退院後最初の診察日に看護師さんに預けてた入院証明書、配達証明で郵送
されてきた。
3通頼んだが2通は間違いがあり訂正印が押してあった。
入院日が手術日になっていたのと、手術名が右乳房温存と書いて訂正されていた。
先生にしてみれば、シリコンが残っていて温存と勘違いするような形だったのかも。
月曜日12日に書いた様だが、疲れていたのだろうか?
何かメモでも一緒に入っているかと思ったが、それは入ってなかった。
それ程暇じゃないか。
簡易保険の証明には手術名が2つに分けて書いてあった。
① 右乳腺部分切除術
② 右胸筋温存乳房切除術
それと最終病理組織診断名は 『浸潤性乳頭腺管癌』 だった。
硬癌ではなかったのだ。
乳頭腺管癌は乳管癌の中で最も正常細胞に近いという事(分化度が高い)で、
リンパ転移を起こしにくく、予後は良好と本に書いてあった。
乳がん全体の20%、キノコ状に発育する。

スポーツジムへリハビリ 術後1ヶ月目
退院後20日目
イージークラスとる
傷のテープは3ヶ月貼っていた。
リザベンは6/7~ 術後半年後、傷が盛り上がってきてからだった。
形成手術 2004・8/9 9/7フィットネス筋トレ再開。
今回は腕上げのみで、ジムへは行っても筋トレ、エアロは受けない事。
3ヶ月がまん、がまん。
★げっ!

これじゃあシリコン動くわけだ。なんて無謀だったんだろう。
私こそ慎重になるべき人だったんだな。
この時はシリコンが移動するなんて考えも無く、リハビリする事に一生懸命だった。
左は硬がん、右は乳頭腺管がんだった。
左はステージⅡ、右はステージⅠ。
左はPgR 93%(+) 右は5% (-)、左右で別々の組織を持つ。
この病理診断が出た事でこの先の治療法を悩む事になった。
≪リアルタイムなお話≫

一年一年では検査や病状の流れを
把握しづらいと思ったから。




チリも積もれば山となる。ぽちっ

さぁこの先5年、ダイアリーに白紙のページが多い事を願いつつ、行ってみよ~。

思ったより早く電話があった。4~5分で話は終わった。
最初に病理検査で追加のお願いをしていた、悪性度とHER2の結果を聞いた。
↓主治医手書きのメモ(11/10)こ追加分を書き入れた。
術後私が主治医から聞いていたのは、ホルモン受容体が陽性である事、
しこりの大きさとステージ、リンパ0/11転移なし、硬がんという事でした。

●プロゲステロン【PgR】 (+) 93.0%
●核異型度【悪性度】 (G1) 異型2+分裂象1
●HER2 (1+)
●リンパ管侵襲【ly】 (1+)
●脈管侵襲【v】 (-)
●脂肪【f】 (+)
●乳管内進展 (+)
●T=2.4cm(組織診で)
●t=2.5cm(病理検査で)
まぁグレード1だから良かった。
HER2も1+はマイナスと考えていいと先生も言ってたし、本も臨床的にはマイナスに
近いと書いてあった。
2005ザンクトガレンの治療で見ると、大きさが2cm以上である事を除けば、再発の
リスクは低リスクとなる。
タモキシフェン単独、無治療、ゾラデックスとある。
単独でも良かったと分かりホッとした。
インターネットの相談室の回答を見てると、ステージⅡaはリンパ転移なくてもゾラ+
ノルバデックスだったので、私の場合は弱過ぎないかと思っていたが、先生にこの話
をしたらそれはやり過ぎと言ってたから、やっぱり良かったんだ。
私が手術をした年の翌年、2003ザンクトガレンでもHER2、脈管侵襲の検査は
含まれていなかったし、先生は悪性度もその時の検査では無かったと言ってたが、
それでもピッタリの治療だったんだとびっくりした。
おまけでUFTも飲んでいる。
これは再発リスクが中リスクの場合抗がん剤をプラスするので、中~低リスクの治療を
していた事になる。
確かに術後リンパ転移が無かった事で10年生存率80%だったのが90%になるとも
言ってた。
安心した。本当に良かった。
これからも先生に何でも話して信頼して治療したい。
★閉経後の治療を考えていた頃なので、重要と思う事を附箋に書いて貼っていました。

