
6月14日 右頭頂部触るとピリピリ一日中頭痛


7月25日(木) 【医大 心筋症専門内科】
健康診断で再検査 心電図2種類受ける

次回心エコーと検査結果
9月5日(木)有休 10:30 心エコー
【検査結果】
心臓先端部の筋肉が少し厚いが、前回より肥大はしていないので、年1回の検査でOK。
先端は16mm 他は9mm、エアロも普通にしている分にはOK、疲れたら休む事。
【手帳メモ】
次回はカードで11時までに受付
先付けオーダーの用紙を提出し、直接レントゲン、心電図を撮ってから診察を受ける事
日付も一年以内であれば、カードで受付OK(時間指定なし)
木曜日 N先生 第2内科
先付けオーダーとは、次回診察日の検査が既にオーダーされている事で、
当日は先に検査をしてから診察を受ける。
直接検査室に行って受付をする。
診察をしてから検査して、また結果をとなると時間がかかるからだと思う。
【生理不順】
9月6日生理始り
9月24日生理始り(前回より19日目)
10月14日生理始り(前回より20日目)
★ 今までこんな事は一度もなかった。婦人科の病気を疑った。(筋腫の手術から10年後)
電話で診察曜日、時間を確認、土曜日の診察を予約した。
11月2日(土)10:00
地下鉄2駅のF病院産婦人科へ(現在は婦人科のみ)
ずっと男性医師だったので、女医さんのいるこの病院を見付けた時は、もう大学病院の
婦人科に行く気は無かった。
問診、採尿、排尿、を済ませ中待合室で診察を待っていた。
結構待ち時間がある。目の前に貼っている色んなポスターや、お知らせのビラ等を何気に
見ていた。
産婦人科なので、赤ちゃんに関する事、妊婦さんに関する事、婦人科に関する事の物が
当然ながら多い。
そんな中に乳がん自己検診の啓蒙ポスターが貼ってあった。
そういえばしばらく検診してないなぁ~ 家に帰ったらやってみよー。 そのくらいの感じ。
すぐ乳腺クリニックに定期検診に行こうとか、そんな事全然思わなかった。
毎日ブラジャーをつける時に外側と下側は自然に触っている訳で、今まで手に何かが触れた
なんて事は無かった。
しかし私の癌は内側だったのです。意識して触ってみなければ、わからない場所でした。
意識して、これこそ検診の意味なのですね。
さて、婦人科の診察結果はといいますと・・・・・・・子宮がん検診 エコー おでき
おできは、最後に大学病院の婦人科で診察を受けているが、切ると出血の多い
場所なので、悪いものじゃないから様子をみようという事だった。
ずっと気になっていて、大きさも1cmくらいに大きくなっていた。
根があるような感じで、子宮じゃないのに知識がなかったので、癌かと思った。
それで生理不順もこのおできが、癌か何かで起きた事だと思ったのです。
【土曜日担当の先生の説明】
おできの経過を診る為、一ヶ月後にもう一度診察。今のところ悪いものではない。
筋腫 3cm1個 3cm弱 1個 あり。 経過を診る。(またできていたなんて・・・・)
次回予約 12月7日(土) 10:00 ≪ しかし この後乳癌発症がわかりキャンセル≫



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1月 9日・・・・・・医大 整形外科
肩甲骨の痛み、朝方から良くならず病院へ
Ⅹ線は異常なし。鎮痛剤と湿布。
1月13日・25日・整体へ
★ この頃から整体へ行っていた。身体に疲れが溜まっていたのだと思う。

【2月のスケジュールより】
2日(土) エアロ
3日(日) エアロ2本 筋トレ
5日(火) エアロ2本
6日(水) アクアビクス
7日(木) ヒップホップ 筋トレ エアロ
10日(日) エアロ2本 筋トレ
11日(祝) エアロ ストレッチ
12日(火) エアロ
13日(水) アクアビクス
14日(木) ヒップホップ 筋トレ エアロ
17日(日) エアロ2本 プール
18日(月) エアロ2本 筋トレ
20日(水) アクアビクス
21日(木) ヒップホップ 筋トレ エアロ
23日(土) エアロ
25日(月) エアロ ステップ (腰に張りと少し痛みが出た)
27日(水) ダンベルステップ 筋トレ エアロ (張りは少しあるが痛みなし)
28日(木) ヒップホップ エアロ(最強クラス) プール歩き(痛みなし)
【4月】
今月からアミノ酸、クエン酸を飲んでいる。腰の調子は90~95%回復。
★ この頃はまだストレッチを、それほど重要視していなかった。
しかし筋肉疲労は感じていたので、トレーナーに相談し、サプリを摂り始めた。
【5月の人事異動】
7日から女性職員の殆んどが、一斉に人事異動で部署が変わった。
皆、今までの仕事の引継ぎと、新しい仕事の引継ぎで、毎日残業だった。





