたので、ちょっと奮発。
イタリアン定食(ハァッ・・??)にして、ドリンクバーへ。
ブレンドコーヒーのマシーンのボタンを押しても、出てこない。
しょうがないから、すでに出来てるコーヒーをカップに注ぎ、席に着いた。

オーダーしたものを持って来てくれた時・・・
ガ : すいません、マシーンのコーヒー押しても出てこないんですよね。 ^_^;
店 : あっ、申し訳ございません。ちょっと見てみますね。
(マシーンに向かって座っていたので、丸見えだったのだが・・・・・)
コーヒー豆を足していた。


★★網膜裂孔の生い立ちなのに、生い立ちを話してなかった。
時間が・・・・ 明日載せられるかなァ・・・・ (話がみえないでしょう!早く!!)

2000年・・・・・44歳
1月 4日 スポーツクラブ入会 (筋トレのメニュー作成)
エアロビクス、筋トレ始める
1月 6日 体力測定 1回目
サイドステップ 39回/分
握力 右:28kg 左:25kg
3月18日 体力測定 2回目
心肺持久力 48.8ml/kg/min
垂直跳び 35.5cm
前屈 23.5cm
サイドステップ 44回/分
握力 右:30kg 左:26kg
★ 結果20代の体力 ランク5 俄然やる気が出てきた。
3月22日 体サイズ測定
体脂肪 19.3% (女性平均23%)
B 80 (貧乳で胸というより胸板のサイズ)
W 57
H 82.2
★ 今から7年前の話ですから。。。。。
体脂肪はこれ以上落さないようにと注意された。
7月 5日 エアロマラソン参加 (2時間ぶっとおし)
7月 6日 ウェイクボード初体験(スノーボードの水上スキー版のようなもの)
後輩二人と参加40代の私だけが立てた。スノーボードのお陰かな。
9月22日 午後より会社早退 整形外科へ
テニスをしていて、サーブを打った自分のラケットが向う脛に当たった。
二週間後腫れが引かず病院へ。
事の成り行きを先生に説明したら、笑われた。
10月21日 エアロビクス pm1:30 ~ 3:30
英会話教室 5:00 ~ 6:30
テニス 7:00 ~ 9:00
★ エアロビのクラスは2つ続けて取ってたりした。
自分の体力を過信していたようだ。今振り返ると・・・・・疲れるぅ~ 。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2001年・・・・・45歳
1月 7日 初泳ぎ
1月15日 結膜炎で眼科へ
1月19日 両足湿疹で皮膚科へ (鮫のエキスのサプリを飲んで二週間後)
1月22日 眼科で視力検査 左: 0.1 右: 0.2
この年で仮性近視と言われる。 仕事で一日中PCを使っていた。
(テニスでボールが見えずらくなりメガネを作った)
2月22日 リフレッシュ休暇 (会社の制度)で南イタリアへ
6月20日 医大 心筋症専門外来受診 (健康診断で再検査となったため)
心電図、尿、血液、エコー(先生が直接した簡単なもの)、Ⅹ線
所見 Ⅹ 線 : 心肥大(60%) いつもどの先生が診ても言われる
心電図 : 心筋症(必ずひっかかる)
エコー : 心筋厚 15mm
(普通は10mmだが、20~30mmの人もいるとの事)
【先生の説明】
自分の記憶を辿ってみる。
招待状は今も大切に保管してある。5年近く乳癌検診はしていなかったが、もしもの時は
ここのお世話になると思っていた。
最後の検診から丁度一ヶ月後に、M先生及びゲストの先生の講演会が行われた。
主催者は二つのクリニックで、一つは開業5周年だった。
3月5日を大学病院での最終診察日にしたのは、招待状を受取り、返信のはがきを出し、
いろんな準備を考えると、ぎりぎりの診察日を指定したのかも知れない。
名簿に記載し、講演会場に入った。
スライドを使って、M先生の講演が始まった。
この時初めて、乳癌患者の全摘した胸の写真を見た。
正直、第一印象はグロテスクだった。 肋骨が浮き出ていた。
そして4年8ヶ月後、自分がその姿になったのだ。
自分の姿を鏡で見た時、グロテスクだと思った。
左乳癌だったので、手術の跡は心臓の動きがリアルに解った。
どこに手を当てなくても、脈をとらなくても、ドックンドックン心臓が動いているのが、
眼で確認できた。
とっても分かりやすくて、きっと皆さんのお役に立つと思いますので、ご紹介します。
初心者の方、必見ですよ!
リンクのお許し(リンクフリーでした)が出たので貼りました。
解らない事があったら利用してみて下さいね。
初心者でもできる簡単FC2ブログの作り方

管理者の【るんばば】さんは、質問にも答えてくれます。
私は、公式ガイド本、公式マニュアルも見ましたが、


かゆい所に手が届くって感じかな!
質問者とのやり取りも参考になります。
そんな私も、まだまだカスタマイズしたい事がた~くさんあります。
つい何日か前にテンプレート変更してみました。
① コメントの背景色を変える

② リンクをバナー画像にする

③ RSSを理解する(以前のテンプレートでは一覧表示されてたんだけど・・・・・)

まだまだあるけど、とりあえずこの3点、時間のある時トライします。
きっとこんなの直ぐできるよ!と思うかも知れませんが、そこが初心者・・・・・
何を変更するにも、途中で画面が変になったり消えたり、予測不可能な事が起こるのです。
途中で止められないので、じっくり時間のある時じゃないと、カスタマイズは出来ないのだ。
これからジムに行く準備します。
今日は7~8年振り(?)くらいに英会話教室で一緒だった懐かしい人に会います。
(当時高校生だった彼が、社会人になって初めて会うので、お互いに分かるかな~)
何人か集まって忘年会です。