【v 】 血管への浸潤
【ly】 リンパ管への浸潤(リンパ節転移とは別)
【f 】 脂肪組織への浸潤
ステージⅡa 2cm以上
t2 組織学的な腫瘍の大きさ
T2 肉眼的大きさ
N0 リンパ節転移なし
M0 遠隔転移なし
血中 FSH E2
ホルモン値測定
(アリミデックス使用前)
NCC-ST-439 ~7 骨病変
Ⅰ-CTP 骨の代謝マーカー 骨転移
アリミデックス
脂肪組織におけるエストロゲン産生を抑制して乳がんの
発育や再発を抑制。
閉経後アロマターゼ阻害剤の使用法
①(アリミデックス、フェマーラ)単独5年投与
②ノルバデックス2~3年後にアロマシン、アリミデックス
③ノルバデックス5年終了後にフェマーラ追加
病理結果を聞き、自分の治療は当時の標準から外れてはいないと知ってホッとした。
2007ザンクトガレンではまた少し変わっている。
来年はどんな風になるんだろう?
ホルモン療法は5年から10年の方向に変わっている。
抗ホルモン剤も無治療期間があった後、追加服用でも再発率を下げるというデータも
薬剤によっては出てきている。
自分の治療当時の標準が今の標準とは限らない。
だとすればもう治療は終わったと思うのではなく、これからでも再発率を下げる手が
あるかも知れない。
少しでも無病期間を長くし、新薬の開発による治療の選択肢が多くなるよう、これからも
アンテナを張って行きたい。
病理のお話以外に、先生とある検査についてもこの日話している。
長くなったので、また別の記事としてUPします。
≪リアルタイムなお話≫
ついにパークゴルフに誘われ、今日デビューしました。
天気も良かったし、久し振りのアウトドアスポーツした~って感じ!
初めパークゴルフと聞いた時はゲートボールをイメージして、誘われたのも嬉しいような
寂しいような複雑な気持ちだった。
でも意外と周りの皆は経験していたんです。びっくりです!
いや~おもしろかった。
ゴルフ上手な人はきっと楽しくないと思う。
でもゴルフをずっとしてない私には気軽で丁度良かった。
60代の方と二人で回ったのですが、18ホール×4回・・・・やりました!
いい運動になりましたよ。 また行く約束しちゃった。
ちょっとふくらはぎダルイですが、これからステップエアロとスリムエアロやってきます。
仕事してないから平日こんな事出来るんですね。
こんな体験も良い想い出になる様、いつか再就職しなくては。。。。

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水曜日手術が入った為、金曜日の診察となった。
A先生と二人で診てた。院長先生はいなかった。
9時半には採血。
ガ : (看護師さんに) 骨密度の検査したいんですけど。
看 : ちょっと聞いてみますね。
と、言われたがすぐ検査に呼ばれた。(放射線室が空いてたんだろう)
10時頃には技師さんがエコーをしたが、今日は乳房にはかけなくて
左鎖骨リンパと肝臓だけだった。
間もなく診察に呼ばれたのだが、第一診察室で、いつもは院長先生が
使っている所だった。
第二の呼ばれる人が遅いので、Y先生は第二でしっかり診てると思った。

最初に4ヶ月前の検査結果表をくれた。(結果は電話で聞いている)
ガ : 先生、今日は病理検査の結果をきちんと聞いてなかったので、
詳しく聞きたいんですけど。悪性度とか。
先生は嫌な顔も声もせずカルテを開いて、最初の細胞診の結果から丁寧に
教えてくれた。
先生がメモに項目を書く時、知りたい項目を伝えた。
ガ : 核異型度、核分裂象、脈管侵襲、リンパ管侵襲、HER2・・・・。
Dr : HER2はしてない。
H14年の時にはそんな検査はまだしてなかった。
ガ : えー、そうですかぁ~?