(メモでは5月の残業は58Hだった)
私は入社以来22年間、ずっと同じ部署だった。
(こんなに異動しなかった人もいないと思うが・・・・)
まったくの新人になった気分だった。

今迄の部署は一般的な事務とは関係のない部署だった。
会計伝票も起票した事がなかった。
新しい部署は、これまた一般的な事務とはちょっとかけ離れている。
しかし、仕事の種類が多いので、覚えなくてはいけない事が多かった。
しかも、ずっとその仕事を仕切っていた人も定年となり、同じ部署にサポートして
くれる人も同時にいなくなってしまったのでした。

毎日眠れない日が続いた。大変なストレスだった。

5月中旬までにいきなり労災保険の確定申告をしなくてはいけなかった。
普通は年度決算も終わり、5月は楽勝と思うかも知れないが、新しい部署はこれから
決算のような月だったのです。
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まったく、あんな思いは二度としたくない。
2月~6月までが行事が多くて、普段の仕事に加えて忙しくなる部署なのです。
今は暇な時期です。だからブログの更新もできているんだけど・・・・

今の部署の良いところは飽きないという事。
慣れた仕事でも、やる事が日々違うので飽きないのです。
自分で何を優先してやるか計画をたて、1~10まで自分の考えで、自分のやり方で
できる。

前は見積り関係だったので、流れ作業で前の手順が終わらないと、自分の仕事が
できない。時間のロスが生じる。
二週間後のスケジュールが分からない。
ある意味これも大変なストレスだったと思う。
入社当時女の子から「ガーネットさんOO課でしょ。かわいそ~」とよく言われた。(T_T)
それだけ皆がいきたくない部署だったのだろう。
だからこそ大学病院で検診してた頃は、平日でも1か月前に予約を入れたら必ず
行く事にしてた。
予約してるからと、強気に仕事を抜ける事ができた。
締めの決まっている仕事、月のスケジュールが決まっている部署は、
楽だなぁ~と、異動して初めて知った。
11月に生理不順で病院に行った時は、少し仕事も落ち着いて余裕が持てた
時期だったのかも知れない。
【余談】
今日は会社の仕事納め。食べて、飲んで、夕食はいらない!





新年は1月4日(金)から。
有休を取れば9連休なのだが、8月にお盆休みと有休2日足して9連休を取り、
形成外科の手術を受けたので、今回は他の人にお休みを譲った。
各部署で一人、電話番を置く事になっているのです。

だから、1月4日はの~んびりです。(年始の挨拶が多くありませんよ~に)