●大 第1外科 乳癌検診 13:00 次回は1年後でOK
M先生が開業する為、今月で大学病院を退職するとの事、案内状をくれるそうだ
《 補足説明 》
先生から、開業するクリニックに移るなら、カルテを大学病院から移すことが出来ると
言われ「これからもずっと先生に診ていただきたい」と答え、カルテを移動した。
1998年7月 3日 ●大 婦人科検診
1998年7月17日 検査結果
1999年6月 9日 ●大 第2内科受診(心臓) 43歳
1999年7月21日 ●大 第2内科(心エコー)
1999年7月30日 検査結果
《 補足説明 》
1999年から、婦人科、第1外科とも診察を受けていない。
会社の健康診断で毎回心電図でひっかかっていたので、内科の診察を受ける。
この頃は、海外旅行、英会話、スキー、スノーボード、水泳、アクアビクス、
テニス、ゴルフ、ペン習字・・・・・・
スケジュールを空ける事なく、忙しさを楽しんでいた。



そして、1998年8月23日エアロビクスの体験レッスンを受けている。
ここからエアロビにはまるのでした。

週に4~5回でも、アクアビクスや水泳では体重keepが精一杯で、
身体を絞るまでにはいかなかった。
プールの中は寒くて、脂肪が身体についてしまった。

そのお陰で水に浮くんだけど、以外と盲点でした。
エアロビと、筋トレに夢中になっていた頃、プールで上向きに浮く事が
できなくなりました。(脂肪が減ったから)

こんな生活を乳癌になるまで、ずっと5年も続けていた。
そりゃ~活性酸素も溜まるわーーー。
何の検診もなく(?)(しなかった)、検査結果を聞くこともなく、
病院と縁が切れていた。
毎日こんなに幸せでいいの?と思うくらい、楽しい日々だった。!!
(正直な話、いつか何か悪い事が起きるんじゃないかと思ったり・・・・・・・)
乳癌検診 前年度最終検査 5/14
(5/8(木)の1ヶ月前に予約の事
1997年5月22日の手帳メモより・・・・・41歳
11:00 受付 ( 新患カルテを作る事 )
12:00 乳癌検診
次回診察 1998年3月5日(木)13:00 予約済み
1997年6月19日 有休 婦人科診察
1997年7月 4日 検査結果
1995~1996年は、頻繁に検査を繰り返していたが、
この年は1回だけになっている。
次回診察が1年後の5月ではなく、3月であることが重要な意味を持ってくる。
この年から乳癌検診に関する事を、日記にはつけていない。(^_^;)
私の中では昨年の細胞診検査結果(カテゴリー1)で、心配も薄れていたのかも。
代理の先生の「これからは半年に1回か3ヶ月に1回・・・・・・・」の言葉等すっかり
頭から消えてしまったのでした。(^0_0^)
主治医は年1回の経過観察と、判断したようだ。



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●大へ行ってから一週間以上経つのに、先生からは何の連絡もない。
もう検査の結果は出ていると思うのだが・・・・・・
木、金がM先生の診察日なので、今日電話くるかと思ったのだが、こなかった。
明日だろうか・・・・・・

●大 10:00 ④番診察室に声かけて
10:30 マンモグラフィ
1996年5月14日(火)の手帳メモより
マンモグラフィと細胞診を同時に行った。
結果については、M先生が直接私に電話をくれると言う。
お医者さんが直接患者に、結果について電話するなんて事があるのだろうか?
予約をして、その日に病院で聞くのが普通だと思うのだが。
先生は 「 いずれにしても、我々も注目していますから 」 と言った。
注目しているとは、どういう意味なのか?
1996年5月14日(火)の日記より抜粋・・・・・40歳
【いずれにしても、我々も注目しているとは?】
有休を取って●大へ乳がんの検査に行って来た。
2回のマンモグラフィではっきりしなかったのを、今日は細胞診とマンモを一緒にしよう
というのだ。
幸いにも一発で良い位置をkeepできたので、針は2度刺したけど、丁度良いところの
細胞が上手く採れたようだ。

先生がしきりに 「しこりもなくて触らないから、これしか方法が無い 」 と言ってた。
ホワイトボードで、火曜日のM先生の予定を見たら、書いてなかったので、今日は検査
の先生だけでやるのかと思っていたら、2時になったらいきなり先生が、細胞診に使う
機器を押しながら、処置室から出てきた。
私は気付いてなくて、パスポートの申請用紙を見ていたので、先生の方から
「ガーネットさん、それじゃ行きますか」 と言われて、びっくりして顔を上げたら、
M先生だった。
思わず 「あっぇっ」と声が出てしまった。

検査は1時間ほどで終わった。
次回の検査結果の予約の事を、看護婦さんが「聞いてますか?」と言うので、
「いいえ」 と先生の顔を見たら、先生が「電話します」と言った。
「僕が電話しますから。いずれにしても我々も注目していますので」と言ったのだ。
結果を電話でして、病院には行かなくてもいいという事なのか、それとも皆のいる
ところじゃ言いづらいのか?
注目しているとは、検査の結果の事を、興味深い実験か何かと思って
いるのだろうか?
1996年5月23日(木)の日記より抜粋
●大へ行ってから1週間以上経つのに、先生からは何の連絡も無い。
もう検査の結果は出ていると思うのだが・・・・・・
木、金がM先生の診察日なので、今日電話でもくるかと思ったのだが、こなかった。
明日だろうか・・・・・・
この注目しています発言が、私にいろんな疑問を投げかけた。
そして後にM先生の開業で、疑問と、誤解が更に大きくなり、間違った道を選ぶ
事になるのだった。
この頃は海外旅行に目が向いてたようだ。