これからでも検査できますよね?(検体があれば後からでも出来る)
Dr : 新たに検査機関に出さなくちゃいけないけど、するかい?
ガ : して下さい。FISH法ですか?
Dr : それは保険適用にならない。
ガ : あ、再発した時じゃないと・・・・。
肝心の核異型度、HER2は、H14年では検査していなくて、書いてなかった。
先生が色んな説明をして最後に・・・・
Dr : 何で急にそんな事思ったの?
ガ : 標準治療はステージⅡ、リンパ転移なし、閉経前だとゾラとタモキシフェンと
あったんで、私は何でそうじゃないのかと思って。
もしかして悪性度が1なのかなと思ったんだけど、そう言えば私は自分の悪性度
聞いてなかったと思って、聞かなきゃと思ったんです。
Dr : 日本の腫瘍内科の医者が決めた事で、あなたには強すぎる。
(本当は世界的なザンクトガレンの標準だけど、それは言わなかった)
ガ : 私もそれは勧められても、多分副作用が強くて断ると思う。
(ちょっと先生に気を遣った)
Dr : 血液検査の結果を電話するので、その時一緒にしようか?
ガ : その時出ますか?別に急いでないので、次回の診察の時でもいいですよ。
Dr : (看護師さんと検査機関のスケジュールを確認)
10日後・・・22日の水曜日に電話します。
わざわざ一緒に教えてくれると言ったのは、電話の方が込み入った話もしっかり時間が
取れると考えたからだろうか?
きっと、詳しく話してくれそうな気がする。
予約メモは電話の時間が消されていた。前はpm7:00~9:00と書いてあったのに。
今日壁に掲げていた専門医の証書を見たら、先生方の生年月日が書いてあり、
Y先生はS32.10、 A先生はS30・4、 院長先生はS23、だった。
2006年11月10日(金) ≪am11:00 内科クリニック≫

先生が風邪をひいた時用に葛根湯を出してくれた。
前回のは風邪のひき終わりで強い薬との事で、ひき始めには飲まない様にしてと
言われた。
Dr : 今年は、最後ですね。
ガ : 末永く宜しくお願いします。

先生に病理の結果を聞くので、今まで調べた事を頭に叩き込んだ。
医学用語を頭に入れるのは大変ですね。
でもちゃんと聞けましたよ。カミカミもなく。。。
先生のメモは全ての結果の出た時にUPしますね。。。
後に主治医の違うSさんに病理結果の事を聞いたら、やっぱり今のように詳しくは
話して貰っていなかったようです。
手術したのは2002年(H14)だから、この後でリスクの考え方もHER2が加わり
かなり変わってきていました。
来年はザンクトガレンでまた世界の腫瘍内科医が集まり、乳がん術後補助療法の
あり方について会議が持たれます。
治験のデータが分析され、治療法の見直しをかけます。
私達患者も一緒に勉強しなくては、今のベストの治療を受けられません。
がん治療は個別化という方向に進んでいるようですね。
自分のニーズにあった治療を受けるためにも、お医者さん任せではいけません。
患者も勉強していると、お医者さんも真剣に向き合ってくれます。と、思う。。。。。
≪リアルタイムなお話≫
今日は斡旋会社で面談の日。3週間振りかな。
前回提出した職務経歴が形よくできてるはず。
今日は履歴書の書き方のレクチャーを受ける予定です。
ガーネットは主治医と話すより、こっちの面談の方が苦手です。


