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リストラ、50代の就活、派遣切り、そして現在パートさん・・・この先どうなるのか?賢い患者になるよ!生きてるだけで丸儲け!!
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2007年3月14日(水) ≪退院7日目≫

退院後最初の診察日に看護師さんに預けてた入院証明書、配達証明で郵送
されてきた。
3通頼んだが2通は間違いがあり訂正印が押してあった。

入院日が手術日になっていたのと、手術名が右乳房温存と書いて訂正されていた。
先生にしてみれば、シリコンが残っていて温存と勘違いするような形だったのかも。
月曜日12日に書いた様だが、疲れていたのだろうか?

何かメモでも一緒に入っているかと思ったが、それは入ってなかった。
それ程暇じゃないか。


簡易保険の証明には手術名が2つに分けて書いてあった。
① 右乳腺部分切除術
② 右胸筋温存乳房切除術

それと最終病理組織診断名は 『浸潤性乳頭腺管癌』 だった。


硬癌ではなかったのだ。
乳頭腺管癌は乳管癌の中で最も正常細胞に近いという事(分化度が高い)で、
リンパ転移を起こしにくく、予後は良好と本に書いてあった。
乳がん全体の20%、キノコ状に発育する。


 前回左乳がん(2002年12月)手術後の覚書

スポーツジムへリハビリ   術後1ヶ月目
                  退院後20日目
                  イージークラスとる

傷のテープは3ヶ月貼っていた。
リザベンは6/7~ 術後半年後、傷が盛り上がってきてからだった。

形成手術 2004・8/9  9/7フィットネス筋トレ再開。
今回は腕上げのみで、ジムへは行っても筋トレ、エアロは受けない事。

3ヶ月がまん、がまん。
 
 



★げっ! 再建手術から一ヶ月で筋トレしてたんだ~。
  これじゃあシリコン動くわけだ。なんて無謀だったんだろう。
  私こそ慎重になるべき人だったんだな。
  この時はシリコンが移動するなんて考えも無く、リハビリする事に一生懸命だった。




左は硬がん、右は乳頭腺管がんだった。
左はステージⅡ、右はステージⅠ。
左はPgR 93%(+) 右は5% (-)、左右で別々の組織を持つ。

この病理診断が出た事でこの先の治療法を悩む事になった。


≪リアルタイムなお話≫
 
IMG_0037.jpg  2009年から5年ダイアリーを使う。
  一年一年では検査や病状の流れを
  把握しづらいと思ったから。
  IMG_0041.jpg



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2006年11月22日(水) ≪pm7:00 乳腺クリニック 病理結果≫ 

思ったより早く電話があった。4~5分で話は終わった。
最初に病理検査で追加のお願いをしていた、悪性度とHER2の結果を聞いた。


↓主治医手書きのメモ(11/10)こ追加分を書き入れた。
  術後私が主治医から聞いていたのは、ホルモン受容体が陽性である事、
  しこりの大きさとステージ、リンパ0/11転移なし、硬がんという事でした。
 


病理結果メモ  ●エストロゲン【ER】    (+) 31.7%
  ●プロゲステロン【PgR】  (+) 93.0%
  ●核異型度【悪性度】   (G1) 異型2+分裂象1
  ●HER2          (1+)     

  ●リンパ管侵襲【ly】  (1+)
  ●脈管侵襲【v】      (-)
  ●脂肪【f】         (+)
  ●乳管内進展      (+)
  ●T=2.4cm(組織診で)                   
  ●t=2.5cm(病理検査で)


まぁグレード1だから良かった。
HER2も1+はマイナスと考えていいと先生も言ってたし、本も臨床的にはマイナスに
近いと書いてあった。

2005ザンクトガレンの治療で見ると、大きさが2cm以上である事を除けば、再発の
リスクは低リスクとなる。
タモキシフェン単独、無治療、ゾラデックスとある。
単独でも良かったと分かりホッとした。

インターネットの相談室の回答を見てると、ステージⅡaはリンパ転移なくてもゾラ+
ノルバデックスだったので、私の場合は弱過ぎないかと思っていたが、先生にこの話
をしたらそれはやり過ぎと言ってたから、やっぱり良かったんだ。

私が手術をした年の翌年、2003ザンクトガレンでもHER2、脈管侵襲の検査は
含まれていなかったし、先生は悪性度もその時の検査では無かったと言ってたが、
それでもピッタリの治療だったんだとびっくりした。

おまけでUFTも飲んでいる。
これは再発リスクが中リスクの場合抗がん剤をプラスするので、中~低リスクの治療を
していた事になる。
確かに術後リンパ転移が無かった事で10年生存率80%だったのが90%になるとも
言ってた。