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●大でマンモグラフィ撮影 細胞が増えているので、再検査を
1/16 エコーをかけて、細胞を採る
1996年1月16日(火)の日記より抜粋・・・・・40歳
【エコーかけて細胞診の予定が・・・・・】
1月12日(金)の乳がん検診で、3ヶ月前と同じマンモグラフィを撮り、
細胞が増えているかどうかのチェックをしたのだが、増えているとの
事だった。
それで、今日エコーをかけて細胞診をする予定だったのだが、エコーをかけた時点
では、増え方が小さすぎて発見できなかった。
見つけたとしても、そこに針を入れて細胞を採るのは、自信がないというのだ。
M先生はいないのかと思ったら、検査の日も先生がいるのを知った。
そう言えば、前回細胞診をした時もM先生がいた。
ちゃんと自分の担当の患者の時は、来ているんだな!!
外来にはいなかったはずだから・・・・・・・
何だかM先生の顔を見ると、声を聞くと、ホッとする。
あの優しい笑顔、やさしい声、イイナーと思う。
1年に2度会うだけなんだけど、もう4年も続いている。先生は全然変わってないな。
今日のエコーの先生~●とネームが読めたんだけど、M先生は兄弟共、第1外科に
いると聞いた事があるから、もしかしたらもう1人のA先生なのかな
あんまり似てなかったけど、話し方はやけにくだけていた。
M先生はマンモで違いを診たけど、エコーはやはり難しいのかも知れない。
【15日(土) ジムから帰って・・・・】
久し振りのジムだった。
土曜日はいつも一週間で一番忙しい曜日なのだ。
午前中に掃除、洗濯を済ませ、スーパーへ買い出しに行く。
帰ってから軽くランチして、ジムから帰って食べる食事の準備をする。
いつもは3時半からのエアロビ上級クラスを受ける。
1時間のレッスン終了後、筋トレ、ストレッチ、サウナとシャワーでフルコース。
終わって帰るのはいつも7時頃です。
お腹ぺこぺこで、がっつり食べた後は後片付け。
日曜日は土曜日に買った食材で、お弁当のお惣菜やら、何やら、作り置きできる
ものは作って冷凍に。
何種類も作って、3~4日は他に何か1品とか変えて、お弁当にする。
最近はずっと自宅と会社の往復だったけど、これからジムも復帰したら、
また今迄以上に時間が足りなくなる。
仕事から帰ったら、ご飯できてたらどんなに嬉しい事か。
入院して良かったのは、家事をしなくて良かった事。
私には専業主婦は無理。
家事は嫌いです。大変です。会社で仕事してる方が好き! 力いらないし。
きっと家事をきちんとこなせば、スポーツクラブなんて行かなくても、毎日立派な
エクササイズができるに違いない。
ビリーズブートキャンプも必要なし。
それでも、やっぱりお金掛けて体重keepに務める訳ですよ。
4ヶ月振りに体重を計った。
我が家に体重計はない。
いつもジムでチェックするので、必要無いし場所をとるので、捨ててしまった。
43.5kg → 44.5kg
4ヶ月もの間、まったく運動してなかった割には、肥っていなかった。
筋肉は落ちているかも。
筋肉が付いてきたら、体重は重くなる。でも筋肉がエネルギーを消費するので、
太りづらくなるのだ。
5年前の身体には戻れないだろうけど、お腹は引き締めたいところだ。
とりあえず、1月5日の診察までには、1kg落としたいなぁ。
受付の人もちゃんと私のロッカー番号覚えていてくれて、すぐにいつもの
キーを渡してくれた。
思わす「覚えてくれていたの!」と叫んじゃいました。うれしかった~
更衣室では、エアロのインストラクターであり、ジムのスタッフでもある人が
「ガーネットさん!しばらく見てなかったから、体調は大丈夫ですか?」と
声を掛けてくれた。
チーフトレーナー、エアロの仲間、皆しばらく顔を出してなかった事で、
どうしてたの・・・と話しになり、同じ話を4回しました。ふぅ~
ジムのサウナとシャワーで温まった。
家のお風呂は寒くて、長風呂が嫌いな私にはくつろぎの場ではない。
明日からもバンバン行くぞ~
皆に、じっくりね・・・と言われた。 ふふふ ・・・・・ 私の性格を知ってる。
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【マンモグラフィで石灰化が・・・・】
4月13日(木)に半年毎の定期検診をしている。
それから半年後の検査で・・・・・・・・
半年に1度の乳がん検診のつもりで、●大へ行った。
いつも通り、異常なしで終わるはずだったのだが・・・・・・・・
先生が「しばらくレントゲン撮ってないんで、何でもないけど一応確かめる為に
撮りましょう。2~3年に1度撮ればいいから」と言われ撮ったら・・・・・・・
左の胸に小さな白い影があり、それがいずれガンになる芽だと言うのだ。
大きくならないで、何年もそのままという事もあるが、いつ大きくなりガンに成長する
かも分からないと言う。
それで、3ヶ月後にもう1度レントゲンを撮り、どのくらい成長するか、それともそのま
まか調べるそうだ。
誰かに話したくて、Tさんでもいるかと思い放射線科に行ったが、忙しそうにデスクで
他の人と何か引継ぎしていたので、声をかけないで帰って来た。
(Tさんは、当時●大の看護婦さんで、テニススクールで一緒でした)
英会話教室に寄って、そこで知り合いに話した。少しすっきりした。
ジュディという名の先生と初めて少し話をしたんだけど、先生のお母さんも昨年乳癌で
亡くなったそうだ。
色々心配したけど、1~2ヶ月で大きくなる事はないから、その間は心配無いとの事。
3ヶ月後に行く予約をして、その結果次第で次の詳細な検査をするかどうか
決めるとの事。
この頃はテニスと英会話に夢中だった。
この時のレントゲンとはマンモグラフィの事だ。(手帳に乳腺のレントゲンとメモあり)
流れからして、多分この前にもマンモグラフィは撮っていたと思う。
初めてマンモグラフィを撮った時、先生が・・・・・・
「これは北海道でもまだ2台しか入ってなくて、▲大と●大・・・・・」と言ってた。
確か初めて撮った時から、石灰化がパラパラと見つかっていた。
そして、この時がんの芽と言われた物は、1粒1粒の石灰化が少しくっついて、
集積しはじめていたという事だ。
この後の日記の続きを読んでいても、あまり深刻には考えてなかったようだ。
今迄は自分でしこりを見つけて診察をうけて、その経過を見ていた。
自分で触って確かめられたので、実感として理解できていたんだと思う。
しかし、この時は石灰化で、しこりではなかったので、石灰化の怖さをまったく認識して
いなかったようだ。
「パラパラしているのが集まってきたら危ない、ガンになる可能性が・・・・・」
と先生から聞いてはいた・・・が・・・ まだその時は緊張感も危機感もなかった。