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2000年・・・・・44歳
1月 4日 スポーツクラブ入会 (筋トレのメニュー作成)
エアロビクス、筋トレ始める
1月 6日 体力測定 1回目
サイドステップ 39回/分
握力 右:28kg 左:25kg
3月18日 体力測定 2回目
心肺持久力 48.8ml/kg/min
垂直跳び 35.5cm
前屈 23.5cm
サイドステップ 44回/分
握力 右:30kg 左:26kg
★ 結果20代の体力 ランク5 俄然やる気が出てきた。
3月22日 体サイズ測定
体脂肪 19.3% (女性平均23%)
B 80 (貧乳で胸というより胸板のサイズ)
W 57
H 82.2
★ 今から7年前の話ですから。。。。。
体脂肪はこれ以上落さないようにと注意された。
7月 5日 エアロマラソン参加 (2時間ぶっとおし)
7月 6日 ウェイクボード初体験(スノーボードの水上スキー版のようなもの)
後輩二人と参加40代の私だけが立てた。スノーボードのお陰かな。
9月22日 午後より会社早退 整形外科へ
テニスをしていて、サーブを打った自分のラケットが向う脛に当たった。
二週間後腫れが引かず病院へ。
事の成り行きを先生に説明したら、笑われた。
10月21日 エアロビクス pm1:30 ~ 3:30
英会話教室 5:00 ~ 6:30
テニス 7:00 ~ 9:00
★ エアロビのクラスは2つ続けて取ってたりした。
自分の体力を過信していたようだ。今振り返ると・・・・・疲れるぅ~ 。
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2001年・・・・・45歳
1月 7日 初泳ぎ
1月15日 結膜炎で眼科へ
1月19日 両足湿疹で皮膚科へ (鮫のエキスのサプリを飲んで二週間後)
1月22日 眼科で視力検査 左: 0.1 右: 0.2
この年で仮性近視と言われる。 仕事で一日中PCを使っていた。
(テニスでボールが見えずらくなりメガネを作った)
2月22日 リフレッシュ休暇 (会社の制度)で南イタリアへ
6月20日 医大 心筋症専門外来受診 (健康診断で再検査となったため)
心電図、尿、血液、エコー(先生が直接した簡単なもの)、Ⅹ線
所見 Ⅹ 線 : 心肥大(60%) いつもどの先生が診ても言われる
心電図 : 心筋症(必ずひっかかる)
エコー : 心筋厚 15mm
(普通は10mmだが、20~30mmの人もいるとの事)
【先生の説明】
●大 第1外科 乳癌検診 13:00 次回は1年後でOK
M先生が開業する為、今月で大学病院を退職するとの事、案内状をくれるそうだ
《 補足説明 》
先生から、開業するクリニックに移るなら、カルテを大学病院から移すことが出来ると
言われ「これからもずっと先生に診ていただきたい」と答え、カルテを移動した。
1998年7月 3日 ●大 婦人科検診
1998年7月17日 検査結果
1999年6月 9日 ●大 第2内科受診(心臓) 43歳
1999年7月21日 ●大 第2内科(心エコー)
1999年7月30日 検査結果
《 補足説明 》
1999年から、婦人科、第1外科とも診察を受けていない。
会社の健康診断で毎回心電図でひっかかっていたので、内科の診察を受ける。
この頃は、海外旅行、英会話、スキー、スノーボード、水泳、アクアビクス、
テニス、ゴルフ、ペン習字・・・・・・
スケジュールを空ける事なく、忙しさを楽しんでいた。



そして、1998年8月23日エアロビクスの体験レッスンを受けている。
ここからエアロビにはまるのでした。

週に4~5回でも、アクアビクスや水泳では体重keepが精一杯で、
身体を絞るまでにはいかなかった。
プールの中は寒くて、脂肪が身体についてしまった。

そのお陰で水に浮くんだけど、以外と盲点でした。
エアロビと、筋トレに夢中になっていた頃、プールで上向きに浮く事が
できなくなりました。(脂肪が減ったから)

こんな生活を乳癌になるまで、ずっと5年も続けていた。
そりゃ~活性酸素も溜まるわーーー。
何の検診もなく(?)(しなかった)、検査結果を聞くこともなく、
病院と縁が切れていた。
毎日こんなに幸せでいいの?と思うくらい、楽しい日々だった。!!
(正直な話、いつか何か悪い事が起きるんじゃないかと思ったり・・・・・・・)
乳癌検診 前年度最終検査 5/14
(5/8(木)の1ヶ月前に予約の事
1997年5月22日の手帳メモより・・・・・41歳
11:00 受付 ( 新患カルテを作る事 )
12:00 乳癌検診
次回診察 1998年3月5日(木)13:00 予約済み
1997年6月19日 有休 婦人科診察
1997年7月 4日 検査結果
1995~1996年は、頻繁に検査を繰り返していたが、
この年は1回だけになっている。
次回診察が1年後の5月ではなく、3月であることが重要な意味を持ってくる。
この年から乳癌検診に関する事を、日記にはつけていない。(^_^;)
私の中では昨年の細胞診検査結果(カテゴリー1)で、心配も薄れていたのかも。
代理の先生の「これからは半年に1回か3ヶ月に1回・・・・・・・」の言葉等すっかり
頭から消えてしまったのでした。(^0_0^)
主治医は年1回の経過観察と、判断したようだ。



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●大へ行ってから一週間以上経つのに、先生からは何の連絡もない。
もう検査の結果は出ていると思うのだが・・・・・・
木、金がM先生の診察日なので、今日電話くるかと思ったのだが、こなかった。
明日だろうか・・・・・・

●大 10:00 ④番診察室に声かけて
10:30 マンモグラフィ
1996年5月14日(火)の手帳メモより
マンモグラフィと細胞診を同時に行った。
結果については、M先生が直接私に電話をくれると言う。
お医者さんが直接患者に、結果について電話するなんて事があるのだろうか?
予約をして、その日に病院で聞くのが普通だと思うのだが。
先生は 「 いずれにしても、我々も注目していますから 」 と言った。
注目しているとは、どういう意味なのか?
1996年5月14日(火)の日記より抜粋・・・・・40歳
【いずれにしても、我々も注目しているとは?】
有休を取って●大へ乳がんの検査に行って来た。
2回のマンモグラフィではっきりしなかったのを、今日は細胞診とマンモを一緒にしよう
というのだ。
幸いにも一発で良い位置をkeepできたので、針は2度刺したけど、丁度良いところの
細胞が上手く採れたようだ。