安心した。本当に良かった。
これからも先生に何でも話して信頼して治療したい。


★閉経後の治療を考えていた頃なので、重要と思う事を附箋に書いて貼っていました。

【v 】 血管への浸潤
【ly】 リンパ管への浸潤(リンパ節転移とは別)
【f 】 脂肪組織への浸潤


ステージⅡa 2cm以上
t2  組織学的な腫瘍の大きさ
T2 肉眼的大きさ
N0 リンパ節転移なし
M0 遠隔転移なし


血中 FSH E2
ホルモン値測定
(アリミデックス使用前)


NCC-ST-439   ~7 骨病変
Ⅰ-CTP        骨の代謝マーカー  骨転移


アリミデックス
脂肪組織におけるエストロゲン産生を抑制して乳がんの
発育や再発を抑制。


閉経後アロマターゼ阻害剤の使用法
①(アリミデックス、フェマーラ)単独5年投与
②ノルバデックス2~3年後にアロマシン、アリミデックス
③ノルバデックス5年終了後にフェマーラ追加


病理結果を聞き、自分の治療は当時の標準から外れてはいないと知ってホッとした。
2007ザンクトガレンではまた少し変わっている。
来年はどんな風になるんだろう?

ホルモン療法は5年から10年の方向に変わっている。
抗ホルモン剤も無治療期間があった後、追加服用でも再発率を下げるというデータも
薬剤によっては出てきている。

自分の治療当時の標準が今の標準とは限らない。
だとすればもう治療は終わったと思うのではなく、これからでも再発率を下げる手が
あるかも知れない。
少しでも無病期間を長くし、新薬の開発による治療の選択肢が多くなるよう、これからも
アンテナを張って行きたい。

病理のお話以外に、先生とある検査についてもこの日話している。
長くなったので、また別の記事としてUPします。


≪リアルタイムなお話≫
ついにパークゴルフに誘われ、今日デビューしました。
天気も良かったし、久し振りのアウトドアスポーツした~って感じ!

初めパークゴルフと聞いた時はゲートボールをイメージして、誘われたのも嬉しいような
寂しいような複雑な気持ちだった。
でも意外と周りの皆は経験していたんです。びっくりです!

いや~おもしろかった。
ゴルフ上手な人はきっと楽しくないと思う。
でもゴルフをずっとしてない私には気軽で丁度良かった。
60代の方と二人で回ったのですが、18ホール×4回・・・・やりました!
いい運動になりましたよ。 また行く約束しちゃった。

ちょっとふくらはぎダルイですが、これからステップエアロとスリムエアロやってきます。
仕事してないから平日こんな事出来るんですね。
こんな体験も良い想い出になる様、いつか再就職しなくては。。。。


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2006年11月10日(金) ≪am9:00 乳腺クリニック 4ヶ月検診≫ 

水曜日手術が入った為、金曜日の診察となった。
A先生と二人で診てた。院長先生はいなかった。
9時半には採血。

ガ : (看護師さんに) 骨密度の検査したいんですけど。
看 : ちょっと聞いてみますね。
と、言われたがすぐ検査に呼ばれた。(放射線室が空いてたんだろう)

10時頃には技師さんがエコーをしたが、今日は乳房にはかけなくて
左鎖骨リンパと肝臓だけだった。

間もなく診察に呼ばれたのだが、第一診察室で、いつもは院長先生が
使っている所だった。
第二の呼ばれる人が遅いので、Y先生は第二でしっかり診てると思った。
最初に4ヶ月前の検査結果表をくれた。(結果は電話で聞いている)

ガ : 先生、今日は病理検査の結果をきちんと聞いてなかったので、
    詳しく聞きたいんですけど。悪性度とか。

先生は嫌な顔も声もせずカルテを開いて、最初の細胞診の結果から丁寧に
教えてくれた。
先生がメモに項目を書く時、知りたい項目を伝えた。

ガ : 核異型度核分裂象脈管侵襲リンパ管侵襲HER2・・・・。

Dr : HER2はしてない。
    H14年の時にはそんな検査はまだしてなかった。

ガ : えー、そうですかぁ~?
    これからでも検査できますよね?(検体があれば後からでも出来る) 

Dr : 新たに検査機関に出さなくちゃいけないけど、するかい?

ガ : して下さい。FISH法ですか?

Dr : それは保険適用にならない。

ガ : あ、再発した時じゃないと・・・・。

肝心の核異型度HER2は、H14年では検査していなくて、書いてなかった。

先生が色んな説明をして最後に・・・・
Dr : 何で急にそんな事思ったの?