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今日は会社の忘年会。
部署毎にやるのが支店流?で、去年は次の日が乳腺クリニックの診察日だったので、
お酒も飲めないのにつまらんと思い、パスした。
診察日は必ず採血するので、コレステロール値が高くなるのも嫌だし・・・ と・・・・
ゾラデックスを注射してた頃、急にコレステロール値が上がった。
入院してた時に同室だったSさんの同僚が、やはり乳がんで私と同じ治療をしていた。
その方の話で、副作用の事は予め知っていたが、本当に中性脂肪やら何やらぐ~んと
上がった。
日曜日にSさんが定期検診で、出てきた。
私が通っている乳腺クリニックには、地方からたくさんの患者さんが手術を受けに来る。
当然、退院後の定期検診も受けに来る。彼女もその1人。
同僚の紹介で、こちらで手術を受ける事にしたそうだ。
毎回泊りがけで来るのだが、土日を掛けて来るので、結構気晴らしになるそうで、
億劫だと思っている様子もない。
大きな保険会社に勤めていて、休みも取り易い感じで、羨ましい。
地方のデパートは閉館になったりで、洋服の買物も楽しみの1つなのだろう。
いつも、ランチか、夜食事を一緒にする。
今回、Sさんの同僚が2~3年振りの骨シンチで、転移が判明したという。
もうじき10年を迎えようとしていたそうだ。
主治医は「転移だねぇ。気長にゆっくりやっていきましょう」と言ったそうだ。
これからは地元の総合病院で治療に当たるらしい。
こちらのクリニックには、検診だけ何ヶ月毎かに通うようだ。
どんな病理結果だったのかは知らないが、乳癌という奴やっぱり侮れない。
温存だの、早期ならどうだのと言っても、癌は癌なのだ。
5年、10年経っても、いつだって再発、転移を忘れる事はできないのかも。
私も、右乳がんの告知は、なんでって思った。
まだ治療中なのにぃ~~~。ずっと経過観察してたのにぃ~~~。
だから、右は温存できるのに全摘にした。転移が恐いから。
左の時だって、乳輪、乳頭残そうと思えば残せた。
でもそんな腐ったものいらない!と心の中で叫んだ!!
再発が恐いから。
外科的にできる事はしたつもりだ。でも、それでも転移は神のみぞ知るなのです。
とほほ・・・・ (-_-;)
1994年4月24日(日)の日記より抜粋・・・・・38歳
【また胸にしこりを見つけた】
M先生が胸に張りがあると言って細胞診をして以来、とても気になって
たまに触ってみてた。
今日前屈みになって触ってみたら、左胸にしこりがあった。
昔できてたところの内側。
動くのは大丈夫と言ってたけど、こんなに何個もできてるなんて。
28日には、この話も先生にしなくてはいけない。
先生は脇の下のリンパにも触れて、大丈夫だと言っていたけど。
28日が怖い!(ーー;)
1994年4月28日(木)の日記より抜粋・・・・・38歳
【あんまり気に病まないほうが・・・・】
●大へ結果を聞きに行って来た。
結果はOKだった。 (右のしこり)
先生がすぐ話を切り出してくれなかったので、絶対悪い方の話なんだと思っていたら、
乳腺線維腺腫であって良性の腫瘍だと言われた。
もう一つ私が発見したもの(左のしこり)は、先生は気付いてなかったようだ。
先生が、あんまり気に病まない方が良いと言ってた。
神経質な人が出来易いというのだ。
私もあんまり悪い方へ考えないようにしようと思う。
本当によかった。心配で、心配で、しょうがなかったけど。
もう1つの方は、連休明けの9日に検査をする。
ガ : どんな感じですか?
Dr: 多分前にできてるものと同じだと思うので、心配はないでしょう。
ガ : もっと頻繁に診察受けた方がいいですか?
Dr: そんなにしなくても、半年に一度でいいです。
きちんと定期的に通えばいいから。
私の2人前の人は、ガンを告知されていた。
私も待っている時は、嫌でしょうがなかった。
今回は、結果まで2週間もの長い間だったので、本当に毎日が憂鬱だった。
9日の細胞診はそれほど心配しなくていいと思う。
先生が触診して、大丈夫というのだから。 (^-^)
1994年5月 9日(月)手帳メモ・・・・・細胞診
1994年5月19日(木)手帳メモ・・・・・結果
1994年9月16日(金)手帳メモ・・・・・診察
この頃の私は、頻繁にしこりを自分で見つけていた。
筋腫の手術をし、半年後には兄を癌で亡くし、それから1年経ってない頃の事です。
癌の怖さを知って、いつもしこりに怯えていたような気がする。
自己検診の度に何かしら異変を見つけるので、先生のあのコメントが
出たのだろうと思う。
お医者さんもそんな風に見るんだ!とちょっとショックだった。
先生に兄が癌で亡くなったので・・・・・と言う話をしたのを覚えてる。
このコメントが、後々検診を怠るようになった事に、多少影響を与えたような気がする。
頻繁に細胞診をしているが、クラスがいくつなのか聞いた事がない。
この頃はまだ患者は医者に何もかも任せっきりの時代だったのかも。
私自身も、こんなに検査してるのに、乳がんの本を読んだ事も無かった。
検査は安心の為で、ガンになるなんて思ってなかったのだと思う。