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4月26日に受けた人間ドックの結果表が届いた。
今迄は心電図必ず精検と出たのに、今回は全てA判定だった。びっくり!
今年から健診機関を変更したので、単純に比較はできないが・・・・。
【身体計測】 身長 152.6
体重 43.9
BMI 18.9
【視力 裸眼】 右 0.9 左 0.2
【胸部X線】 所見なし 判定A
【胃部X線】 〃
【腹部エコー】 〃
【安静心電図】 正常範囲 判定A
【眼底】 所見なし 判定A
【肺活量】 肺活量(ML) 2710
予測肺活量(ML) 2530
肺活量比(%) 107.1
一秒量(ML) 2260
一秒率(%) 83.4
【血圧】 94 /60 判定A
【眼圧】 (~20mmHg) 右11 左12 判定A
【血液】 検査項目 基準値 結果
白血球 M 3900~9800 5700
赤血球 M 427~570 436
血色素量 M 13.5~17.6 13.1
ヘマトクリット M 39.8~51.8 38.9
血小板 M 13.1~36.2 19.4
MCV M 82.7~101.6 89.2
MCH M 28.0~34.6 30.0
MCHC M 31.6~36.6 33.7
【肝機能】 検査項目 基準値 結果
TP 6.7 7.0
ALB 4.0~5.0 4.4
ZTT 2.0~12.0 5.2
T-BIL 0.3~1.2 0.5
GOT(AST) 10~40 23
GPT(ALT) 5~40 17
γ-GT M ~ 70 25
ALP 115~359 86
LDH 115~245 205
尿ウロビリノーゲン (±) (±)
【脂質】 検査項目 基準値 結果
総コレステロール 150~219 186
中性脂肪 50~149 42 ↓
HDL-C M 40~86 91
LDL-C 70~139 69 ↓
【腎機能】 検査項目 基準値 結果
BUN 8.0~22.0 17.7
CRE M 0.61~1.04 0.63
尿酸 M 3.7~7.0 4.0
尿検(蛋白、潜血) (-) (-)
【糖代謝】 検査項目 基準値 結果
血糖 70~109 97
尿糖 (-) (-)
HbA1c 4.3~5.8 5.3
【便潜血】 便潜血 (-) (-)
【免疫】 検査項目 基準値 結果
CRP ~0.3 0.03
RA (-) (-) どうでもいいですよね、他人の結果なんて。時間の無駄だった?
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押入れの整理をしていたら、手帳が出てきた。
1992年の物だった。続きを読もうと思い色々探していたら、何年分もの手帳が缶の中
から出てきた。
乳がんがどこから発生するに至ったか、どんな診断を受けていたか、ずっと年月を追って
読み返した。
検査の日はちゃんと手帳に書いてあった。
1993年と2001年の手帳が見当たらなかったが、その他の年代のは全てあった。
最初は1992年2/20 筋腫で退院する4日前だった。半年後にまた診てもらってる。
1993年はどうだったかわからない。
1994年から細胞診を始めてる。4/14の検査で左胸内側に新たにしこりが
できたらしい。5月に細胞診、9月、そして半年後と検査。
1995年4/13と10/19この日左胸にガンの芽があるため3ヶ月後にマンモグラフィとある。
1996年1月マンモグラフィで細胞が増えているとの事。
1/16エコーに細胞診の予定がエコーで異常発見できず、院長先生は細胞診をしたい
ようだたが、探しきれる自信が無いという事で、3ヶ月後にマンモを撮るとの事。
そして大きくなっているかどうかを確かめる。
放射線をあまり浴びさせたくないから、前回の拡大写真と同じ方法で場所を指定して
撮るとの話だったようだ。
このくだりの部分は私も覚えている。思い出した。
5/14マンモ、細胞診。
結果について院長先生が直接電話をくれたらしいが、それについては全く覚えていない。
その時先生が「いずれにしても我々も注目していますから」と言ったと書いてある。
そして私の思いは、注目しているとはどういう意味なのか?と書いてある。
1997年5/22検査。だから結果は悪くなかったのだろう。
1998年3/5 この時が医大で院長先生診察の最後のようだ。
この時開業のため退職する事を聞いている。一年後に検診するようにとの話だったようだ。
だから最後の方は3ヶ月毎ではなくて、1年毎だったようだ。
1997、1998は1年に1回の検診だったのだ。
だからこれでもうガンにはならないと思ったのかも知れない。
これが3ヶ月毎、半年毎だったら検診を受けていたのかも知れない。 本当にびっくりした。
3ヶ月毎のイメージがあったから、そうだとばかり思ってたのに。
やっぱり1994~1996はかなり疑わしい新しいしこりがあったようだ。
しかし、実際にはそれから6~8年経ってガンになった事になる。
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この経緯はそれぞれ乳がんの生い立ちで書いてますが、あえて流れを知るために
ここに書く事にしました。
これらの事を私はすっかり忘れていたのです。
そして、退院して13日目に手帳を見つけたのでした。今から5年前でした。
それでもブログを立ち上げる時、もう一度手帳を見て記憶を辿りました。
私は昔から検査内容よりも、先生との会話をメモっていたようです。



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皆さんの応援で、また更新しようとがんばれる。ぽちっ

マニュアルを見ながらリンクを貼り付けてみました。
★乳癌インフォメーション from doctors★
私も何度か相談した事があります。
これが私の乳がん歴です → ★ №7118-1.-2★
とりあえずこちらを見ていただければ、どんな患者か分ってもらえるかな?
最初は半信半疑で、本当に回答なんて返ってくるのかなぁと思ってました。
でもちゃんとメールで返事が返ってきたんです。 感激しました。
乳腺外科の先生は、どこの病院でもそうだと思いますが、とても忙しいです。
だから、次回診察までに気がかりな事、事前に調べておきたい事など、ここのサイトで
検索しています。
皆さんのお役に立てるかなぁ~と思って・・・・・
チリも積もれば山となる。ぽちっ (^o^)丿皆さ~ん応援お願いしま~す。