ガ : 標準治療はステージⅡ、リンパ転移なし、閉経前だとゾラとタモキシフェンと
    あったんで、私は何でそうじゃないのかと思って。
    もしかして悪性度が1なのかなと思ったんだけど、そう言えば私は自分の悪性度
    聞いてなかったと思って、聞かなきゃと思ったんです。

Dr : 日本の腫瘍内科の医者が決めた事で、あなたには強すぎる。
    (本当は世界的なザンクトガレンの標準だけど、それは言わなかった)

ガ : 私もそれは勧められても、多分副作用が強くて断ると思う。
    (ちょっと先生に気を遣った)

Dr : 血液検査の結果を電話するので、その時一緒にしようか?

ガ : その時出ますか?別に急いでないので、次回の診察の時でもいいですよ。

Dr : (看護師さんと検査機関のスケジュールを確認)
    10日後・・・22日の水曜日に電話します。

わざわざ一緒に教えてくれると言ったのは、電話の方が込み入った話もしっかり時間が
取れると考えたからだろうか?
きっと、詳しく話してくれそうな気がする。

予約メモは電話の時間が消されていた。前はpm7:00~9:00と書いてあったのに。

今日壁に掲げていた専門医の証書を見たら、先生方の生年月日が書いてあり、
Y先生はS32.10、 A先生はS30・4、 院長先生はS23、だった。


2006年11月10日(金) ≪am11:00 内科クリニック≫ 

先生が風邪をひいた時用に葛根湯を出してくれた。
前回のは風邪のひき終わりで強い薬との事で、ひき始めには飲まない様にしてと
言われた。
Dr : 今年は、最後ですね。
ガ : 末永く宜しくお願いします。 (嫁入りか!って一人突っ込み)


先生に病理の結果を聞くので、今まで調べた事を頭に叩き込んだ。
医学用語を頭に入れるのは大変ですね。
でもちゃんと聞けましたよ。カミカミもなく。。。
先生のメモは全ての結果の出た時にUPしますね。。。

後に主治医の違うSさんに病理結果の事を聞いたら、やっぱり今のように詳しくは
話して貰っていなかったようです。
手術したのは2002年(H14)だから、この後でリスクの考え方もHER2が加わり
かなり変わってきていました。

来年はザンクトガレンでまた世界の腫瘍内科医が集まり、乳がん術後補助療法の
あり方について会議が持たれます。
治験のデータが分析され、治療法の見直しをかけます。
私達患者も一緒に勉強しなくては、今のベストの治療を受けられません。

がん治療は個別化という方向に進んでいるようですね。
自分のニーズにあった治療を受けるためにも、お医者さん任せではいけません。
患者も勉強していると、お医者さんも真剣に向き合ってくれます。と、思う。。。。。

≪リアルタイムなお話≫
今日は斡旋会社で面談の日。3週間振りかな。
前回提出した職務経歴が形よくできてるはず。
今日は履歴書の書き方のレクチャーを受ける予定です。
ガーネットは主治医と話すより、こっちの面談の方が苦手です。


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≪08.5.18 (日) リアルタイムなお話≫ 人間ドック結果

4月26日に受けた人間ドックの結果表が届いた。
今迄は心電図必ず精検と出たのに、今回は全てA判定だった。びっくり!
今年から健診機関を変更したので、単純に比較はできないが・・・・。

【身体計測】      身長 152.6
             体重  43.9
             BMI  18.9

【視力 裸眼】     右 0.9  左 0.2

【胸部X線】      所見なし 判定A
【胃部X線】          〃 
【腹部エコー】        〃
【安静心電図】    正常範囲 判定A
【眼底】        所見なし  判定A


【肺活量】       肺活量(ML)       2710
             予測肺活量(ML)    2530
             肺活量比(%)     107.1
             一秒量(ML)      2260
             一秒率(%)       83.4

【血圧】        94 /60  判定A
【眼圧】        (~20mmHg)    右11 左12  判定A 

【血液】       検査項目       基準値            結果
           白血球         M 3900~9800        5700
           赤血球        M 427~570         436
           血色素量       M 13.5~17.6         13.1
           ヘマトクリット       M 39.8~51.8        38.9
           血小板        M 13.1~36.2         19.4
           MCV          M 82.7~101.6       89.2
           MCH           M 28.0~34.6        30.0
           MCHC         M 31.6~36.6        33.7