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1994年4月14日(木)の日記より抜粋・・・・・38歳
【細胞診】
乳がん検診に行って来た。
M先生が細胞診をすると言った。
左の胸の張りが気になると言う。
右のしこりは、少し大きくなっている様な気がする。
3年前の7月に細胞診をしてからずっとしていないので、
今回気にかかる点もあるんですると言う事なのだろうか?
丁度今回は生理とぶつかってしまったので、そのせいではないかと言ったら、
今日が4日目という事で、それではもう柔らかくなってもいいと言うのだ。
それに丁度今日検査の日だからと、直ぐやってくれたんだけど、その時の
検査の先生が助教授だったのだ。
そしてわざわざM先生は私に「触ってみてもらうだけでも診てもらいなさい」
と言って、助教授に頼んでくれたのだ。
その時もう1人いた先生も「失礼します」と言って触診をしたんだけど、
2人で何やら話していた。
生理のせいなんだろうか?
それにしても、M先生があれほどまでに言うのは、やはり相当何か気に
なっているんだろうか。
検査の結果は2週間後だ。
どうなんだろうか?
M先生は、多分大丈夫とも何とも言わなかった。
助教授ともう1人の先生は、乳腺がどうとか言ってたなぁ。
どうして次々と問題が起きるんだろうか。
後輩:ガーネットさん、お祓いでもしてもらった方がいいんじゃないですか
本当にそうだな・・・・
この日の出来事は何一つ覚えていない。




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経過は順調のようです。

視力的には、全然よくなった感じはしないけど、眼底検査では「瘢痕ができてきたの
で、良くなっている」と、Drが言ってた。
レーザーで焼いたところがきちんと付いていると言う事なのかな。

いつも名前を呼ばれて、最初に視力検査をする。
前回と比べて視力が落ちていないか、まずこのチェックが大事みたいだ。

看護師さんの「こんにちは」の掛け声に、思い切って聞いてみた。
(pm6:30なんですが)
ガ: 裸眼で今の視力どのくらいあるんですか・・ね

看: そうですね・・・・(と、カルテを調べる) 0.15ですね。
ガ: あっそんなに落ちてないんだ。
看: 乱視と近視ですけど、このくらいだったらそんなに強くない眼鏡で、すぐ1.2くらい
になりますよ。
ガ: あ~そうなんだ。 よかったぁ~。
次回診察は「年内にもう1度診せて下さい。
2週間後に又来て下さい」と言う事で、12月25日診察予定。
新年1月5日に乳腺外科の予約をした。年末年始、病院通い。
まぁ、ここ数年こんな生活も珍しくない。
2年前の運転免許の更新の時、視力検査でちょっと時間がかかった。
(ペーパードライバー歴28年 (*^_^*) 身分証明証として活躍してくれてる)
検査官がぎりぎり両眼で0.7の私の視力を、何とか引き出してくれるのに、
「もうちょっとがんばってみよーかー」と粘り強く、検査してくれたのだ。
その時確か左が0.2だったから、それからみたら視力は落ちてない。
ただ、視界が悪い。 目の前を何か黒い点が動いてる。
もやもやしたものが泳いでいるのだ。 これが飛蚊症(ひぶんしょう)というやつだ。
文字通り、蚊が飛んでいるように見えるから、こんな病名がついたらしい。
私も初めて現れた時、夏だったけど網戸の目を潜り抜けた小さな虫かと思った。
その半年前に雪道を下向きで歩いてて、顔をあげたら目の前を真黒な紙吹雪が
落ちてきた。
5~10mmくらいの紙吹雪に見えた。 真っ白な雪に映った。
びっくりした。 目をパチクリして、多分1分程でそれは見えなくなった。
その時、何かが起きたんだと思う。
ジムで虫が飛んでるように見える話をしたら「それは飛蚊症って言うんだよ」と
教えてくれた。
そして「ずい分出るの早いね」と言われたのでした。
ネットでいろいろ検索していたら、ノルバデックスの副作用ともひっかかった。
その時も総合病院の眼科で検査したが、生理的飛蚊症という診断だった。
今回初診で診た先生によると非常に珍しい網膜裂孔の症状で 、1万人に1人
と言われた。
前に飛蚊症になって勉強したから、今回網膜がやばいと気がついて早い
処置ができた。
インターネットは何でも短時間で調べられて、本当に便利だ。
ただ、いろんな情報があるので、何が本当か見極めが難しいところもある。
情報過多にならないように、気をつけながら・・・・ これからもお世話になります。
1992年8月21日(金)の日記より抜粋・・・・・36歳
【婦人科の退院からから半年後】
今日、乳がんの6ヶ月検診に行って来た。
入院中に一度検診した時と同じ先生だったんだけど、講師だったのだ。
●●M先生だ。
とっても丁寧で、やさしい先生だ。
これからもM先生に診てもらいたいな。
しこりの方は1~2ミリ大きくなっているが、それ程大きくはならないと思うし、少し液が
出ているけど、血液が混じってないので、心配無いと言ってた。
今のままで大丈夫という事で、半年後に又来て下さいと言われた。
検診日の2ヶ月前に予約をしなくてはいけない。
直接、外来の処置室2番で看護婦さんに言うそうだ。
2時半まで受付けている。
午後の方が空いていて ”木曜日は混むので避けて下さい”
と、貼紙がしてあった。
手帳メモより・・・・・37歳
1993年2月12日(金) 6ヶ月検診
1993年9月24日(金) 6ヶ月検診
こうして、M先生との長いお付合いが始まった。
半年で1~2ミリ大きくなっているというのは、スピードとして早くはないの
だろうか?