先生がしきりに 「しこりもなくて触らないから、これしか方法が無い 」 と言ってた。
ホワイトボードで、火曜日のM先生の予定を見たら、書いてなかったので、今日は検査
の先生だけでやるのかと思っていたら、2時になったらいきなり先生が、細胞診に使う
機器を押しながら、処置室から出てきた。
私は気付いてなくて、パスポートの申請用紙を見ていたので、先生の方から
「ガーネットさん、それじゃ行きますか」 と言われて、びっくりして顔を上げたら、
M先生だった。
思わず 「あっぇっ」と声が出てしまった。

検査は1時間ほどで終わった。
次回の検査結果の予約の事を、看護婦さんが「聞いてますか?」と言うので、
「いいえ」 と先生の顔を見たら、先生が「電話します」と言った。
「僕が電話しますから。いずれにしても我々も注目していますので」と言ったのだ。
結果を電話でして、病院には行かなくてもいいという事なのか、それとも皆のいる
ところじゃ言いづらいのか?
注目しているとは、検査の結果の事を、興味深い実験か何かと思って
いるのだろうか?
1996年5月23日(木)の日記より抜粋
●大へ行ってから1週間以上経つのに、先生からは何の連絡も無い。
もう検査の結果は出ていると思うのだが・・・・・・
木、金がM先生の診察日なので、今日電話でもくるかと思ったのだが、こなかった。
明日だろうか・・・・・・
この注目しています発言が、私にいろんな疑問を投げかけた。
そして後にM先生の開業で、疑問と、誤解が更に大きくなり、間違った道を選ぶ
事になるのだった。
この頃は海外旅行に目が向いてたようだ。




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●大でマンモグラフィ撮影 細胞が増えているので、再検査を
1/16 エコーをかけて、細胞を採る
1996年1月16日(火)の日記より抜粋・・・・・40歳
【エコーかけて細胞診の予定が・・・・・】
1月12日(金)の乳がん検診で、3ヶ月前と同じマンモグラフィを撮り、
細胞が増えているかどうかのチェックをしたのだが、増えているとの
事だった。
それで、今日エコーをかけて細胞診をする予定だったのだが、エコーをかけた時点
では、増え方が小さすぎて発見できなかった。
見つけたとしても、そこに針を入れて細胞を採るのは、自信がないというのだ。
M先生はいないのかと思ったら、検査の日も先生がいるのを知った。
そう言えば、前回細胞診をした時もM先生がいた。
ちゃんと自分の担当の患者の時は、来ているんだな!!
外来にはいなかったはずだから・・・・・・・
何だかM先生の顔を見ると、声を聞くと、ホッとする。
あの優しい笑顔、やさしい声、イイナーと思う。
1年に2度会うだけなんだけど、もう4年も続いている。先生は全然変わってないな。
今日のエコーの先生~●とネームが読めたんだけど、M先生は兄弟共、第1外科に
いると聞いた事があるから、もしかしたらもう1人のA先生なのかな
あんまり似てなかったけど、話し方はやけにくだけていた。
M先生はマンモで違いを診たけど、エコーはやはり難しいのかも知れない。
【マンモグラフィで石灰化が・・・・】
4月13日(木)に半年毎の定期検診をしている。
それから半年後の検査で・・・・・・・・
半年に1度の乳がん検診のつもりで、●大へ行った。
いつも通り、異常なしで終わるはずだったのだが・・・・・・・・
先生が「しばらくレントゲン撮ってないんで、何でもないけど一応確かめる為に
撮りましょう。2~3年に1度撮ればいいから」と言われ撮ったら・・・・・・・
左の胸に小さな白い影があり、それがいずれガンになる芽だと言うのだ。
大きくならないで、何年もそのままという事もあるが、いつ大きくなりガンに成長する
かも分からないと言う。
それで、3ヶ月後にもう1度レントゲンを撮り、どのくらい成長するか、それともそのま
まか調べるそうだ。
誰かに話したくて、Tさんでもいるかと思い放射線科に行ったが、忙しそうにデスクで
他の人と何か引継ぎしていたので、声をかけないで帰って来た。
(Tさんは、当時●大の看護婦さんで、テニススクールで一緒でした)
英会話教室に寄って、そこで知り合いに話した。少しすっきりした。
ジュディという名の先生と初めて少し話をしたんだけど、先生のお母さんも昨年乳癌で
亡くなったそうだ。
色々心配したけど、1~2ヶ月で大きくなる事はないから、その間は心配無いとの事。
3ヶ月後に行く予約をして、その結果次第で次の詳細な検査をするかどうか
決めるとの事。
この頃はテニスと英会話に夢中だった。
この時のレントゲンとはマンモグラフィの事だ。(手帳に乳腺のレントゲンとメモあり)
流れからして、多分この前にもマンモグラフィは撮っていたと思う。
初めてマンモグラフィを撮った時、先生が・・・・・・
「これは北海道でもまだ2台しか入ってなくて、▲大と●大・・・・・」と言ってた。
確か初めて撮った時から、石灰化がパラパラと見つかっていた。
そして、この時がんの芽と言われた物は、1粒1粒の石灰化が少しくっついて、
集積しはじめていたという事だ。
この後の日記の続きを読んでいても、あまり深刻には考えてなかったようだ。
今迄は自分でしこりを見つけて診察をうけて、その経過を見ていた。
自分で触って確かめられたので、実感として理解できていたんだと思う。
しかし、この時は石灰化で、しこりではなかったので、石灰化の怖さをまったく認識して
いなかったようだ。
「パラパラしているのが集まってきたら危ない、ガンになる可能性が・・・・・」
と先生から聞いてはいた・・・が・・・ まだその時は緊張感も危機感もなかった。