【肝機能】     検査項目        基準値            結果
           TP            6.7              7.0          
           ALB           4.0~5.0           4.4
           ZTT           2.0~12.0          5.2
           T-BIL          0.3~1.2          0.5
           GOT(AST)       10~40            23
           GPT(ALT)       5~40            17
           γ-GT         M ~ 70           25
           ALP           115~359          86
           LDH           115~245          205
           尿ウロビリノーゲン     (±)            (±)

【脂質】       検査項目        基準値            結果
           総コレステロール      150~219          186
           中性脂肪        50~149           42 ↓ 
           HDL-C         M 40~86           91
           LDL-C         70~139           69 ↓

【腎機能】     検査項目        基準値            結果
           BUN           8.0~22.0          17.7
           CRE           M 0.61~1.04        0.63
           尿酸          M 3.7~7.0          4.0
           尿検(蛋白、潜血)   (-)            (-)

【糖代謝】     検査項目        基準値            結果
           血糖          70~109           97
           尿糖           (-)            (-)
           HbA1c         4.3~5.8           5.3

【便潜血】     便潜血          (-)            (-)

【免疫】       検査項目        基準値            結果
           CRP           ~0.3             0.03
           RA             (-)            (-) 


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2002年12月30日(月) 退院13日目 
押入れの整理をしていたら、手帳が出てきた。
1992年の物だった。続きを読もうと思い色々探していたら、何年分もの手帳が缶の中
から出てきた。
乳がんがどこから発生するに至ったか、どんな診断を受けていたか、ずっと年月を追って
読み返した。

検査の日はちゃんと手帳に書いてあった。
1993年と2001年の手帳が見当たらなかったが、その他の年代のは全てあった。

最初は1992年2/20 筋腫で退院する4日前だった。半年後にまた診てもらってる。
1993年はどうだったかわからない。

1994年から細胞診を始めてる。4/14の検査で左胸内側に新たにしこりが
できたらしい。5月に細胞診、9月、そして半年後と検査。

1995年4/13と10/19この日左胸にガンの芽があるため3ヶ月後にマンモグラフィとある。

1996年1月マンモグラフィで細胞が増えているとの事。
1/16エコーに細胞診の予定がエコーで異常発見できず、院長先生は細胞診をしたい
ようだたが、探しきれる自信が無いという事で、3ヶ月後にマンモを撮るとの事。
そして大きくなっているかどうかを確かめる。
放射線をあまり浴びさせたくないから、前回の拡大写真と同じ方法で場所を指定して
撮るとの話だったようだ。
このくだりの部分は私も覚えている。思い出した。
5/14マンモ、細胞診。
結果について院長先生が直接電話をくれたらしいが、それについては全く覚えていない。
その時先生が「いずれにしても我々も注目していますから」と言ったと書いてある。
そして私の思いは、注目しているとはどういう意味なのか?と書いてある。

1997年5/22検査。だから結果は悪くなかったのだろう。

1998年3/5 この時が医大で院長先生診察の最後のようだ。
この時開業のため退職する事を聞いている。一年後に検診するようにとの話だったようだ。
だから最後の方は3ヶ月毎ではなくて、1年毎だったようだ。

1997、1998は1年に1回の検診だったのだ。
だからこれでもうガンにはならないと思ったのかも知れない。
これが3ヶ月毎、半年毎だったら検診を受けていたのかも知れない。 本当にびっくりした。
3ヶ月毎のイメージがあったから、そうだとばかり思ってたのに。

やっぱり1994~1996はかなり疑わしい新しいしこりがあったようだ。
しかし、実際にはそれから6~8年経ってガンになった事になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この経緯はそれぞれ乳がんの生い立ちで書いてますが、あえて流れを知るために
ここに書く事にしました。
これらの事を私はすっかり忘れていたのです。
そして、退院して13日目に手帳を見つけたのでした。今から5年前でした。
それでもブログを立ち上げる時、もう一度手帳を見て記憶を辿りました。
私は昔から検査内容よりも、先生との会話をメモっていたようです。



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マニュアルを見ながらリンクを貼り付けてみました。
★乳癌インフォメーション from doctors★ 

私も何度か相談した事があります。

これが私の乳がん歴です 122 →   ★ №7118-1.-2★ 

とりあえずこちらを見ていただければ、どんな患者か分ってもらえるかな? 


最初は半信半疑で、本当に回答なんて返ってくるのかなぁと思ってました。
でもちゃんとメールで返事が返ってきたんです。113  感激しました。

乳腺外科の先生は、どこの病院でもそうだと思いますが、とても忙しいです。
だから、次回診察までに気がかりな事、事前に調べておきたい事など、ここのサイトで
検索しています。
皆さんのお役に立てるかなぁ~と思って・・・・・


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