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経過観察となりました
1991 年 7 月 35歳
昨日の続き・・・・・・・
まるで長い間、記憶喪失で思い出せなかった事が、蘇ったような・・・・・
不思議な空間にいる・・・・・
■■■1991年7月25日(木曜日)の日記より抜粋■■■
検査の結果を聞きに●大へ行って来た。
3時半の予約が、1時間以上待たされた。今日は随分と人がいた。
私が終わったのが5時で、その後にまだ10人はいたと思う。
こんなに遅くまで●大がやってるとは、思ってもいなかった。
結果は1~5の段階があり、1は正常、2は良性のしこり、3が疑いがあり、
4~5がガンという事で、私は2だった。
良性なので、切る必要はなく、半年に一度検診を受けるだけで良いと言われた。
これからも胸の検査をずっと続けなければいけないのなら、取ってしまった方が
良いかなとも思う。
しかし、今度は乳首の所だから、場所的に目立つと思うし、この前のように若い先生の
実験台になるくらいなら、半年に一度受けてもいいかなとも思うし・・・・・・
良性のままずっと行くとの事。99%大丈夫だと言ってた。
ガンの方に行くことはないそうだけど、様子を見た方がいいのかなぁー
切った方が心配無くていいのかなぁ。
もうすぐ19歳になるという女の子がひとりで検診にきてたので、びっくりした。
先生も「ひとりで来たの?」と聞いてたし、女の子の声も明るく笑っていたので、
大した度胸だと思った。
どんな子かと思わず顔を見たら、ニキビでチェックの短パンを穿いていた。
今日の先生はちゃんと説明をしてくれた。
この時の先生が誰なのか分からない。
木曜日の診察日だから、M先生(後の乳腺クリニックの院長)かなぁ~?
でも、そうだとしたら半年後に婦人科で入院した時、乳がん検診1回目で
顔を合わせている事になる。
そんな会話はどこにも無かった気がする。 う~ん・・・・・。あなたは誰?



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今度は右しこりの友達が現れた
1991 年 6~7 月 35歳
昨日の続き・・・・・・・2年後です。
日記を読み返すと、毎日楽しくOL生活を満喫していたようです。
■■■1991年6月28日(金曜日)の日記より抜粋■■■
シャワーを浴びた後で、胸のシコリを発見した。
丁度、左の胸の手術(乳腺線維腺腫)をしてから2年経つ。
日記には’89.7.17とあった。
最初は1個だけと思っていたら、2個シコリがあった。
それもグリグリは動かない。 動くようだとガンではないそうだけど。
今度は右の胸なのだ。一生こうして病院から離れられないのだろうか。
最近ちょっといい気になりすぎていたかも知れない。
それでも、この前発見した時よりドキドキしていない。
でも前回からみて、今回はグリグリが動かない分だけ不安もある。
月曜日にSさんと打ちっ放しの約束したのに。
乳首の直ぐ近くのところにシコリがある。上の方と下の方と二つ。
上の方が大きい。下の方は強く押さないと逃してしまう。
明日、外科の外来やってるかどうか分からないけど、病院に行ってみる。
こんなに前からしこりと友達
1989 年 7 月 33歳
乳癌患者に100の質問でも答えていたように、私は気になるしこりはその都度摘出
してきた。
その時期がいつだったかすっかり忘れてしまったので、昔の手帳や日記を押入れから
出してきた。
実は、1998年までずっと日記を付けていた。
■■■1989年7月16日(日曜日)の日記より抜粋■■■
pm11:30 巨人戦の結果を見たくて、眠いのを我慢して床に横になってた。
片肘をついて横になってたけど、眠くてグラグラするし手が痛くなってきたので、
上向きになって胸の上にとんと乗せたら、何だか左の胸の下が痛かった。
アレッ、何だろうと思っていろいろ押したり、触ったりしている内に、シコリを見つけた。
大きい。
今までにも乳癌じゃないかと思った事があって、実際病院でレントゲンを撮った。
★レントゲン?と今は思うが、この当時はそうだったのかも。
マンモグラフィでなかった事は確か。
胸の中にあるしこりなのだ。ガンだ!!
ワインを飲んだ。 そしたら涙がでた。
私はガンだと思って涙が出た。
でも、そんな自分をもう1人の自分が見てる。
芝居をしているみたいだと、冷たく見てる。 胸が1つなくなるかも知れない。
ホルモンのバランスがくずれているが、まだ閉経には至らないと、電話で看護師さん
から結果は聞いていた。
今日は3か月検診の日だったので、ついでに検査結果の説明と数値を貰ってきた。
婦人科の先生は女医さんです。