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1994年4月24日(日)の日記より抜粋・・・・・38歳
【また胸にしこりを見つけた】
M先生が胸に張りがあると言って細胞診をして以来、とても気になって
たまに触ってみてた。
今日前屈みになって触ってみたら、左胸にしこりがあった。
昔できてたところの内側。
動くのは大丈夫と言ってたけど、こんなに何個もできてるなんて。
28日には、この話も先生にしなくてはいけない。
先生は脇の下のリンパにも触れて、大丈夫だと言っていたけど。
28日が怖い!(ーー;)
1994年4月28日(木)の日記より抜粋・・・・・38歳
【あんまり気に病まないほうが・・・・】
●大へ結果を聞きに行って来た。
結果はOKだった。 (右のしこり)
先生がすぐ話を切り出してくれなかったので、絶対悪い方の話なんだと思っていたら、
乳腺線維腺腫であって良性の腫瘍だと言われた。
もう一つ私が発見したもの(左のしこり)は、先生は気付いてなかったようだ。
先生が、あんまり気に病まない方が良いと言ってた。
神経質な人が出来易いというのだ。
私もあんまり悪い方へ考えないようにしようと思う。
本当によかった。心配で、心配で、しょうがなかったけど。
もう1つの方は、連休明けの9日に検査をする。
ガ : どんな感じですか?
Dr: 多分前にできてるものと同じだと思うので、心配はないでしょう。
ガ : もっと頻繁に診察受けた方がいいですか?
Dr: そんなにしなくても、半年に一度でいいです。
きちんと定期的に通えばいいから。
私の2人前の人は、ガンを告知されていた。
私も待っている時は、嫌でしょうがなかった。
今回は、結果まで2週間もの長い間だったので、本当に毎日が憂鬱だった。
9日の細胞診はそれほど心配しなくていいと思う。
先生が触診して、大丈夫というのだから。 (^-^)
1994年5月 9日(月)手帳メモ・・・・・細胞診
1994年5月19日(木)手帳メモ・・・・・結果
1994年9月16日(金)手帳メモ・・・・・診察
この頃の私は、頻繁にしこりを自分で見つけていた。
筋腫の手術をし、半年後には兄を癌で亡くし、それから1年経ってない頃の事です。
癌の怖さを知って、いつもしこりに怯えていたような気がする。
自己検診の度に何かしら異変を見つけるので、先生のあのコメントが
出たのだろうと思う。
お医者さんもそんな風に見るんだ!とちょっとショックだった。
先生に兄が癌で亡くなったので・・・・・と言う話をしたのを覚えてる。
このコメントが、後々検診を怠るようになった事に、多少影響を与えたような気がする。
頻繁に細胞診をしているが、クラスがいくつなのか聞いた事がない。
この頃はまだ患者は医者に何もかも任せっきりの時代だったのかも。
私自身も、こんなに検査してるのに、乳がんの本を読んだ事も無かった。
検査は安心の為で、ガンになるなんて思ってなかったのだと思う。



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