大学病院の婦人科に1998年までかかってたけど、こちらも乳がん検診と共に5年間
検診を怠っていたのでした。
一度行かなくなると億劫になり、いつの間にかこんなに経ってた。
テニスで足を挫いて整形外科に行った時、ここの病院に女医さんの婦人科医が
いる事を知った。 しかも土曜日も診察しているらしい。
今度何かあったら、ここで診てもらおうを思っていた。
そして、あの日を迎えたのです。
そう、生理不順で婦人科を訪れ、中待合室に貼っていた乳がん自己検診のポスター
に出会ったのです。
2002年11月1日(土)だった。 多分日曜日にしこりを発見したと思う。

11月3日(月)が祝日で、4日(火)朝、会社に電話して女の子に言った。

「胸にしこり見つけたんだけど、気になるから朝病院に寄ってから会社に行くから」と・・・
あの時、あのポスターを見なければ、私は乳がんの石灰化集積があり、経過観察を
ずっとしなくてはいけない事など、すっかり忘れていた。
だから、きっとかなり進行した状態にならないと、気が付かなかったと思う。
そういう意味でも、ここの副院長でもある女医さんを、私はとっても信頼している。

初診の時は、大学病院から来てた若い女医さんだった。
が、、、、たった一度のお付き合いだった。
一か月後の診察を予約しながら、一週間後には乳がんになってたんだから、先生も、
看護師さんも、びっくりしていた。
「この前来た時、全然そんな話してなかったよね?」と言われ、事の成り行きを話した。
あれから5年、乳腺クリニックと同じくらい通院してる。
今は、閉経前後の悩ましい時期なのです。
何が悩ましいかというと、ホルモン療法のタモキシフェン服用を続けるか、閉経後に
使うアロマターゼ阻害剤(AI)に変更するか。
変更する場合は、閉経状態でなければいけないので、ゾラデックスで生理を止めるか。
以前やった事あるけど、副作用が結構つらい。
大好きなエアロビも出来ないほど、関節が痛くなる。
タオルも絞れないほどの腱鞘炎。頭痛。不眠。うつ。
これをがまんして、それでどれだけ再発を防げるの?と疑問になった。
結局、24か月のところ、15か月で止めた。
この時も婦人科の先生にいろいろ相談した。
今日の診察模様
Dr: (エコーで子宮の中を診ながら) 「また生理来るって、言ってるわ!」

ガ: 「えっそうですか」

Dr: (笑いながら)「言ってるわ! って・・・画面がそう言ってる」

その後着替えて先生と面談、ホルモンの説明を受けた後で、、、、
Dr: 「48歳ぐらいかな」
ガ: 「身体がですか?」
Dr: 「そう」
ガ: 「48歳って微妙ですね」(大笑い)

そして、先生も笑いながら、今までのエコー写真で子宮の大きさに変化が無い事など
説明してくれた。
子宮にも実年齢と見た目の年齢があるらしい




【 】内はガーネットの数値です
LH黄体形成ホルモン 卵胞期mlu/ml 1.8~10.2 【3.6】
FSH卵胞刺激ホルモン 卵胞期mlu/ml 3.0~14.7 【14.1】
プロラクチン ng/ml 6.1~30.5 【12.7】
E2エストロゲン(エストラジオール) pg/ml 11~82 【8.9】
ホルモン値検査結果

今日はお弁当を作らなかった。
ランチは野菜中心でご飯は食べなかった。食べ過ぎ!
和の御膳ランチ 1,155円 ふぅ~



チリも積もれば山となる。ぽちっ

初めて食べたのは、お姉さんがゴーヤを送ってきた時だった。
料理本を見ながら、何とか作った。
やっぱり苦かった。 (想像どおりだ!)
自分で買ってまで食べないな。
苦いと分かっているのに、2回、3回と作った。
そして2度目も3度目も苦いのに、やっぱり買ってしまう。
不思議な野菜だ。
ゴーヤチャンプル
癌になっていなかったら、果たしてゴーヤを食べようと思っただろうか?
無意識に身体にいいものを探しているのかな?
私は野菜が嫌いです。癌になる前はそれ程好んで食べる事は無かった。
それでも、お弁当を作っているので、炒め物、煮物、サラダなどは作る。
でも、なかなか新しいレパートリーが増えない。
野菜を使った簡単レシピ誰か教えて~。
1人暮らし(響きが寂しいというか、侘しいというか)は、自分の好きな物しか作らない
から、自然に食材が偏ってしまうような気がする。
そんな私も回を重ねる毎に、おいしくチャンプルできるようになった。
今日の食材は ・・・・・・・・ ゴーヤ 1本 (シャキシャキ感を残すのに5㎜くらいに)
焼きどうふ (鍋物に使った残り半分で水切りもします)
ベーコン 2枚
卵 2個
カツオ節 小分けパック 1袋
ほんだしを使うと香りが良いみたい。 塩、コショウでお好みの味に。
最後に卵とカツオ節で苦味がまろやかになる。う~ん おぬし なかなかやるのぉ~。
だけど、ものすごい量になる。
お弁当に入れて、明日の朝も食べて、きっと夜も ・・・・・・
どうしても面倒なので、材料を使い切るため、出来上りの量が多くなる。
明日は婦人科の3か月検診。出勤前にam 9:00 の予約。
ホルモン値の検査数値を貰ってくるつもり。
これからのホルモン療法をどうするか、いろいろ考えなきゃいけないので、
その材料にします。
ブログを始めてから、大好きなTVを観る時間が減ってる。
もっとゆっくりするか~。
チリも積もれば山となる。ぽちっ (^o^)丿皆さ~ん応援お願いしま~す。
事の始まりは子宮筋腫だった
1992年1月 36歳
ここ1~2ヶ月、何だかお腹がちくちくする。 (俗に言う下っ腹で左側)
そういえばトイレも近いし、残尿感がある。 (さては、なっちゃたかなぁ~膀胱炎 )
そんな時、姉と電話で話す機会があった。
(姉は小さい頃から病気がちな私を、いつも心配して電話をくれる)
姉 : どぉ~お 変わりない?
ガ : 最近お腹がチクチクして、トイレも近いし、膀胱炎かも知れない。
姉 : 女の人がお腹痛いっていうのは、婦人科の方かも知れないよ!
義母さんも、お腹痛いって言ってたもの。(卵巣がんで亡くなりました)
ガ : そうか~ わかった 検査してみる。
早速人間ドックを予約し、子宮がん検診のオプションをつけ、
初めて婦人科を受診した。
普通の診察台で、膝を立てた体勢で先生がお腹を押して・・・・
Dr : ほらっ!! ここ触ってみて!!
ガ : えっ?・・ ・・ どこですか?・・ ・・ (今考えるとマヌケだ)
Dr : ほらっ ここ!! (と、私の手を下っ腹に持っていった)
ごつごつして堅いでしょ!
ガ : ???? (わからん・・・)
先生の説明によると、子宮筋腫で男の人の握り拳ぐらいの大きさだったらしい。
夜、ドックを脱け出し(一泊二日だった)、テニスをしている友達のところへ、
相談に行った。
彼女も子宮筋腫の手術を受けていた。やっぱり経験者に聞くのが一番だ。
手術してもしばらく通院しなくちゃいけないから、自宅か会社の近くの病院の方が良いと
言われた。 なるほどね 納得
精密検査の為Drの勤務する に行った。
(そこはJR駅の近くで、地下鉄駅に近い私はとっても不便で、ここには通えないなぁ~)
先生に事情を説明し、紹介状を書いてもらい、会社から徒歩15分程で行ける大学病院
で手術をする事にした。
ベッドが空き入院したのが1月末で2月5日に手術、確か3~4週間入院してたと思う。
退院後は2週間の自宅療養期間で、会社は1ヶ月半休んだ。有休で足りた。
開腹したので、その時初めて子宮内膜症の併発が分ったようだった。
術後の説明で、レーザーで見えるところは全部焼いたけど、また出来るかも知れないと
言われた。
そして、ボンゾールの服用が始まった。
今は使われていないと聞いた事があるが、確かではない。
ピルのようなもので、きちんと飲んで生理を止めていたが、血液検査を2~3週間毎に
して、肝臓への影響を診ていた。
実際、健康診断で標準値を大幅に超え、びっくりされた。
先生にも一旦中止しようかと言われたが、ゼロからまたスタートになるのが嫌で、
がんばって6ヶ月で終了した。
とっても体がだるかったのを覚えてる。
乳がんで、UFTとノルバデックスと、傷のケロイド予防のリザベンを服用していた時と
同じくらい、疲れていた。 (思い出した、いろんな事・・・・・・・・)
先生の説明で、乳がんになるリスクが高くなるので、乳がん検診を毎年受けるよう
指示された。
退院する2~3日前の回診の時、先生に退院前に乳がん検診したいと伝え、
無事1回目の乳がん検診を入院中に終えたのでした。
チリも積もれば山となる。ぽちっ (^o^)丿皆さ~ん応援お願いしま~す。
税込みで3,150円だった。
今まで眼科以外だけど、何度か書いてもらった事があったが、いつも5,000円
だったような気がする。
診療科目で違うなんて事があるのかなぁ~?
先生から渡されたメモに、こんな事がかいてありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
手術給付金が出るタイプの生命保険に入っている方は、
保険会社に連絡してみてください。
病名 : 網膜剥離裂孔(もうまくはくりれっこう)
手術名 : 網膜光凝固術(もうまくひかりぎょうこじゅつ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガ : えっ!日帰りでも手術費出るんですか?
Dr : 今の保険は大抵手術費が出るタイプだから出ますよ。
ガ : へぇ~ そうなんだ。 でも私の保険は古いから出ないかも・・・
家に帰って早速保険会社に問い合わせてみました。

ちゃんと出るようです。 10倍保障です。
病院で聞かなかったら、絶対わからなかった。
眼科だけに、メモの字も大きく、きっと高齢者が多いからメモにしているんだろうなぁと
勝手に納得しました。
同じ手術をした方は問合わせしてみて下さいね。 親切な病院でよかった!

月 日 | 項 目 | 保険点数 | 支払金額 |
11月8日 | 初診料 | 273 | |
手術料 | 18,100 | ||
検査料 | 600 | ||
その他 | 7 | ||
56,940円 | |||
11月27日 | 再診料 | 71 | |
処置料 | 25 | ||
検査料 | 278 | ||
1,120円 |
同じレーザーを照射しても、初診時は手術だったが、2回目は処置になるので、
支払金額は全然違う。 ふ~ん ・・・・・・・



チリも積もれば山となる。ぽちっ
